2018/06/30

新しい一章

皆さん、おはようございます。今日は六月の最終日でございます。明日から二ヶ月の夏休みをどう過ごすつもりですか。みんなさんのお蔭で、半年も無事に過