2018/11/30

朱に交われば

皆さん、おはようございます。明日から一年に一番忙しい師走に入ります。例の通りに、台北市立図書館のボランティアー教師としての私は、猫の手も借りたい程、忙しくなります。クリスマスパーティーの演出、学生さんの年末の成果発表会、老人ホームの忘年会の演出などで、充実な楽しい毎日に臨みます。

今日の午後、借家人の琉球人が那覇に戻り、台北で三ヶ月間の中国語学習の旅が無事に終わります。彼のお蔭で、週に二回中日言語交換をして、日本語が上手になった私は、琉球にも興味をおぼえるようになりました。中国の諺『朱に交われば赤くなる』で、人は交わる友、また環境によって、良くも悪くもなり、人間って、誰でも、周りの人々と環境に深く影響を与えられるに違いない。

台湾と琉球の交通はとても便利です。桃園と那覇の間に、五つの航空会社は飛行機が毎朝と晩二便飛んでます。これから、台湾と琉球の交流がもっと盛んでいくために、私も努力していきます。来年の春、お年寄りの友達を誘って、沖縄北部の国頭村へ参り、桜前線に一番早い花見に行こうと思います。皆さん、どうかご一緒にいかがでしょうか。

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月29日11時30分『京都の北野天満宮正月のための「大福梅」を作る』というニュースです。北野天満宮には、梅の木が1500本ぐらいあって有名です。毎年、神社でできた梅の実で「大福梅」という梅干しを作ります。1月1日の朝に大福梅をお湯やお茶に入れて飲むと、1年元気でいることができると言われています。

「大福梅」とは、北野天満宮の境内で採取し、塩漬けにしたのち天日干しされた梅で作られています。元旦に飲むと、一年間無病息災で過ごすことができると伝わる縁起物です。大福梅は、平安時代、時の帝であった村上天皇が病に伏された際、梅入りのお茶を飲まれたところ、たちどころに平癒された(=王服=大福)という故事に由来しています。

11月27日、神社の女性たちが今年作った大福梅を紙で包み始めました。正月の飾りに使う葉と一緒に実を6個ずつ包みました。女性は「みなさんに1年元気でいてほしいと思って、1つ1つ丁寧に包んでいます」と話していました。神社では大福梅を3万ぐらい用意して、12月13日から売ることになっています。

2000年の秋から2001年の夏まで、京都立命館大学で一年間の交換留学生の生活を振り返って見れば、良かったと思います。あの時よく国際交換留学生と一緒に北野天満宮へ参拝して、学問の神として親しまれる菅原道真(すがわら のみちざね)を祀りました。週末の時に、北野天満宮にある露天蚤の市で安物の古着を探した経験もありました。楽しかったです。
http://www.kitanotenmangu.or.jp/

十一月二十七日(火曜日)2014年に公開された日本映画『思春期ごっこ』を観ました。女子校に通う中学三年生の鷹音と三佳。美術の才能のある鷹音は、「思春期ごっこ」という小説に夢中な三佳をモデルに絵を描いていた。ある日、図書館に行った三佳は、「思春期ごっこ」の作者である奈美江と合わせる。そして、図書館の司書として勤務する奈美江に、三佳は初めて書いた小説を読んでもらおうとする。

高校進学を控えた中学三年生の少女たちの、繊細で多感な思春期の日々を描く青春ムービー。美術に興味を持つ少女と本を読むことが好きな少女をメインに、彼女たちが抱く夢や憧れ、嫉妬などを映し出す。監督は、本作で初めて長編映画のメガホンを取る倉本雷大。少女特有の不安定な感情を表現する、フレッシュな女優陣の演技に注目。

女子中学校生の気持ちを反芻できる映画の一つです。女子仲間の複雑な感情と様々な思春期に起こりやすい問題があります。映画のセリフは、私にとって、あんがい分かりやすくて、いシンプルな言葉です。振り替えしてみれば、自分は思春期がちょと遅いかもしれない。中三の時にやっと月経が来ました。その時、憧れていたのは国語の先生だったが、自分と周りの同級生の体の変化をありま気にしなかったままで、思春期が終わりました。

映画を観ながら、幼い時に、やくやった『かぞくごっこ』を懐かしく思い出しました。図書館好きな私は、嘉義女子高校の時から、校内図書館に通って、還暦を迎えた私は、いま週に四、五回台北市立図書館に通って、図書館通とも言えば、学習マニアともいえるでしょう。

夜、2015年に公開された日本映画『娚の一生』を観ました。西炯子による日本の漫画作品。監督は廣木隆一。榮倉奈々、豊川悦司が初共演。2014年に、三重県、京都府で撮影が行われた。

東京の大手電機メーカーに勤める堂薗つぐみは、長期休暇を田舎の祖母の家で過ごすことにした。まもなく入院していた祖母が亡くなり、つぐみは仕事を在宅勤務に切り替え、そのまま祖母の家で暮らすことにする。翌朝家にいたのは、見知らぬ壮年男性の海江田醇。祖母の教え子で、祖母から離れの鍵をもらっていたと言う。醇と祖母との関係がよく分からないまま、つぐみとの奇妙な同居生活が始まる。

堂薗つぐみは、祖母・下屋敷十和のことが幼い頃から好きでした。弟が生まれる時も、つぐみは十和宅に預けられていました。十和は夫を亡くした後〝工房・とわ〟で染色業を営んでいました。子ども時代のつぐみは、その十和の仕事ぶりを見ていました。

東京のIT企業でばりばり働くようになったつぐみは、妻子持ちの男性・中川との恋愛に疲れて仕事を辞め、鹿児島県の鶴水(つるみ)にある祖母・十和の元に身を寄せます。身体を壊して厚生年金病院に入院した十和の面倒をみていたつぐみでしたが、十和が他界して親族による葬儀が終わると、ぽっかりと空虚な時間が残されました。

祖母・十和の大きな古い屋敷に残されたつぐみは、葬儀の夜、風呂を沸かす気力もなく、誰もいない台所でタオルを絞り、身体を拭きます。翌朝、古い家の雨戸を開いたつぐみは、祖母・十和の歯ブラシを見て改めて祖母の死を思い、泣きました。

コーヒーを淹れていると、庭に突然、見知らぬ男がいます。男は「ええ天気ですね。コーヒーもらってええですか」としゃあしゃあと言いました。誰?と不審に思うつぐみに海江田醇と名乗った男は、自分が角島大学で哲学を教えている教授だと自己紹介します。ついでのように「ゆうべから『離れ』にいます」と付け足しました。海江田は祖母・十和から、離れの鍵を貰っていました。つまりは…年下の愛人?

十和は昔、角島大学で染色を教えており、海江田はその時の学生でした。実は弟が生まれるからとつぐみが預けられている頃、干した染色の布の合間で祖母・十和を海江田が抱きしめていたのですが、つぐみはそんなこと知りません。海江田もはっきり言いません。「鍵はもろてる。そういうことや」で説明は終わりです。

「食事は離れのキッチンで自炊するからお構いなく」と言って去る海江田を、つぐみは唖然として見送るしかありませんでした。とは言うものの、眼鏡を忘れて行った海江田は料理ができず、翌朝、なんとなくつぐみと海江田は食卓を囲みます。「君、味噌汁上手や。味ちょっと濃いけど」と言われつつご飯のお代わりを要求する海江田を、つぐみはどう扱ったらよいのか戸惑いました。そこへきて突然、海江田から「乳見た」発言が出て、吃驚仰天です。独りだと思って台所で濡れタオルで身体を拭くつぐみを、海江田はばっちし見ていました。「出てたら、見るがな、お乳」発言に、つぐみはがびーんとショックを受けます。

その後洗濯機の中にトランクスを見つけたつぐみは、「これ」と返しに行きますが「ぱしゃぱしゃで、ええですよ(洗えという意味)」といなされ、文句を言おうとすると「仕事の邪魔せんとって」と返されます。完璧に海江田のペースです。自分よりも親子ほどの年の違う相手に、つぐみは翻弄されっぱなしでした。

田舎町なので、つぐみの祖母の離れに住む海江田の存在は、あっという間に町の人の知るところとなります。会う人ごとに誰かと訊かれてつぐみは困るのに対し、海江田はぬけぬけと「結婚する予定ですねん」と言いました。つぐみの母・今日子にまで、そう言う始末です。つぐみが噛みついても「『予定』と言うとるやないか(決定事項とは言ってない)」とかわされます。

海江田は一日中、家の離れで何かしら書き物をしていました。訊くと、大学は夏休みでした。「食事と洗濯はつぐみ」「海江田は薪割りと風呂担当」ということにして、つぐみと海江田の奇妙な同居生活が始まります。「君、そこそこ綺麗やのに、手入れしてへんな」「練習や思うて、僕と恋愛してみぃひん」と言う海江田に対し、つぐみは「頭湧いてんのかオヤジ」と毒づきました。

東京からつぐみの親友・岬が遊びに来ました。つぐみと不倫相手・中川との関係を知る岬は、海江田にずけずけと質問します。結果、海江田は京都生まれ京都育ち、独身、一度も結婚したことがないと分かりました。海江田は「なんなら戸籍謄本見せましょか」と言います。

海江田と意気投合した岬は、恋人・小峰との結婚が決まったとつぐみに報告した後、別れ際に海江田とのことを「何かのご縁かも」と耳打ちして去りました。
岬の告げ口(?)で、つぐみが不倫の後遺症で苦しんでいることが海江田にバレます。

鏡を見ておしゃれする気になったつぐみはネックレスをつけますが、買い物や幼馴染みの市会議員・園田のホームページ作りに奔走しているうち、ネックレスをなくしました。ネックレスをなくしても落胆せず、自分を負け犬呼ばわりしたつぐみに、「君は自分を大事にしなさすぎじゃ」と怒った海江田は、雨の中を角島川までネックレスを探しに行きます。

ずぶぬれで帰ってきた海江田の靴下をぬがせたつぐみは、海江田に抱きつかれました。気づくと、首にネックレスがかかっています。探してきてくれたのです。「どうして私なんかのこと」と言うつぐみに「その『私なんかのこと』という言い方が問題なんや」と指摘する海江田は、園田ら地元の人たちとも上手く溶け込みました。

四十九日の法要の日、親族の集まる席で海江田がつぐみとの同棲発言と、結婚宣言をします。寝耳に水の親族を前に、つぐみを「ええ女やからです」「恋なので仕方ありませんでした」と照れもせず言う海江田に、つぐみはひっくりかえり、親族は盛り上がりました。甘い言葉を吐きはするけれど、猛烈にアプローチしてくるわけではない海江田の本心を、つぐみは図りかねます。

そんな時、海江田宛てに「海江田小夜子」という差し出し人から手紙が来ました。小夜子を妻だと思ったつぐみは、手紙を盗み見ようとします。その現場を見られたつぐみは「手紙、読んでもええよ」と言う海江田に対して腹を立てて、後ろを向いて座った海江田の背中を蹴りました。蹴られた海江田は「なんで?」と言います。つぐみはやっと、気持ちのもやもやが嫉妬だと気づきました。

手紙の差し出し人はもう30年以上会っていない、戸籍上の義理の姉からで、手紙の内容は「育ての親が半月前に死んだという知らせ」でした。つぐみ宅に、ある日突然5歳の少年・富岡まことが現れます。母・春美は遠縁のシングルマザーで、祖母・十和に金を借りたことのある女性でした。海江田は母・春美が捨てたのだろうと言い、厳しくしつけます。つぐみは優しく接しました。海江田は、母親が戻って来るという希望を早いうちに諦めさせなければと言います。

一週間経過しても戻って来ない母・春美を探して、少年・まことが家を出ました。慌てて探した海江田は、見つかったまことを叱りつけながらも、強く抱きしめます。その後、迎えに来た母・春美と帰るまことに、海江田は宛名を書いた大量の葉書を渡し「何かあったらこれを出せ」と言いました。まだ字が書けないというまことに「じゃあ、元気やったら○を書け」と告げます。まことの乗るタクシーを追いかけながら、つぐみと海江田は手を振り、まことも泣きながら手を振り返しました。

母・今日子が、つぐみと海江田の仲を偵察に訪問します。つぐみは母に、会社を辞めた報告をしましたが、母はとうに気づいていました。母・今日子は「早く籍を入れろ」とせっつき、つぐみは焦ります。「だってまだ(肉体関係もないのに…)」と言うつぐみに対し、海江田は横で「僕はいつでも準備できてるんですけどね」と添えます。さらに海江田は祖母・十和宅を「なんだったら僕が買いましょか」と言いました。母・今日子はスキップしながら帰ります。

どれだけ本気なのか分かりかねていたつぐみも、ようやく海江田の言っていることが本気らしいと気づきました。つぐみも海江田に心を開きます。そして海江田のノートの奪い合いをして倒れ込んだ時、海江田はつぐみの足の爪先にキスをし、そのまま二人は身体を重ねます。海江田は「京都、行こか」とつぐみを誘いました。

つぐみと海江田は、京都にいる姉・小夜子夫婦を訪ねます。30年ぶりに会う姉・小夜子は海江田をつくづくと見た後「おじさんになってる」と言いました。海江田は身よりのない子どもで、資産家の娘だった義理の母が引き取って育てました。それが戸籍上の義理の母です。しかし海江田が高校ニ年の時に母に求婚する人が現れ、遠慮した海江田はそのまま家を出ました。親子関係に敏感な海江田は、それ以来、姉や母とは会っていませんでした。姉・小夜子は海江田に寄り添うつぐみを見て安心します。海江田も「人間関係に疲れていた」「もう人を好きになることはないと思っていた」と言いました。十和とのことは片思いだったようです。

やっと海江田とつぐみの思いが通じた矢先、つぐみの不倫相手・中川が訪ねてやって来ました。「離婚が成立したら、結婚してくれ」と言います。海江田は中川と庭先で取っ組み合いのけんかを始め、中川は失神しました。驚いたつぐみは中川に付き添って病院まで行き、眼窩底骨折で中川はひと晩入院します。
病室で改めてプロポーズする中川に「私はあなたとは結婚しません」と断ったつぐみは帰宅しますが、海江田がいなくなっていました。

その頃、海江田は競艇場にいたのですが、競艇場のベンチの木の隙間に〝離れ〟の鍵を落としてしまっていました。強い台風18号が鹿児島を襲います。近所の佳代おばあちゃんは山の斜面の近くに住んでおり、つぐみは心配してうちへ避難するよう言いました。佳代をおんぶして移動しますが、土砂降りで転倒します。そこへ海江田が懐中電灯を持って現れました。佳代を代わりにおぶって歩く海江田を、つぐみは頼もしく思います。

雑誌に『大人の悩み相談室』のエッセイを書き始めた海江田は、好評です。つぐみとやっと入籍し、祖母・十和宅の表札は「海江田」になりました。つぐみと海江田のところへ、大きな赤い○を書いたまことからの葉書が届き(母・春美は夜の仕事ではなくパートの仕事を見つけた模様)、二人はそれを眺めながら微笑みました。

鶫 つぐみ
娘どもは相応なところへ嫁いでいる そうおう とつぐ
染色工場 せんしょく
戸籍謄本・戸籍抄本 とうほん しょうほん
吃驚仰天 びっくりぎょうてん きっきょうぎょうてん
薪割り まきわり
枯れ専 カレセン、かれせん
負け犬のジューリー 遠吠え とおぼえ
四十九日の法要の日 ほうよう
ダーリン; ダーリング
眼窩底 がんかてい

確かにインターネットが便利です。日本語の映画は日本語字幕がなくても、インターネットで映画のあらすじを検索したら、全部の内容が見つかって、日本語の勉強が一応出来ます。

十一月二十八日(水曜日)午前中、2016年公開された日本映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』を観ました。宮藤官九郎の4作目の監督作品でもあり、TOKIOの長瀬智也と神木隆之介のダブル主演作でもあった。

修学旅行で乗っていたバスが事故に遭ってしまった男子高校生の関大助はふと目を覚ますと、炎が渦を巻く中で人々が苦しめられている光景が目に飛び込んでくる。地獄に落ちたと理解するも、同級生の手塚ひろ美に思いを告げずに死んでしまったことに混乱する大助。そんな大助の前に、地獄死立農業高校軽音楽部顧問にしてロックバンドの地獄図(ヘルズ)のリーダーである赤鬼のキラーKが現れる。キラーKは閻魔の裁きによって現世に転生するチャンスがある事を大助に告げた。キラーKの指導と特訓のもと、大助は地獄から現世に戻ろうと悪戦苦闘するのであった。

友人の松浦にバスの席を代わってほしいと頼む大助。へそに梅干しを貼り付けてまでも頼んだのはそこが大好きなひろ美ちゃんの隣だったからだ。松浦に席をもらった大助だったが上手く話しをすることは出来なかった。そしてある瞬間にバスは道路を飛び出し崖を落ちて行った。目を覚ました大助の前に不思議な恰好をした男が立っていた。

彼はロックバンド「地獄図ヘルズ」のボーカルとして地獄で活躍するキラーK。彼はバンド仲間のCOZYと邪子を連れ大助のように死んで地獄へ来た者に道を教えていた。そう、大助は修学旅行の途中で死んでしまったのだ。大好きなひろ美ちゃんとキスも出来ずに死んだことで落ち込む大助。しかし大助にはまだチャンスがあった。地獄に落とされた人間はそこでの成果により週に一度閻魔校長から転生のチャンスを与えられるのだ。転生は全部で6種類。その中には現世に人間として蘇る道もあった。閻魔校長に認められれば人間として戻ることが出来た。そしてもう一つ、そこには地獄と対をなす天国へと行く道もある。しかし地獄から天国へ行った者は誰一人としていなかった。そして転生のチャンスは7回だけとなっていた。

大助の目的はただ一つだけだった。人間として現世へ戻る、そして憧れのひろ美ちゃんとキスをするのだ。そのために彼は地獄での成果を上げるため必死になった。地獄にも現世と同じように学校がありクラブ活動があった。それに加え地獄では農業もしていた。それらで成果を上げることで閻魔校長に新たな道を示してもらうのだ。そうこうする内に閻魔校長と会う日になった。あまりの体の大きさに驚きながらも大助は彼の声を待った。そして示されたのは畜生の道。

それは即ち獣として現世に戻るということだった。目を覚ました大助は見覚えのある場所にいた。そこは彼が生前通っていたバンドの練習所、スタジオパンダのトイレだった。さらに驚いたことに鏡に映った大助の姿はちっぽけなインコだった。インコになってしまった大助は実家に向かうことにした。悲しむ母親と自慰行為にはげむ弟を横目に大助は自分の携帯を探し出した。そして慣れない体でひろ美ちゃんへメールを送る。あなたが大好きです、と。それからはインコを大助の生まれ変わりだと信じる家族と共に生活し、やがて寿命が尽きたことで再び地獄へと戻ってきた。

彼がインコとなって十年近く経っていた。しかし現世と地獄では時間の進み方が違い、現世での十年は地獄ではたったの一週間だった。そうして数日ぶりに大助と再会したキラーK達は改めて彼に自分達の目的を告げる。この地獄で行われるバンド同士の対決、それを制した者が天国への切符を手にする。COZYと邪子は共にあと一度のチャンス。これを逃すと二人は完全に鬼となり地獄から出る事が出来なくなってしまうという。キラーK達ヘルズの三人は元は大助と同じ地獄へ来た人間だった。

大助の熱い想いに心撃たれた彼らは大助にヘルズに入ってほしいと頼む。しかし今の大助には現世でひろ美ちゃんに会う以外の選択肢はなかった。そんな大助が次に示されたのはザリガニだった。現世へ戻ると同じスタジオパンダのトイレであった。どうやらここが地獄と現世を繋ぐ場所であるようだ。またしても慣れない体でなんとか外へ出るもスタジオパンダの目の前で通りかかったおばあさんに踏まれてしまい三度地獄へと戻った。

その次にアシカとなった彼は水族館へ連れて行かれショーに出された。そこで運命的な再会を果たした。ひろ美ちゃんを見つけたのだ。年月が経っていたにもかかわらず大助にはすぐに分かった。そしてあまりの事にわき目もふらず飛びついた。そしてイスに頭をぶつけまた地獄へと戻っていた。地獄へと戻った大助はあることに気付いた。キラーKは昔スタジオパンダで働いていた。そこでその時彼は店の前の売店で働く通称死神と呼ばれる女性と交際していた。そしてキラーKには子供がいた。それはキラーK本人も知らなかった。

次に犬となった大助がいたのは焼き肉屋となった元スタジオパンダだった。昔ひろ美がよくいた場所へ向かった。そこにはある女の子がいた。そこに水族館で見たあの女性がきた。まさしく彼女がひろ美だった。そしてそこにいる少女はひろ美の娘だった。ひろ美は娘に言い聞かせるように話していた。好きな男の子がいたこと、彼はひろ美に好きだと伝えた数日後亡くなってしまったこと、そして彼が亡くなった後メールが届いたこと、今の家族を愛していること。大助は静かにその場を離れ焼き肉屋へと戻った。そこで大助の目に写ったのは炎に包まれる元スタジオパンダだった。まだ出てこない死神と息子を探すため火の中に飛び込んだ大助、死神と息子を見つけるも犬となった彼の力は及ばず地獄で目を覚ますことになった。キラーKは生前ある曲を作っていた。長いブランクを経て作られたその曲を死神に届ける途中亡くなってしまったのだ。そして彼にとってその現世での人生が七度目だった。

以来キラーKとしてこの地獄に留まっていた。大助はヘルズに入る決心をした。例のバンド対決で勝利し天国へ行った死神と息子にその曲を聞かせるのだ。大助の猛特訓が始まった。そしていよいよバンド対決の時、大助達と戦うのはかつて大助と同じクラスにいたじゅんこだった。彼女は卓越した技でヘルズを圧倒するもCOZYや邪子もそれに引けをとらず結果大助を残し皆閻魔校長により獣へと姿を変えられてしまった。そして残った大助は彼らの協力を得て見事閻魔校長に認められ天国へ行くことになった。

大助は天から伸びる光に吸い込まれるように上っていった。着いた先は真っ白な空間だった。両側にベッドのような物がずらっと並び静かに流れていた。中には人間の姿が。彼らは死んで天国に来た人間たち。ここで各々自由な時間を過ごしていた。自分のベッドへ案内された大助は向かいに流れるベッドに死神と息子の姿を発見する。そしてこの静かな空間の中で二人に向かってただひたすらに歌った。キラーKの作ったあの曲を。そして二人は見えなくなった。ベッドの上では何でもできた。ボタンを押すだけですぐに食事もセックスも。そして大助は「自殺」と書かれたボタンを押した。地獄へ戻った大助の体は完全に鬼へと変貌していた。そして驚くキラーK達にこう言った。天国は退屈だ。地獄より地獄だった、と。以上、映画TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬのあらすじと結末でした。

天誅 てんちゅう
真空管 しんくうかん
死神 しにがみ
偏差値 へんさち
過ちを悟る さとる
閻羅王 えんらおう、略して閻羅、閻王、閻とも。
いんこ
生き返る
息を引きとめる
忌日 きじつ、きにち
ださい田舎者
土下座して謝まる どげざ
崖から落ちる がけ
現世 げんせ

仏教十界(じっかい)とは地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界に分類され、これらの総称が十界である。

六道(ろくどう、りくどう)とは、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。 六趣、六界ともいう。六道は天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)という。

四聖(ししょう)を悟界(ごかい)という。最初の二つは「声聞」(しょうもん)と「縁覚」(えんがく)と呼ばれる小乗の「阿羅漢」による世界、次は大乗の「菩薩」による世界、そして最後はそれらを越える存在として、仏陀や諸仏を指す「如来」の世界を表している。

五戒(ごかい)とは、仏教において女性・男性とを問わず、在家の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒(シーラ)のこと。
不殺生戒(ふせっしょうかい)生き物を故意に殺してはならない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)他人のものを故意に盗んではいけない。
不邪婬戒(ふじゃいんかい)不道徳な性行為を行ってはならない。
不妄語戒(ふもうごかい)嘘をついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい)酒などを飲んではいけない。

音楽、バンド、ライブコンサートが大好きな私は、想像力の高くて、面白い映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』がお薦めです。上手に書かれた脚本、でかい大げさの道具と飾りと衣装、バンドのメンバーの対決、人間性たっぷりのドラマでした。世界中ロックバンドと人気歌手に詳しい観客にとって、もっと映画を楽しめるでしょう。仏教に教わる輪廻の六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)を見せて、仏教の言葉をいっぱい勉強して、人間にいる私、いつか悟れることが先のことですが、毎日五戒を破れることは事実です。地獄のHellと天国のHeavenと頭文字は、Hです。人間は死んでから地獄へ、それとも天国へ、どちへ行っても、友達が待っているはずなので、寂しくないです。

十一月二十九日(木曜日)最近台湾に詳しい日本人作家の本をいっぱい読んでます。台湾鉄道に詳しい片倉佳史を始め、政治評論家の野嶋剛が書かれた本も何冊読み終えました。外国人の視線から見る台湾を知り、自分が長く分かる台湾も少し変わるでしょう。

2018/11/27

勝敗は戦の常

皆さん、おはようございます。先週土曜日、台湾史上一番複雑な2018年台湾地方選挙は、無事に終わりました。公民投票を含めて、一人当たりは多くとも15枚の投票用紙をもらって、しかも18歳の青年が初投族がいて、投票の行列が信じられない程長かったです。台北には、投票と開票を同時に行って、深夜まで開票が続けました。今回の台湾地方選挙の投票率は66.27%でした。

2018年台湾地方選挙はおもしろくて、マスメディアから大量の関心を注いで、各地の候補者の底力があるところをいっぱい見せました。選舉って、勝つ者がいれば、負ける者もいます。惨敗を喫した候補者と大勝を味わった候補者は、次の四年後の地方選挙のために、今から腕を振るわなければならないです。勝利者はこれから本当の勝負の道を歩み始めると私は思います。

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月26日16時10分『2025年の万博を大阪で開くことが決まる』というニュースです。「万博」は、世界の国が参加して文化や技術などを紹介する大きなイベントで、世界中からたくさんの人が集まります。23日にフランスで開かれた会議で156の国が投票をして、2025年の万博は大阪で行うことが決まりました。大阪では1970年にも万博を開いていて、55年ぶり、2回目です。

2025年の万博は、5月3日から11月3日まで大阪市の夢洲という人工の島で開きます。会場をつくるのにかかるお金は1250億円ぐらいで、日本政府、大阪府と大阪市、経済のトップが出します。大阪府の松井知事は「参加した人たちが世界の問題について考えるような万博にしたいと思います」と話しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2025年国際博覧会
https://www.expo2025-osaka-japan.jp/overview/

国際的な大きいイベントが次から次へ日本に行うことは本当に羨ましいです。2020東京オリンピックとか、2025大阪万博とか、いずれにしても、生きている限り、私は見学に行くつもりです。いつか台湾でも、国際イベントを主催することができように、心より祈っております。

十一月二十三日(金曜日)沖縄からの日本友人を連れて、台湾市立図書館景新分館の日本語教室へ行って、沖縄と台湾の交流会を開きました。琉球友人のスピーチの原稿の抜粋を御覧下さい。
『皆さんこんにちは。私は日本の沖縄から来た日本人です。私は今年で五十三歳になります。…沖縄について紹介させてください。沖縄は約140年前までは、独立した琉球王国でした。明(中国)との交易も盛んでたくさんの文化が琉球に入ってきました。現在でもシーサーと呼ばれる獅子や清明祭りやお盆行事などの似たような風習や文化が残っています。また台湾と沖縄は位置的には近く(与那国島で110km)昔から様々な交流がなされてきました。気候も同様で食べ物は似たような材料、料理方法も数多くあります。是非皆さんも沖縄に行く機会があれば共通点を見つけてください。楽しい旅になると思います。…
今から27年前に台湾の高雄県の永安郷という小さな村で仕事をさせていただきました。その時は天然ガスの貯蔵タンクを作りました。そのとき台湾の人たちにお世話になり台湾が好きになりました。今回台湾にきたのはそれ以来の27年ぶりの台湾になります。…今回の目的は、中国語の勉強と台湾の文化・歴史を実際に生活して感じることでした。中国語はやはり難しくいまだにほとんどできません。しかし今回の滞在でたくさんの場所に行けたこととたくさんの人と交流できたことはとてもいい経験になりました。将来の夢は、沖縄で小さな民泊を経営することです。6年後の60歳からのスタートを目指しています。そこは海外からのお客さんがたくさん来る交流の場としての役割と私の生まれ育った沖縄を世界中に知ってほしいためです。
沖縄も台湾も地理的、歴史的にも政治的にも周りの大きな国の影響を受けてきました。未来へ進むためには、過去の歴史も踏まえて豊かな未来が創造できると考えます。それらを伝えて行きたいと考えています。最後に母の故郷沖縄の北部の国頭村について紹介させてください。何もない村ですがとても静かで心が安らぎます。2年後の世界遺産登録が有力視されています。安らぎの場として沖縄を訪ねてみるのもいいかもしれません。今日は皆様ありがとうございました。また是非台湾を訪れたいと思います。』

お昼を読書会の仲間と一緒に珍味海南鶏飯でしながら、話し合いました。楽しい一時でした。来年2月の半ばに国頭村で花見に行こうと思います。春海を眺めると、『めがね』という日本映画が鹿児島の与論島で撮影された「たそがれ」できる雰囲気を頭に浮かびました。与論島は国頭村と24キロ離れます。真っ白な砂浜に青い海の景色を眺めるだけで、春海を存分に感じられるでしょう。バーベキュー、ビーチバレーなど遊び方もいろいろ。これから台湾琉球交流会を作る予定です。

話の間に、日本語の先生の劉さんが2008年に台湾・玉山社が出版された片倉佳史が書かれた『台湾駅・スタンプと風景印の旅』を見せました。翻訳者の
劉先生の誇りです。現場で、皆は一人一冊の本を注文しました。
https://www.facebook.com/huukeiin/posts/1374451949350087

午後、新店にある裁判所へ行って、大陸北京市内にある不動産の相続権を放棄する声明しました。

夜、2016年公開された日本ドキュメンタリー映画『海の彼方』を観ました。監督・黄インイク(黃胤毓)。石垣島の台湾移民家族三世代に渡るストーリーを描いた『海の彼方』は、石垣島に渡ったパイン農民たちの軌跡をたどったこの映画では、歴史に翻弄されながらも力強く生き抜き、今は多くの孫やひ孫に囲まれる「玉木おばあ」とその家族のふれあいが描かれ、温かな家族愛にあふれる作品に仕上がりました。

沖縄・石垣島に移り住んだ台湾移民たちをテーマにしたドキュメンタリー。1930年代、日本統治時代に石垣島へと移住した台湾移民。パイナップル栽培、水牛耕作という技術革新を日本へもたらした台湾移民は、日本の敗戦によりアメリカの統治下となった沖縄で、1972年の返還まで台湾人とも日本人とも認められない無国籍になってしまった。そんな台湾移民のひとりである玉木玉代おばあは、石垣島を擁する八重山諸島で百人を超す大家族に囲まれていた。米寿を迎えたおばあは娘や孫たちに連れられ、長年の悲願であった台湾への里帰りを果たすが、70年という歳月は、想像よりはるかに大きな時代の変化をもたらせていた。

沖縄・八重山の台湾移民を描いたドキュメンタリー映画第二弾『緑の牢獄』黄インイク監督インタビュー https://www.taipeinavi.com/special/80004172

十一月二十四日(土曜日)午後、投票所の前に、信じられない程の行列で、一時間半以上待ってました。結局、いくら国民の責任を負っても、投票所の外に待っている外国友人を長く待たせないように、公民投票のことをやめました。

夜、借りやの日本人へのサヨナラパーティを開きました。韓国人一人、日本人一人、琉球人一人、と台湾人二人と、選挙の結果を見ながら、台湾と日本の未来を話し合いました。

十一月二十五日(日曜日)午前中、主人と新店の山を散策しました。午後、景新図書館一階で、来月十五日の演出を二曲リハーサルしました。例の通り、仲間と一緒に景美夜市で、豆花を食べながら、いっぱい話し合いました。

夜、2016年公開された実写映画『猫なんかよんでもこない』を観ました。杉作による日本のノンフィクション漫画作品。略称は「猫よん」。モデルとなったニ匹のちっぽけなネコの実話を元に、原作者・杉作の目線から描いたエッセイ作品。深くしみいる、大人の実録猫マンガ。本作を描き始めた時点で、モデルとなったクロとチン子は既に亡くなっている。

無愛想な黒猫と暮らすことになった、プロボクサーのミツオ。漫画家の兄に猫の世話を頼まれた。猫なんか大嫌いだったミツオ、やっとB級からA級に辿り着いたが、網膜裂孔のせいで、簡単に網膜が剥がれるので、ボクシングの夢が断たれた。兄が結婚するために、田舎に引っ越しました。不器用さにニヤニヤ、ゆるゆるなごんで、最後にホロリ。雌のチン子が不妊にしてから、おとなしくなって、毎日ずっと家にいるが、雄のクロが去勢してないまま、近所の猫と喧嘩ばかりして、毎日傷だらけで、家に戻って、一度ボスになってが、結局猫免疫不全症候群(言わば猫エイズ)に罹って、死にました。

漫画家を目指してたミツオ、最初はボクシングについての漫画が何冊も描いて、ほとんど落第でしたが、実録猫マンガに挑戦すると、大ヒットになりました。

白昼夢、夢想、空想 はくちゅう むそう くうそう
猫のお世話係り
うんこ
勝利の女神 めがみ
網膜裂孔 もうまくれっこう
レザー
去勢する きょせい
蜥蜴のしっぽ切り とかげ

映画監督にとって、動物の撮影が難しいとよくいわれたますが、この感情溢れる猫の映画を観て、涙がでるほど感動しました。プロボクサーの強い人間と弱いちっぽけなネコの間に、愛の絆ができて、最高でした。

十一月二十六日(月曜日)午後、2015年には公開された映画『テラスハウス』(TERRACE HOUSE BOYS×GIRLS NEXT DOOR)を観ました。元々はトヨタ自動車がスポンサーに就いており、ネットフリックス配信のテレビ番組のスタッフによって製作されたスピンオフのテレビドラマ『トランジットガールズ』が「土ドラ」だった。「台本がない」という台本のもと、一つ屋根の下で複数の男女がシェアハウスする様子を記録したリアリティ番組である。番組からは家と自動車(番組のスポンサーであるTOYOTA製)2台が用意されている。また共同生活でのルールは特に設けられておらず、共同生活終了時は自己申告後に退去する。

台本なしの映画には、ファーストフードの恋愛がちょっとつまらなくて、中途半端にしました。

2018/11/23

言葉遊び

皆さん、おはようございます。いよいよ明日は2018年台湾地方選挙の日です。投票の日が近づいて、候補者達の間に戦いの激しさをはなはだ増していて、台湾各地の屋台、特に高雄で、急に集まって、賑やかになりました。世界各地の報道機関も好奇心がそそられました。候補者たちは誰が競争に勝ち抜くには戦略や工夫が不可欠ですが、いったい2018年台湾地方選挙の結果はどうなるでしょうか。

正直にいうと、以前、台湾政論のテレビ番組に絶対敬遠してた私は、この一が月間ユーチューブに出る台湾政論の番組に目をじっと見つめる程になりました。インターネットに出る政論権威者が演説に巧みなユーモアを交えて、雄弁力に驚きました。2018年台湾地方選挙のお蔭で、最近台湾各地の住民が民生問題への関心をわかり、ちなみに私の台湾語も上手になりました。

戸籍を去年台北に移した私は、初めて台北市民として、投票します。今夜は選挙の夜、投票する前に最後の夜で、台北市国民党候補者を応援する人々が総統府の前に集まり、民進党の候補者を応援する人々が台北市役所の前に集まり、できれば、私はどちとも見学に行くつもりです。現場で台湾人が選挙に持つ情熱を実感したいです。明日の夜には、台北にある自宅で、お友達とテレビをみながら、ビールを飲んだり、お喋りしたりして、歓談会を開きます。どうぞ、ご一緒に!明日の2018年台湾地方選挙の結果を分析するのをお楽しみに。

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月22日16時15分『イースター島の人たちが大英博物館に「モアイ像を返して」』というニュースです。イギリスのロンドンにある大英博物館には、高さ2m以上の「モアイ像」があります。モアイ像は、チリのイースター島で17世紀ごろまでに1000ぐらい作られた石の像です。20日、イースター島の人たちが大英博物館に行って、モアイ像を返してほしいと言いました。

イースター島の人たちは、モアイ像には先祖の魂が入っていると信じています。「今の私たちには体があるだけで、魂はイギリスにあります。子どもたちのためにも返してほしいです」と涙を流しながら話しました。大英博物館によると、このモアイ像は150年前にイギリスの海軍がイースター島に寄ったときに持って帰った物です。モアイ像は博物館にくる人たちにとても人気があります。島の人たちは、代わりに同じような像を作って贈ると言っています。博物館は島の人たちと話し合うと言っています。

イースター島は南米のチリから約3700キロの距離にある。島民は重要な祖先を表すモアイ像を建造した。モアイ像は1000体近く存在していたが、多くは時の経過とともに地中に埋まった。モアイ像の高さは最も大きいもので20メートルを超す。十七世紀の大英帝国は日は落ちない強国でした。大英博物館にはチリのイースター島からの「モアイ像」ではなくて、エジプトから、中国からの文物がたくさんあるので、これから各国から大英博物館に「国の大切文物を返して」の声が絶えないかもしれません。

十一月二十日(火曜日)午後、中日言語交換があって、相手は沖縄人なので、松田良孝が書かれた「八重山の台湾人」と「予那国台湾往来記ー国境に暮らす人々」について、台湾と琉球の関係を話し合いました。私は今年六月の半ば、初めて沖縄と石垣まで足を伸ばしました。沖縄と石垣に対しての第一印象は、台湾はよく似てます、食べ物も、人の顔も、区別できないと思います。八重山は沖縄から台湾より遠いくせに、なぜ日本の一部になりましたか。歴史を遡り、明時代とか、宋時代とか、八重山人の根源を探してみます。

十一月二十一日(水曜日)午前中、今年アメリカで最も有名な文学賞の「全米図書賞」の翻訳文学部門に、多和田葉子さんが日本語で書いた「献灯使(The Last Children of Tokyo)」が選ばれました。「献灯使」は、大きな地震や原子力発電所の事故が起こって、外国との交流をやめた未来の日本を想像して書いた小説です。多和田さんは「この小説には日本語の言葉遊びがたくさんあります。うまく英語に翻訳した人の技術がすばらしいと思います」と話していました。

多和田さんが今年「全米図書賞」を受賞するニュースを聞いた私は、すぐ台北市立図書館から借りた中訳の「献灯使」を読んで、多和田さんのおっしゃる通りに「献灯使」に日本語の言葉遊びがたくさんあります。漢字の同音異義語の「献灯使」と「遣唐使」とか、「入試」と「乳歯」とか、「診断」と「死んだ」とか、「道」と「未知」とか、外来語の「民なる」と「タミナル」など、日本語を勉強している私にとって大変勉強になりました。多和田さんは沖縄の農業について、「献灯使」にいっぱい書けてあるので、もしかすると、多和田さんの祖先は沖縄人かもしれません。

多和田葉子氏による『献灯使』朗読
https://www.youtube.com/watch?v=ywXTGBfdkzo
https://japaneselit.net/2018/09/30/the-last-children-of-tokyo/

午後、音楽会に参加して、デビューして間もなく三十年になる周美蒂さんは泰雅族の原住民です。美しい声の持つ周美蒂さんは観衆から次から次へのリクエストに応えて、過去台湾に流行ってた歌を20曲も歌いました。素晴らしかったです。

白米酒 周美蒂 作詞:巴奈  作曲:巴奈
https://www.facebook.com/fullofshine/videos/316988052471486/

白米酒 我愛你 沒有人能夠比你強 
我為你癡迷 我為你瘋狂 真教人如此著迷

一杯一杯我不介意 沒有人能夠阻止我~我~我
我醉了醉了 沒有人理我 千杯萬杯再來一杯

我醉了醉了 沒有人理我 千杯萬杯再來一杯
我醉了醉了 沒有人理我 千杯萬杯再來一杯

夜、2014年公開された日本映画『リトル・フォレスト』を観ました。五十嵐大介による日本の漫画作品、作者自身が岩手県衣川村(現:奥州市)で生活した際の実体験をもとに、大自然に囲まれた小さな集落で暮らす一人の女性の姿が描かれている。監督森淳一、主演橋本愛により『夏』『秋』『冬』『春』の4部作である。

夏:スーパーも大型店からも離れた東北の小さな集落・小森に住むいち子は、田畑を耕し自給自足に近い生活をしている。畑仕事の合間、いち子は夏の湿気対策のため点火した薪ストーブでパンを焼き、自家製の米サワーを友人のユウ太と分けあったりする。いち子は都会で男の人と暮らしたが馴染めず小森に戻ってきていて、この村だけでなく都会にもあったグミの木と彼との思い出を回想して実を採り酸っぱいジャムを煮る。

いち子の作る料理は母の福子から教えられたもので、ウスターソースもヌテラも自分で作ってしまう彼女のもとで育ったいち子は、それらが街で商品として売られていることを知らずに驚くことが多かったため、言葉よりも体が感じたことを信じ、何でも自分でやってみないと気がすまない気性の持ち主になった。ミズとろろが食欲をそそる季節には、いち子はユウ太と養魚場でアルバイトをし、キャンプ場のシゲユキからイワナの焼き魚と味噌汁を御馳走になる。

ユウ太もまた都会から戻ってきていたが、彼は都会の人々の、自分自身の言葉を持たず、食べるものも「他人に殺させておいて、殺し方に文句をつける」ような空虚さを嫌悪している。いち子は彼と比べて自分は都会から「逃げてきた」のだと思う。雨の多い小森ではいち子の好きなトマトが育ちにくく、まわりの農家ではビニールハウス栽培をしているが、いち子はハウスを建てると自分がこの土地に居ついてしまうようだという葛藤があり、効率の悪い露地栽培を続けている。

秋:秋が訪れると小森の人々は山の動物たちと競争しながら自然の恵みを味わう。いち子はアケビの実を食べたあと皮をサブジ風の炒め物にし、稲刈りの時期には去年の米と堅いクルミの炊き込みご飯をお弁当にし、キャンプ場で獲った季節最後のイワナを南蛮漬けにする。集落の人々の間では一時栗の渋皮煮が流行してそれぞれの味を競い、冬を前にサツマイモやサトイモなどの保存に工夫を凝らす。

いち子は合鴨農法のために飼われている合鴨を自ら絞め、解体し、料理をつくる。台所に立ちながら、いち子は5年前に突然家を出ていった母のことを思う。いち子は母の雑草をほったらかしにする農作業や料理はずぼらだと思っていたが、同じ青菜のソテーを作っても母のものほどおいしくならない。あるときいち子は、母が青菜の筋取りをし、丁寧に料理をしていたことに気付き、いい加減だったのは自分のほうだと思う。霜が降りるころのある日、母からの手紙が届く。

冬:いち子の母は時折訪れる外国人の客人のために赤と緑のニ色の生地に分かれたクリスマスケーキを焼くことがあった。いち子は自分なりにアレンジして黒米の甘酒とカボチャで紫と黄色のケーキを焼き、キッコとユウ太を招いて「年忘れお茶会」をする。正月を迎える頃の一番の御馳走は、分校の餅つき大会で食べる、つきたての砂糖醤油仕立ての納豆もちで、分校が閉校になった今は家庭のもちつき機でつきたてを楽しむ。

小森の冬は深い雪に覆われ雪かきに追われる厳しいものだが、外気で凍らせた凍み大根や秋から保存する干し柿をおいしくするのも冬の寒さである。いち子は街にいた頃、節約のために部屋でラディッシュを育てた。バイト先の男の子のために味噌焼きおにぎりと母直伝の卵焼き、ラディッシュの即席漬けで弁当を作るが、彼が他の女の子からもらった手編みのマフラーをバカにしているのを聞いて渡せないまま終わった思い出がある。ストレスを感じたときは甘い餡子入りおやきや饅頭、アズキのマフィンを作って食べ解消するが、タイミングが大切なアズキ栽培や餡子作りに、いち子は昔小森を出るのが早すぎたのだと思う。

ある日いち子はキッコに他人と向きあって来なかったことを指摘され気まずさを抱えたまま、ふと思いついて小麦ふすま入りのはっとを作り、寝かせながら雪かきに出かける。家に帰るとキッコは仲直りに手作りのカレーを持ってきて、いち子ははっとの生地をチャパティ風に焼き、二人で一緒に食べる。冬に食べるための塩漬けのワラビが足りなくなり、いち子は自分は働き者の小森の人々と違って「かばねやみ」(怠け者)なのだと思う。ユウ太にも、大事なことから目を逸らしていると指摘されてしまう。冬の空はいち子の心のように、青空と黒い雲の二つに割れている。

春:小森の春は梅や桜の満開とともに山菜の旬と田植えの季節が一度にやってくる。いち子も山へ入り、タランボなどを摘んで天ぷらにする。しかし春になっても大雪に見舞われることがある。母が失踪したときも大雪だったのに、いち子は雪かきを手伝わず、ばっけを摘んでおいてくれるよう頼んで出かけた。母はばっけ味噌を残して家を出た。いち子は一人になってからの労働の大変さに母の苦労を想い、自分は母にとって本当に家族といえたのだろうかと考える。

春は雑草として耕作の邪魔になるつくしを山ほど採って佃煮にするが、下ごしらえの苦労にひきかえできあがる量は僅かである。それでも自然の恵みといってロマンを語るユウ太に対し、いち子は自分はこういう男性に弱いと思う。薪割りの手伝いにきたキッコに、いち子はノビルと結球しなかった白菜の蕾菜、塩マスでパスタを作ってふるまい、その後キッコが薪割りをしながら語る職場の愚痴を聞く。キッコは山から下りた祖父に悪口を叱られ気が抜けるが、ストレスは解消する。いち子は、シンプルな味付けやかき揚げがおいしい春キャベツでケーキ作りを思いつく。世界初の発想と思い込み有頂天になったいち子だが、味見したユウ太の感想は「お好み焼き」だった。

失踪前、母はジャガイモを混ぜたパンが得意だったがいち子には二十歳になるまで作り方を教えないと言った。秋に届いた手紙には失踪の言い訳と近況が書かれていたが、パンのレシピはなく、人生は同じところを廻るようで円ではなく螺旋状なのだというようなことが綴られていた。いち子は秋に収穫するジャガイモを今年は植えないと決意し、小森を離れる。その後いち子が残したタマネギの畑を守るキッコとユウ太は、街でも自分の居場所を見つけて戻ってくるくらいでないと小森に失礼だからといって去った彼女のことを、すぐに戻って来るだろうと語り合う。

五年後、いち子は結婚相手とともに小森に帰ってきて、キッコはユウ太との間に子どもをもうけている。旧分校のステージで、いち子が人々の前で神楽舞を披露し、それに全編からの場面を重ねて物語は終わり、エンドロールは小森の人々の日常生活を映して終了する。

五十嵐大介『リトル・フォレスト』
http://www.moae.jp/comic/littleforest/1?_ga=2.63520495.1913636129.1542887751-1520154585.1542887751

自然主義に溢れるこの映画に、主人公のいち子は母が家出してから、自立に生きて、四季の春夏秋冬を移り変えると共に、自給自足の生活を送ることを見て、素晴らしいと思います。小さな森の中に、一戸建ての古民家があって、自然と遊ぶ毎日は修行ともいえるでしょう。心身とも清めます。伝統的な日本料理も出来るようになりました。

十一月二十二日(木曜日)午前中、景新図書館でパステル絵教室の友達を誘って、図書館一階のロビーで、半坪のタップダンスの板に三枚アクリル絵を完成しました。

夜、2015年公開された実写映画『ヒロイン失格』を観ました。幸田もも子による日本の漫画作品。女の子は誰しも自分が恋愛物語のヒロイン(主人公)になることを夢見るもの。高校生・松崎はとりは、幼なじみで同じ高校に通う寺坂利太に、密かな恋心を抱いていた。キャッチコピーは「私を好きな人か。私が好きな人か。」

利太は、その端正な顔立ちから、女の子に非常によくモテ、これまでいろいろな女の子と付き合ってきたが、ほとんどが長続きしなかった。はとりは、利太がいろいろな女の子と付き合っても、それらの女の子はあくまで脇役で、利太が最後に選ぶ彼女ははとりで「利太のヒロインは、絶対に自分だ」と根拠のない自信を持っていた。

しかし現実はそんなに甘くない。ある日、安達未帆が不良グループに絡まれているところを利太が助け、それをきっかけに利太と未帆が付き合い始めた。
未帆は地味で控えめな性格であったので、はとりは初め、「新たな脇役が一人増えただけ」と高をくくっていたが、未帆の「私は寺坂くんが今まで付き合ってきた彼女たちみたく、寺坂くんとすぐに終わりたくない。長い目で見て最後に私を選んでくれればいいなって・・・・・・」との発言を聞き、未帆が利太に対し自分と同じく考えているのを知り、「利太の本当のヒロインは、自分はとり)」という絶対の自信が、急速に崩れ始めた。

ヒロイン失格
赤の他人a complete [an utter] stranger
雑魚キャラ ザコ
通行人 つうこうじん
駆け落ちする
敵 かたき 味方 みかた
エキストラ
嫉妬心がむらむらと起こった しっと
偽善者 ぎぜんしゃ

また女子高校生の映画を見て、純情の愛情を満喫して、本当に癒されました。

2018/11/20

四半世紀のAPEC

皆さん、おはようございます。木曜日の感謝祭に、七面鳥を食べる時、誰に一番感謝しますか。台湾の嘉義に生まれた私は、宝島の台湾の土地に、まず感謝します。次は、希望と勇気と情熱を持つ台湾人に感謝します。自分の土地を思い存分に愛する、自分の国をいつも支える台湾人は、私の誇りです。今週いっぱい2018台湾地方選挙があります。皆さん、ぜひ感謝の気持ちを込めて、投票しなさい。2018台湾地方選挙の投票率は、75パーセントを超えるのを目指しましょう。

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月19日16時35分『APEC アメリカと中国の対立で首脳宣言を出さないで終わる』というニュースです。パプアニューギニアで開かれていたAPEC=アジア太平洋経済協力会議が「首脳宣言」を出さないで終わったのは、APECが1993年始まったから今までで初めてです。17日と18日、日本やアメリカ、中国、ロシアなど21の国や地域のリーダーが集まった会議では、貿易の問題で中国とアメリカが対立しました。

中国の習近平国家主席は、アメリカについて「自分の国の利益だけを大切にするやり方が世界の経済をおかしくしている」と言いました。アメリカは「中国は自分の国だけに利益がある貿易をしている」と言いました。対立が続いたため、会議で「首脳宣言」を決めることができませんでした。議長をしたパプアニューギニアの首相は「世界中がアメリカと中国の貿易の問題を心配しています」と言いました。

四半世紀を渡って、APECの存在の意味が今さらいくつ残っているのか、本当に疑問があります。貿易摩擦から覇権争いの米国と中国を始め、各国のリーダーは自分の国だけに利益がある貿易をして、将来の世界はどうなるでしょうか。共存共栄である平和の世界は、夢のまた夢になるでしょうか。

十一月十六日(金曜日)2017年公開された日本映画『ママ、ごはんまだ?』を観賞しました。料理を通じて、母から娘たちへの愛、そして家族の絆。一青妙によるエッセイ「私の箱子」「ママ、ごはんまだ?」を基に、心温まるヒューマンドラマ。

家族4人で暮らした東京の家を取り壊す時に赤い木箱が見つかった。箱の中に入っていたのは、古い手紙と20年前に亡くなった母の台湾料理のレシピ帳だった。レシピ帳を手にした妙は、どんなにつらい時でも料理で家族や周囲の人たちを幸せな気持ちにしてくれた母の姿を思い起こす。やがて妙と窈は、一青家ゆかりの地の中能登町にある母の墓前で母の小さな秘密を知り、ある思いに駆り立てられた妙は、家族のもう一つのふるさとである台湾へと向かう。

一青妙・窈姉妹は、「一青」というのは母親の姓で、父親の顔恵民の姓ではないです。顔恵民は九份の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族の長男である。戦前から戦後にかけて日本に長く滞在していた、台湾で妙と窈が生まれた。一青姉妹は子供の時に一家東京へ移り住む。父が癌で死去以降、母の姓の一青を名乗る。数年後母は胃癌で亡くす。

食卓は、家族にとって、いちばんの所です。一家団欒何物かこれに如かん!家族全員を揃って、おふくろの料理を味わいながら、昔話を交わして、最高です。

花水木 一青窈 https://www.youtube.com/watch?v=021tHfzmZTU

空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい 水際まで来てほしい 
つぼみをあげよう 庭のハナミズキ

* 薄红色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと
終わりますように 君と好きな人が百年続きますように

夏は暑過ぎて 僕から気持ちは重すぎて  
一緒に渡るには きっと船が沈んじゃう 
どうぞゆきなさい お先にゆきなさい

* *僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと
止まりますように 君と好きな人が百年続きますように

ひらり蝶々を追いかけて白い帆を揚げて 
母の日になれば ミズキのは、贈って下さい
待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ
* ** 君と好きな人が百年続きますように

十一月十七日(土曜日)2016年公開された日本映画『溺れるナイフ』を見ました。ジョージ朝倉による日本の少女漫画。作者曰く、題名中の「ナイフ」とは「十代の自意識」であり、破裂寸前の十代のこころと、剥き出しの刃物のような青春の情景を多彩に描き、読者から高い支持を集めている。

東京で雑誌モデルをしていた小学6年生の美少女望月夏芽は、ある日突然父の故郷である浮雲町(うきぐもちょう)に引っ越すことになる。東京から遠く離れた田舎町には刺激がなく、自分が欲する「何か」から遠ざかってしまったと落ち込む夏芽だったが、長谷川航一朗(コウ)に出会い、強烈に惹かれていく。

暇潰しに読むのだ ひまつぶし
震える ふるえる
睫と眉毛 まつげ まゆげ
呪われる のろう

夜、琉球人が二人と一緒に夕飯を食べてから、過去琉球と台湾の繋がりと未来琉球と台湾の交流について、話し合いました。第二次世界大戦が終わった後、貧しい琉球は、台湾からペニシリンを密輸入する事を初めて聞いて、驚きました。そして、日本時代に台湾人は八重山列島に移住することを少しわかるようになりました。台湾と地理近い石垣には、住民の一割は台湾人ということを知りました。石垣の歴史を研究するために、今度また石垣へ遊びに行きたいです。

十一月十八日(日曜日)午後、主人の大学の同級生の娘の結婚披露宴に参加する前に、栄星花園で偶然に台北知事の候補者に会って、握手しました。披露宴のあと、景新図書館のクロッギングダンスをして、例の様に、仲間と一緒に景美夜市で、豆花を食べながら、いっぱい話し合いました。

十一月十九日(月曜日)2016年に公開された実写映画『珍遊記-太郎とゆかいな仲間たち-』を見ました。漫☆画太郎による日本の漫画作品。主演・松山ケンイチ。監督・山口雄大。脚本・おおかわら(鬼ヶ島)、松原秀。松山が被るハゲカツラは、一般的なものでは原作のイメージと異なっていたため、大きめのカツラと耳の造形で原作にイメージを近づけている。監督の山口は、同じ漫☆画太郎原作の『地獄甲子園』を監督した際に巨人を登場させたかったが技術的な問題から叶わなかったため、本作品での巨大な山田太郎の描写にこだわりを持って挑んでいる。

玄奘 げんじょう
天竺 てんじく
百発百中 ひゃっぱつひゃくちゅう

2018/11/16

2018年台湾地方選挙

皆さん、おはようございます。来週の土曜日(11月24日)に2018年台湾地方(九合一)選挙を行う。台湾の全22県市において、県市長、県市議員、郷鎮(市)長、郷鎮(市)代表、村長・里長がいっせいに選出される。この地方選挙は,台湾の次の4年間の地方政治を決するのみならず、台湾政治自体を動かす大きな意味を持つ。

台湾の総統選挙は2020年1月或いは3月投票の見込みだが、選挙運動は早い台湾で、1年前の2019年春頃には総統選挙が始まっている。統一地方選挙は総統選挙の「前哨戦」というよりも「前半戦」と呼んだ方が実態にふさわしい。地方選挙でありながら2020年総統選挙のゆくえを決める非常に重たい選挙ということができる。

選挙に興味を持っていない団塊世代の私は、最近高雄知事の選挙に興味津々になりました。去年戸籍が台北市に移したばかりの私は、台北より高雄の政治に関心して、テレビを観て、高雄市民が悩んでいる問題を少し分かるようになりました。もともと投票するつもりじゃない私も、国民の責任を負って、自転車に乗って、新北市から台北市へ行って、初めて台北市民として、投票します。

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月14日16時10分『沖縄県玉城知事「基地を移す問題の県民投票は1月か2月」』というニュースです。沖縄県宜野湾市にあるアメリカ軍の普天間基地を名護市辺野古に移すため、辺野古の海を埋める工事をしています。沖縄玉城知事は、辺野古に基地を移すことに反対しています。

沖縄県では、辺野古の海を埋める工事に賛成か反対か、沖縄県の人たちが投票する「県民投票」を行うことになっています。玉城知事は13日、県民投票について「できるだけ早く行いたいですが、準備の時間が必要ですし、みんなにこの問題をよく知ってもらわなければなりません。1月の終わりから2月の終わりまでの間に行いたいと考えています」と言いました。

私はいま中日言語交換の相手が沖縄人なので、最近沖縄についてのニュースに興味を持つようになりました。沖縄人はアメリカ軍が沖縄にある基地に対して、好き嫌い人がバラバラにいます。やはり経済と主権の間に、迷ってます。来年の春沖縄へ行って、「県民投票」を出来れば見学するつもりです。

十一月十三日(火曜日)曇りの午前中、十時から十二時まで、国家図書館B1講演ホールで、Wiley Blevins博士からFrom “Read To” to “To Read”というスピーチを聞きました。Phonics from A to Zを書かれた人気作者であるWiley Blevins博士は自然發音教學の専門家です。子供から読書の習慣を培い、閲読が好きになると唱えます。

午後、2016年公開された日本映画『恋妻家宮本』を観ました。監督・脚本は遊川和彦が務め、本作は遊川の映画初監督作品である。五十歳の中学教師宮本陽平は、ファミリーレストラン「デニーズ」のメニューを見ながら、料理のオーダーが決められない。陽平は優柔不断な性格で、人生は選択の連続だと理解しながらも、何が正しい選択なのかと気に掛けて迷い続けてしまうのです。

一方、妻の美代子はシッカリ者で決断や覚悟を決めるのがとても早い。そんな二人の出会いは大学時代。ファミレスでの合コンをきっかけに、陽平と美代子は交際を始めました。陽平は大学院に進学、美代子は教員を目指していましたが、彼女の妊娠をきっかけに結婚。男の責任としてプロポーズした陽平は美代子の代わりに教職の道に進みました。

それから27年前に生まれた一人息子正は予想より早く結婚。被災地の取材がしたいと福島にある新聞社で就職すると、陽平と美代子夫妻は結婚以来、初めて二人きりの生活となってしまいます。五十歳になって初めて、夫婦水入らずで暮らすことを記念して、上機嫌で2本のもの赤ワインを開ける美代子。

一方で陽平は何を会話したら良いか気まず様子。しかし、彼はワインの酒の肴にと、趣味の料理教室で習い覚えた料理をする時だけは楽しそうでした。美代子は「これからはお互い、お父さん、お母さんじゃなく、名前で呼ぶの」と提案。まさに甘い新婚気分なのです。

しかし、あっけなく酔いつぶれた美代子は居間のソファで寝てしまいます。その妻美代子の寝顔を見て陽平は「やっぱり老けたな…」と呟きます。陽平は妻に毛布をかけようと寝室で、二人が付き合い始めた頃に、初めて陽平が美代子に貸した本「暗夜行路」を懐かしさそうにめくっていると、美代子の署名入りの離婚届が出てきます。

激しい動揺をする陽平だが、美代子を叩き起こして問い詰めることもできずに、悶々として夜を明かしてしまいます。翌日から陽平の苦悩の日々を送りながら、美代子が判子を押した離婚届の意味をウジウジと考え、職場の中学校の担任業務にも集中ができません。

担任するクラスの生徒“ドン”こと井上克也の母は、不倫中に自動車事故に巻き込まれ入院しています。ドンはそれをネタしては周囲の友人たちから笑いを取っていました。ドンのことを心配する同級生の女子生徒“メイミー”こと菊地原明美は、担任の陽平に対して、「先生って教師に向いていないかも」と、ドンはこののままでいいのかと忠告をします。

そんな陽平は、ドンの複雑な家庭事情を案じる祖母の井上礼子に面会にいきますが、これも難敵であって問題ばかり、陽平は担任教師としても何一つ選択ができないのです。唯一の陽平の趣味で心を落ち着かせている料理教室で、毒舌を吐く主婦五十嵐真珠や、婚約中で花嫁修業中の門倉すみれと同じグループ。

陽平は五十嵐が旦那幸次との離婚検討中と聞き、妻美代子の書いた離婚届について相談を持ちかけます。すると、五十嵐は妻の不倫だと言い切るので、陽平は美代子の浮気を疑いもしますが、そんな様子はありません。

一方で祖母礼子と喧嘩してからご飯を食べていない教え子のドンの妹エミが倒れてしまうのです。陽平はドンが母親に相談するどころか、病院に見舞いにも行ってないことを知ります。陽平は簡単な卵かけご飯のレシピを克也に教えますが、本当の問題を先送りにしてい流だけだと、教え子メイミーに指摘された陽平。

陽平の息子正の妻が風邪を拗らせて寝込んでしまったと美代子は福島へ向かいます。そんな時、陽平は「暗夜行路」に挟んであった離婚届がなくなっていることに気付きます。すると、両親の仲を心配した息子正から電話が掛かってきます。妻優美の風邪は心配はいらない大丈夫と言います。

陽平は息子正に自分たち父母の夫婦について質問をすると、父さんが料理教室に通い出してから母に元気がなくなったと言いました。一方で、料理教室に来た門倉すみれは、婚約解消して教室も辞めると、陽平と五十嵐野本へ報告にやってきます。二人のように結婚した夫婦を見ても幸せそうではないと言い捨てて去っていきます。

その帰り、陽平と五十嵐は居酒屋へ呑みに行くのですが、そこで五十嵐は、夫の不満はセックスが問題だと思うので、それが本当なのか確かめたいと陽平は彼女に肉体関係を持ちかけられます。ラブホテルの客室選びの際に、陽平はどれを選べば良いのかやはり迷いながら、五十嵐の強引さに部屋を決めるのです。

それまでに浮気の経験のない陽平が戸惑っていると、指定の部屋に入る間際に、五十嵐のスマフォに夫が倒れたと連絡が入り2人は病院へ向かいました。
幸い五十嵐の夫次は軽症。心配した五十嵐は毒舌な喧嘩しながらも互いを心配する夫妻の様子を見た陽平。お互いに隠し事なくストレートに会話が言い合える二人が羨ましかったのです。

陽平が帰宅すると美代子が戻っていました。美代子は息子正のところに間違って持って行かれてしまった、お気に入りの「吉田拓郎」のCDを掛けます。しかし、陽平は、五十嵐夫妻に影響されたのか、CDを止め離婚届について切り出して話をします。美代子は離婚届の理由は簡単に説明できないと言い、陽平も不満を思い切ってぶつけます。

しかし、美代子に「あなたは結婚に向いてない」と言い返された陽平は、反射的な勢いで離婚届に署名し突き出してしまいます。陽平の優しさを感じられなくなった妻美代子は再び福島の息子正の元へ戻るように自宅を出ていきます。

その翌日、陽平は、教え子ドンに入院中で心労状態の母に弁当を作ろうと声をかけると、祖母礼子が詩吟教室の稽古の留守中を狙い、ドンにお弁当作り料理を教えます。しかし、突然祖母礼子が帰宅。激怒する祖母礼子に陽平は、「大切なのは正しさよりも優しさではないか」と人の関わりについて主張しました。孫のドンとエミは何も言えわずに祖母礼子の手を温かく握り締めます。

やがて、入院中の母尚美の元に手作り弁当を届けに行くドンでしたが、病室のドアの前で最後の最後に渡せず終い。結局は陽平が代理で渡すことになります。しかし、母尚美は息子克也(ドン)の思いを汲み愛する息子克也とエミに会いたいと思いを述べると親子は再会を果たします。

そんな様子をずっと見守ってきた同級生メイミーは、陽平の一連の行動に「教師向いているかも」と、それまでの発言を撤回してくれました。やがて、自身に思い立つことがあった陽平は、妻美代子に手作り弁当を調理して、妻のいる福島へ向かいます。

その後、息子正の家を訪れますが、美代子はすでに入れ違いで東京の自宅に戻ったと告げられます。このままでは美代子は手にした離婚届を提出するのでないかと思った陽平は、東京行きの登り最終電車に乗るために息子正の車で駅まで送くってもらいます。

しかし、最終電車を目の前にしながらも陽平は階段を踏み外しホームで転倒して、登り最終列車は東京へと出発して行きました。やがて反対側ホームの下りの最終列車も過ぎて行来ます。すると何と忘れ物を取りに来た妻美代子がホームに立っていました。

二人はその奇遇な状況に言葉がありませんでしたが、妻美代子はホームで叫びます。陽平が料理教室へ習いに行ったことで妻が要らないのかと不安を感じていたのだと言いました。さらに美代子は陽平に、もし、離婚を切り出されたらさっぱり別れようと離婚届を切り札にしていたと告げるのです。

今度は陽平が自身の妻美代子への想いを伝えようとしますが、突然回送電車通り過ぎて行き美代子には聞き取れませんでした。慌てて反対側ホームに居た美代子が駅を繋ぐ高架橋から駆け寄って来ますが、今度は近くの変電の事故で、駅構内が停電してしまいます。

駅の待合室で美代子は、自分の好きな物ばかりが詰まった陽平の手作り弁当を美味しそうに解説しながら食べるのです。今度は陽平が先ほどホームで伝えようと叫んだことは、「お前の作った味噌汁が食べたい」と気持ちを述べます。

それは何と二人が結婚した際のプロポーズと同じ言葉。27年前の自分たちの判断や思いが今も変わらないことを陽平と美代子が分かち合い、唇を寄せようとすると、停電事故は復帰して待合室は明るくなり、気恥ずかしい二人…。

その後、すっかり仲直りした夫陽平と妻美代子は、思い出のファミリーレストラン「デニーズ」で食事をしようした所に、独りで生きて行くことを決めた門倉がやって来ます。一生結婚なんかしないという門倉に対して陽平は、自分は結婚して幸せだと断言をします。

しかし、メニューを見ながらまたも悩む夫陽平に、妻美代子は二人で分ければ良いと、夫が悩んだメニューのデミグラバーグとキンメの煮付けを二人頼みました。吉田拓郎の「今日までそして明日から」を出演したキャストの皆で歌う大円団を迎えます…。

今日までそして明日から 
作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
https://www.youtube.com/watch?v=0X-fCFAOUjw

私は今日まで生きてみました 
時にはだれかの力を借りて
時にはだれかにしがみついて 
私は今日まで生きてみました
そして今 私は思っています 
明日からも こうして生きて行くだろうと

私は今日まで生きてみました 時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて 私は今日まで生きてみました
そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと

私は今日まで生きてみました 時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとり合って 私は今日まで生きてみました 
そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと

私には私の生き方がある それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう 
けれど それにしたって どこで どう変わってしまうか
そうです 分からないまま生きて行く 明日からの そんな私です

私は今日まで生きてみました 私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました

そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと

残り物には福がある、逃した魚が大きい。
あだな
道程 <高村光太郎> https://www.youtube.com/watch?v=r4bjGxyo8hw
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ 父よ
僕を一人立ちにさせた廣大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため この遠い道程のため

童貞を守る、失う
醍醐味 だいごみ
成り潰れ なりつぶれ

『恋妻家宮本』の主人公の妻は、天海祐希が演じる宮本美代子です。なんという偶然、宮本美代子も私の綽名です。なぜならば、宮本美代子の台湾語の発音は「每天沒事做,『根本無代誌』」という毎日ノンビリしている私のことでございます。どうか宜しくお願いします。

夜、2007年公開の日本映画『めがね』を見ました。監督・脚本は荻上直子。鹿児島県与論島で撮影された。人生の一瞬に立ち止まり、たそがれたい。何をするでもなく、どこへ行くでもない。浜辺の宿「ハマダ」を舞台に、都会から来た女性が島の人々と触れ合いの中で落ち着きを取り戻していく。

南の海辺に、ひとりプロペラ機から下り立った女・タエコ。その小さな島は不思議なことだらけ。見たこともない不思議な「メルシー体操」なるものを踊る人々、いつもぶらぶらしている高校教師・ハルナ、笑顔で皆にカキ氷をふるまうサクラ、飄々と日々の仕事をこなすハマダの主人・ユージ…。

マイペースで奇妙な人々に振り回され、一度はハマダを出ようとするが、自分なりに「たそがれる」術を身につけていくタエコ。そして、タエコを追ってきたヨモギを含めた五人の間には奇妙な連帯感が生まれていく。しかし、その時間は永遠には続かない……。

うろうろ
微か かすか かすかに聞こえる音楽 かなかな演奏の音
塩梅 あんばい
梅はその日の難のがれ 難を免れる まぬがれる
梅は香りに桜は花
梅と桜を両手に持つ
たそがれる
何よりもかによりも
春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな
うとうと
尺度 しゃくど 詩人や美術家を他の人々と同じ尺度で測ることはできない。
あきれたね! Words fail me! Well, I never!
遥か彼方をみてごらん。
年寄りには逆らうな
気合 きあい
綿毛 わたげ
契る ちぎる
指きりげんまん うそついたら はりせんぼんの巻き ゆびきった。
約束事をするときに、小指を絡めながら歌を歌う行為
ダンサーは一日してならず

あっち向いてホイ:まず、二人でじゃんけんを行う。その勝敗が決まった直後、「あっち向いてホイ!」の掛け声と共に、負けた方は上下左右のいずれか一方へ顔を向け、勝った方は上下左右のいずれか一方を指差す。顔を向けた方向と指を差した方向が一致すると指を差した方の勝ちとなり、一致しなかった場合じゃんけんからやり直しとなる。

『めがね』に、日本語の字幕があるので、きっちんと日本語を勉強しました。『スッキリ!!1分劇場』には、面白い遊びをいっぱい習いました。「じゃんけん」の場面に、年の差なんて、本当にあるか。「俺たちのムーブメント」「いくつになっても、ボールが好き。」をやってみたい。今度、沖縄へ行って、二週間に民宿に泊まって、春の海を見みながら、「たそがれ」のワザを身につけます。

十一月十四日(水曜日)十一時から、四時まで、中日言語交換しました。注音符号(ちゅうおんふごう)カードを遊びました。注音符号とは、中国語の発音記号の一つ。現在は主に台湾で用いられる。先頭の四文字「ㄅㄆㄇㄈ」からボポモフォ (bopomofo) とも呼ぶ。

十一月十五日(木曜日)晴れの一日、午前中、景新図書館でパステル絵教室で、半坪のタップダンスの板にアクリル絵を完成しました。

午後、2017年公開日本映画『チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜』を見ました。真実に基づく物語。主演は広瀬すず、監督は河合勇人、脚本は林民夫。2009年3月に福井県立福井商業高校の女子高生チアリーダー部が、本場アメリカのチアダンス選手権大会で優勝を果たした実話。福井県立福井商業高校チアリーダー部は、2006年に創部され、2009年の全米チアダンス選手権から数えて、2016年まで通算6回の優勝という偉業を成し遂げている。

福井県立福井中央高校に入学した、明るく天真爛漫な女の子友永ひかりは中学からの同級生かつサッカー部の憧れの男子であった孝介を応援したいがために軽い気持ちでチアリーダー部へ入部する。しかし、入部してみると予想以上に厳しい練習で退部する生徒も出てくる。チームメイトと支えあいながら毎日鍛錬に励み、最終的にメンバーの中心を務める重要なポジションを担うまでになる。チームを引っ張りながら優勝を目指して進んでいく。

ポニーテール 前髪 まえがみ 額髪 ひたい  おでこ
早乙女 サオトメ
エンジン 明るく素直に美しく
チアダンスは、ポンダンスとジャズとヒップホップとラインダンスとの四つのダンスの組み合わせ、時間は2分から2分30秒の競技
応援するためのダンスですから、いつも笑顔で
踊りはただそろってるだけではなくて、そのうえで、何を表現できるかよ
日々の積み重ねよ

また、女子高校生の映画に飽きない私は、天海祐希が演じる地獄屋の指導者の姿を見て、女子高校生のチアダンスグループを導いて、チアダンス本場のアメリカを目指す。先生として、器さえあれば、そして本気になれば、すべてが変わる。いくら高い目標でも、学生が辿り着ける、先例のない素晴らしい風景が見せる。

夜、2018台湾寄席を観賞しました。2011東大震災から始まった台湾寄席は今年は七回目です。私は二回目に観賞して、台湾でも日本の伝統芸能に触れ合えて、良かったと思います。2019台湾寄席を楽しみに。

2018/11/13

人生に涙あり

皆さん、おはようございます。先週末新店文山農場で行われた愛愛ロック音楽祭を満喫しました。三日間のあいだ若者と音楽と昆虫といっぱい触れ合いました。素晴らしいメロディーが漂うおいしい空気を吸いながら、友達とお酒を酌み交わしたり、お喋りをしたりして、最高の気分になりました。

今週一番望んでいるのは、やはり木曜日の夜に行う2018台湾寄席です。落語「ためし酒」と講談「出世の富くじ」の内容をしっかり勉強して、頭によく覚えて置きました。すでに準備万全で、自信満々だと思います。舞台に演じる落語家と講談師の真似を一生懸命するつもりです。

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月12日16時20分『中国の「独身の日」インターネットでたくさん物が売れる』というニュースです。中国では、11月11日は「独身の日」と呼ばれています。インターネットで物を売る会社は、毎年この日に、たくさんの物を安く売っています。この中で、アリババグループは、買い物のウェブサイトで、11日に約3兆5000億円売れたと発表しました。去年より27%ぐらい増えて、今まででいちばん多くなりました。

アリババグループのウェブサイトを使って、いちばんたくさん物を売った国は、中国以外では日本でした。中国の郵便の仕事をしている役所は、12日から16日までに、18億7000万個の荷物を届けることになると考えています。去年より25%増えそうです。

インターネットで買い物するのは、今の世の風潮というのは否定し難いですが、バーチャルリアリティよりレアルの方が私は好きです。買い物する時、単なる商売ではなくて、品物を触ったり、店員と相談したりするのは良いと思います。だからこそ私はインターネットで買い物あまりしないです。割引の魅力に時々負けますけど。

十一月九日(金曜日)晴れの午前中、十時から十二時まで、2018台湾寄席の予備塾を担当しました。日本語読書会の仲間と一緒に江戸時代の人名(尾張、近江、久蔵、大久保、三次)、地名(湯河原、上方、湯島)、職位(同心、上役、町奉行、寺社奉行、組頭、老中、御小人、吟味与力)など、発音を確認しながら、読み方を何回も練習しました。

十二時半から十三時半まで、佳音ラジオ放送局(FM90.9)で台北市立図書館楽齢センターの読書会の運営について、インタビューを受けました。楽齢センターの読書会に対して、自分の理想と夢をいっぱい話させて頂きました。来年一月十四日(月曜日)の午後五時五分から六時まで放送される予定です。皆さん、ぜひお聞き下さい。

夜、愛愛ロック音楽祭へ行って、深夜までお友達とお喋りしました。

十一月十日(土曜日) 晴れの一日に文山農場にいました。台湾人気ある歌手とバンドを見て、元気いっぱいになりました。

十一月十一日(日曜日)晴れの一日に文山農場にいました。夜、愛愛ロック音楽祭のおトリは、中国北京からの宋冬野でした。私は彼の歌を聴いたとたん涙がこぼしました。亡くなった父のことを頭に浮かびました。父も北京生まれ、1949年中国の軍校の学生として台湾に参りました。

宋冬野のアンコール曲は《董小姐》でした。どうぞ、お聞き下さい。

宋冬野《董小姐》https://www.youtube.com/watch?v=AG8HtuOjkH0
董小姐 作詞:宋冬野 作曲:宋冬野

董小姐,你從沒忘記你的微笑 就算你和我一樣 渴望著衰老
董小姐,你嘴角向下的時候很美 就像安和橋下 清澈的水

董小姐,我也是個複雜的動物 嘴上一句帶過 心裡卻一直重複
董小姐,鼓樓的夜晚時間匆匆 陌生的人,請給我一支蘭州

*所以那一些可能都不是真的 董小姐 你才不是一個沒有故事的女同學
愛上一匹野馬 可我的家裡沒有草原 這讓我感到絕望 董小姐

董小姐,你熄滅了煙,說起從前 你說前半生就這樣吧 還有明天
董小姐,你可知道我說夠了再見 在五月的早晨,終於丟失了睡眠
*
所以那些可能都會是真的 董小姐 誰會不厭其煩的安慰那無知的少年
我想和你一樣 不顧那些所以 跟我走吧 董小姐

躁起來吧 董小姐

十一月十二日(月曜日)台湾大学医学院の食堂でお昼をしてから、隣の博物館のカフェで、コーヒーを飲みながら、中日言語交換しました。漢検2級一問一答プチドリルの対義語と類義語を試しました。漢検をやってから、自分の中国語も何とか上手になると感じてました。

そして、水戸黄門テーマ曲の歌詞を勉強しました。

水戸黄門テーマ曲  あゝ人生に涙あり
https://www.youtube.com/watch?v=hNZu0e0eyTQ

人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて

人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行く
あとから来たのに追い越され 泣くのがいやならさあ歩け

人生涙と笑顔あり そんなに悪くはないもんだ
なんにもしないで生きるより 何かを求めて生きようよ

人生一つの物なのさ 後には戻れぬものなのさ
明日の日の出をいつの日も 目指して行こう顔上げて

2018/11/09

愛愛ロック音楽祭

皆さん、おはようございます。用意はよろしいか?この晴れな週末に、新店文山農場で行う愛愛ロック音楽祭に一緒にでない?九日から十一日まで、三日間のキャンピングイベントは、変装された農場で、ピクニックしたり、ライブのコンサートを観たり、お友達と喋ったりするのはいかがでしょうか。

愛愛ロック音楽祭は、二年おきに新店文山農場で行われます。二回目の愛愛ロック音楽祭に、再び親友に誘われて、30年以上結婚した私は、偶に独身の気持ちに変えるのは嬉しいです。十一月十一日の日曜日は、中国からの光棍節(こうこんせつ)と言う日で、「独身の日」とも言います。独身者同志が集まってパーティーを開いたり、独身者が結婚相手を探したりといった、様々な活動が行われています。愛愛ロック音楽祭では、誰が恋に落ちるか、誰が結婚を申し込むか、楽しみに!

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月8日15時50分『アメリカ上院は共和党が多くて、下院は民主党が多くなる』というニュースです。7日、アメリカ議会の上院と下院の選挙がありました。上院は100人のうち35人、下院は435人全部の議員を選びました。選挙の結果、上院は選挙がなかった議員を足すと、トランプ大統領と同じ共和党の議員が半分以上になりました。しかし、下院は民主党の議員が半分以上になりました。

今回の選挙で、今後2年間は議会の上院と下院で多数派が異なる「ねじれ」の状態が続くことになり、メキシコとの国境の壁の建設や、オバマ前政権が導入した医療保険制度、いわゆるオバマケアの撤廃などトランプ大統領の公約が一層厳しくなり、難しい政権運営を迫られることになりそうです。

台湾はアメリカと同じ、十一月に熱狂的な戦いみたい選挙の雰囲気が溢れています。アメリカの中間選挙の結果は、下院に民主党の議員が半分以上になりました。これからの二年間、トランプ大統領が約束されて、やれることがどうなるでしょうか。台湾の地方選挙は、十一月の最後の土曜日に行います。選挙の結果はどうなるでしょうか。

十一月六日(火曜日)晴れの午後、週に二回の中日言語交換がしました。少しでも、日本語が上達になれば、幸いです。台湾には、日本語を熱心に勉強している人がたくさいます。塾に通って、何時間もかかって、しかし日本語をマスター決意がなくて、十年以上日本語を勉強しても、日本人と通じない人もいます。やる気さえあれば、一生懸命しないと、日本語能力がアプすることができないはずです。

夜、2016年公開された日本映画『八重子のハミング』を観ました。2002年小学館から発売された陽信孝による書籍。1991年、中学校校長を務めていた信孝に胃癌が見つかる。元音楽教師だった妻の八重子は信孝を献身的に支えるが、その頃から何度も同じ行動を取る、怒りっぽくなるなど八重子の行動にも異変が生じる。八重子に下された診断は若年性アルツハイマー病への罹患だった。ここから、自らがんと闘いながら、徐々に記憶をなくし童女に帰る妻を介護する日々が始まった。

映画の主人公の石崎誠吾は自らも4度のガン手術を経験しながらも、若年性アルツハイマー病を患った元音楽教師の妻・八重子なき今、山口県のホールで開かれた講演会で介護問題について語る。夫婦ふたりに残された時間の中で、誠吾は八重子を支え続けた。

アルツハイマー病は、脳の神経細胞が減少する、脳の中で記憶をつかさどる「海馬」を中心に脳全体が萎縮する、脳に「老人斑」というシミが広がる、脳の神経細胞に糸くず状の「神経原線維変化」が見つかるといった変化が現れることがわかっています。脳の中にβアミロイドと呼ばれるタンパク質がたまり出すことが原因の一つとされていて、βアミロイドが脳全体に蓄積することで健全な神経細胞を変化・脱落させて、脳の働きを低下させ、脳萎縮を進行させると言われています。

アルツハイマー病を発症すると、記憶障害の症状が見られ、進行にともなって場所や時間、人物などの認識ができなくなる「けんとう識障害」の症状が現れます。身体的機能も低下して動きが不自由になったりします。進行の度合いには個人差があり、わずか数年で寝たきりになってしまう人もいますが、十年経っても自立して穏やかに暮らしている人もいます。アルツハイマー病の根本治療はまだ出てきていませんが、抗認知症薬で病気の進行を遅らせることができます。

十一月七日(水曜日) 晴れの一日に家にいます。午後、2017年公開された日本映画『魂が鳴り響くラストダンス』を観ました。《相棒》水谷豐監督の作品。「伝説の天才タップダンサー」という肩書のまま1988年、ショーで負傷し、ただの飲んだくれになっている渡りのもとに「THE TOPS」のオーナー毛利喜一郎がLAST SHOWを企画することから物語は始まる。夢物語を最初、渡りは取り合わない。それでもタップダンスに取り憑かれている渡りはオーディション会場でタップダンスの音で目覚める。

オーディションに誠は遅刻する。渡りは遅刻を許さない。しかし誠の本気は通じる。そんな誠を支える森華だ。若い二人はお金がなく困っている。彼女のためにオーデイションに送れた誠ではあったが、彼の実力は渡に必要とされる。隆一はホストとして働く中で自意識が高い。そのため、最初はレッスンで番号で呼ばれることに納得しない。しかし、最後にはとてもいい笑顔で踊る。YOKOはよくその体型であの激しい動きが出来るなぁってくらいよく食べるし、笑顔がいい。彼女の笑顔は他の人間にも伝播する。MIKAは喘息の発作と戦いながら自分にとっても最後のショーだと決意して挑む。JUNが自閉症気味だが、タップダンスの腕はすごい。

夏木萌は「THE TAP」の事務員としてきりもりする。毛利さんが倒れてしまい公演が出来ない状況でも投げ出さずに渡に助けを求める。それでもお酒に飲まれている渡を見て絶望を感じる。ショーではいきなり踊りだして、そうだよな。最初は出演者だったんだなって理解する。これ以外にも若いダンサーがたくさん出演している。

日本のタップダンサーって案外いるんだなってことを知ったし、あの音が鳥肌になる。最後の最後まで渡りは気づかない。この先は知らなくてもいいかもです。そう、誠は渡りの息子だった。誠の母親松原貞代は元「THE TOP」で働いていた。渡りは怪我をする前に貞代から妊娠したことを告げられて自分の中にいろんな感情があったと誠に語った。

そんな状況で貞代は渡りの前から姿を消したわけでその子供が誠であった。「蛙の子は蛙」まさにその通りでショーは成功する。ラスト24分、本当のショーを見ているようで終わった瞬間、拍手をしたくなってしまった。エンドロールの時にはタップグループのショーが楽しめる。

タップダンスを教えている私は、この映画を大変楽しみました。素晴らしいダンスと足の動きに感動しました。

十一月八日(木曜日)晴れの一日。午前中、パステルのクラスで、絵を二枚も描き終えました。午後、中日日本語言語交換しました。寄席の落語と講談の内容を日本人に読み直してもらいました。日本人にわらべを教えました。沖縄からの日本人なので、中国語版の沖縄の歌『涙そうそう』と『花』も教えました。

夜、2017年公開された日本映画『きょうの吉良くん』を観ました。監督は、映画『海月姫』や『のだめカンタービレ最終楽章後編』の川村泰祐が務めます。今注目の俳優や実力派俳優らが脇をかためます。映画のキャッチコピーは、「大切な一日、かけがえのない一分一秒。わたし、365日、一緒にいます。」です。

人生でもっとも輝く365日の恋の話。肩にインコ(先生)を乗せた変わり者のニノと無意味な毎日を過ごす遊び人のイケメン男子「キラ君」。家が隣同士なのに話したことすらなかった。けれど、ニノがキラの秘密を知ったことから運命は交錯し、煌めく生の時を刻みはじめる!2人が紡ぐ、天国に一番近い恋。好きな人とずっと一緒にいたいと思う気持ちを強く思うニノとキラ君、そして同級生の矢部と澪も加わり、かけがえのない365日が始まります。

高校生の恋愛物語を観ると、自分の心も若くなりました。純情の愛は何よりです。

オウム
クジャク
くちばし

2018/11/06

台湾寄席2018

皆さん、おはようございます。寄席といる日本伝統芸能が行われる場所をご存知ですか。江戸初期に神社や寺院の境内の一部を借りて、現在の講談に近い話を聞かせる催し物が開かれていたものである。寛政10年(1798年)に、初めて専門的な寄席が開かわたって、当初は「寄せ場(よせば)」と呼ばれ、後に寄席と呼ばれるようになった。

毎年十一月日本台湾交流協会で開かれる『台湾寄席』に、去年初めて参加した私は、来週の木曜日(十一月十五日)再び入場できて、うれしいです。日本台湾交流協会は、毎年様々な活動を台北事務所地下一階文化ホールで開催し、その中に、一番好きなのは『台湾寄席』です。今年『台湾寄席』の演出者は、去年と同じ、落語家の柳亭市弥と講談師の一龍斎貞弥です。去年のテーマは落語「猫の災難」と講談「大つごもり」。今年は落語「試し酒」と講談「出世の富くじ」、お楽しみに。

『台湾寄席』のお蔭で、私は落語と講談に興味津々になります。来年台北市立図書館景新分館で、寄席読書会を作る予定です。皆と一緒に落語と講談のレパートリーを勉強したり、演じたりします。2018台灣寄席予備塾を今週金曜日(十一月九日)午前中文山楽齢センターで行います。落語「試し酒」と講談「出世の富くじ」を勉強します。どうぞ、ご一緒に!

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月5日16時10分『10年何も見えなかった熊の目の手術が成功する』というニュースです。北海道登別市の「登別クマ牧場」は、たくさんの熊を育てて、熊の生活をお客さんに見せています。「ノビタ」と呼ばれている20歳の雄の熊は、「白内障」という目の病気で10年前に何も見えなくなりました。このため、お客さんに会わない建物の中にずっといました。

ノビタは7月6日に目の手術をして、いろいろな物が見えるようになりました。食べ物をすぐ見つけたり、世話をする人を目でさがしたりできるようになりました。手術をした大学の先生は「熊の白内障の手術が成功したという話は、今まで聞いたことがありません」と言っています。登別クマ牧場は「ノビタが元気になってうれしいです。ほかの白内障の熊にも手術ができるかどうか考えたいです」と話しています。

妹が飼っているビーグルが両眼ともすごい白内障に患っています。私も軽い白内障があると眼医者さんに言われてます。十年以上も見えない熊の白内障の手術が成功したニュースを聞いて、嬉しいです。ビーグルは目より鼻がききますけれども、目が見えなくなって、可哀そうではないでしょか。今視力がだんだん弱くなった私は、将来白内障の手術をしてから、メガネが掛けなくても、本を読める日をおとなしく待っています。

十一月二日(金曜日)雨の一日。午後、いつも長い列が並んでいる金峰滷肉飯という台北に人気ある豚肉そぼろご飯のお店でお昼をして、近くに虎記という喫茶店でコーヒーと飲みながら、二時間の中日言語交換のお喋り会が始まりました。そのあと、実家に戻って、妹と民歌四十を見終えました。

夜、お母さんの親友に誘われて、半世紀以上に、嘉義に住んでいた近所の友人と晩餐会に参加して、幼馴染の友人と再会できて、昔話をいっぱい懐かしかくて、話し合いました。

十一月三日(土曜日) 曇りの一日。午後、中国語を勉強するために台北に来た沖縄人の友達と一緒に台北市アリーナのモスバーグでお昼を済んで、七年目の『仙角ブロードウェー』を観ました。平均年齢75歳、281人の年輩の方が一時間半、華やかな舞台で、『ギン箱の大冒険』を観衆魅了させました。将来チャンスがありましたら、楽齢センターのお年寄りを集まって、一緒に芝居するのを楽しみにしております。

夜、妹のお蔭で、2003年11月に香港コロシアムで行われたアニタ・ムイ(梅艷芳1963~2003)の第八場(最後)のライブのさよならコンサートのDVDを観ました。アニタは、香港の歌手・女優で、四十歳の若い年に癌のせいでなくなりました。十五年後の今、私は初めてアニタの素晴らしいコンサートを観て、とても感動しました。時間の経つのは速いものです。還暦も迎えた私は、歌手を応援するため、これから、毎年出来るだけ、少なくとも一つのライブのコンサートを見に行こうと思います。

十一月四日(日曜日)曇りの一日。午後、王先生が景新図書館に来て、基本なクロッギングダンスを教え直した後、例の様に、仲間と一緒に景美夜市で、豆花を食べながら、いっぱい話し合いました。

夜、実家で、兄弟四人と姪女一人とお母さんの親友の周さんと一緒に晩御飯をしながら、昔話を満喫しました。

十一月五日(月曜日)曇りの一日。実家で、兄弟四人と一緒にお昼をして、弟の還暦を祝うために、台北に二週間に滞在した妹が、午後の飛行機で、アメリカに帰りました。

家族の全員再会は、いつもわたしにとって、一番大切な時です。

2018台灣寄席予備塾
時間:十一月九日(金曜日)十時から十二時まで
場所:文山樂齡センター
内容 ①落語「試し酒」 柳亭市弥
   ②講談「出世の富くじ」 一龍斎貞弥

落語 試し酒

商家・尾張屋の主人のもとに、商売なじみの近江屋の主人が下男の久蔵を従える、上等な酒を持ってやって来る。近江屋が「うちの久蔵は大酒飲みで、5升(=約9リットル)は飲み干せる」と自慢するので、尾張屋は近江屋に対し、久蔵が本当に5升飲み干せるかどうかの賭けを持ちかけ、「わたしが賭けに負けたら、温泉宿(東京では湯河原温泉、上方では有馬温泉)で遊ぶ費用をわたしが肩代わりする」と言い放つ。外で待つ久蔵は呼ばれて招き入れられ、賭けに乗るよう持ちかけられるが、気乗りがしない。ところが尾張屋が「賭けを受けなければ近江屋の負けだ」と告げるので、「少し考えるので待っていてほしい」と言い残して表に出て行く。

しばらくあと、久蔵は戻ってくるなり、賭けに乗ることを宣言し、大きな可杯(べくはい)で、5升の酒を1升ずつ飲み干してみせる(※このとき演者は、少しずつ酔っていきながら主人・近江屋の愚痴を言ったり、身の上を嘆いたりする演技を見せる)。賭けに負けた尾張屋が驚きあきれて、「どうしてそんなに酒が飲めるのか。さっき出て行った時に、酒に酔わない薬でも飲んだのか。それとも何かまじないでも受けたのか」とたずねると、久蔵は、

「酒を5升も飲んだことがなかったので、表の酒屋で試しに5升飲んできた」

講談 出世の富くじ (しゅっせのとみくじ)
【解説】一時の利欲を抑えることが、その後すべて良い結果につながるという、いかにも講談らしい話。

年末のこと、貧乏侍の井上半次郎は金に困っている。なんとか給金の前借をするが、泥棒に巾着を盗まれた小僧に出会い、なけなしの金をやってしまう。帰りがけに湯島天神で富くじを買い求める。数日後、このくじで一番の千両が当たったと分かる。しかし女房は、なんとこの当たりくじを焼き捨てるようにと半次郎に告げるのであった…。

【あらすじ】話は文政五年師走の二十五日のこと。蔵前の通りを十二、三歳の小僧が急ぎ足で走っている。ドンと若い衆がぶつかってくる。小僧が気付くと一両二分の金がない。相手は巾着切りだった。「泥棒」と慌てて追いかけていくが、今度は札差から出て来た若いお侍とぶつかり倒れる。小僧は侍に事情を話すと、気の毒に思った侍は一両二分を渡し立ち去った。

この侍は御茶ノ水の水道端に住む井上半次郎という者である。彼には女房と新太郎・千代という二人の子供がいるが、暮らし向きは悪く、妻と共に内職をしている毎日である。正月にせめて子供に晴着を着せてやりたいと、蔵前まで給金の前借りをした直後にあの小僧と出会って、なけなしの金を与えてしまったのだ。

その帰り、半次郎は湯島の天神様へフラフラと入って来る。今日は、江戸の三富のうち天神様の富くじの日で大変な人だかりである。半次郎も思わず一枚買ってしまった。家へ戻り、金を盗まれた小僧に一両二分を与えたことを女房に話す。良い施しをすればこちらにもきっと良い事が巡ってくると、しっかり者の女房は了解する。

数日後、夫婦二人でご飯を食べていると、富くじの当たり番号を伝える紙を売って歩く者がいる。半次郎はこれを買い求めて見てみると、先日購入した富くじは見事に一番の千両が当たっていた。「当たった、当たった」。これで贅沢が出来ると半次郎は舞い上がる。しかし、女房は贅沢をしては子供が立派な子には育たないと、富くじを捨ててしまうようにと言う。得意になっていたことを恥じた半次郎は子供のためと行燈の火に富くじをくべて焼いてしまう。二人で内職に励んで、なんとか新しい年を迎えることができた。

一月十一日のこと。半次郎は組頭の大久保左門の家に呼ばれる。酒を酌み交わしながら大久保は次のような話をしだした。昨年の暮れの湯島天神の富くじで、いまだに一番の当たりを名乗り出る者がないと江戸で大変な評判になっている。その千両が誰に当たったか知っている者がこの江戸にいた。同心の御用聞きをしている三次というものが、とある家の中から「当たった、当たった」と騒ぐ声とその後のやり取りを聞いていた。この話が三次から上役に、上役から町奉行に、町奉行から寺社奉行へと伝わり、大久保左門の耳に入ったのだった。

さらにこの話は老中の知るところとなり、半次郎の欲のなさにすっかり感心する。そういう心掛けのある者を埋もれさせてしまうのは惜しい。半次郎は御小人目付、八十石へとお取立てになった。その後、トントン拍子に出世し、吟味与力、二百石取りとなり、それからも熱心に仕事に務める。

天保六年十月の中頃のこと。半次郎は御厩の渡しで向こうに渡ろうと船を待っていた。本所側から着いた船に乗っていた三十二、三歳の商人体の男が、半次郎の前を通ると小首を傾げる。この男こそ十七年前、蔵前で巾着切りに金を盗まれ、半次郎から一両二分の金を恵んでもらった者だった。二人は再会を喜び合う。その小僧だったこの男は今では「近江屋幸次郎」という立派な商家の主となっていた。半次郎は座敷へ招き入れられ、これまでのいきさつを話す。幸次郎には妻がまだなかったので、井上の娘の千代を嫁がせる。井上半次郎と近江屋幸次郎は親子となって、長く幸せに暮らした。

義大利語 B1

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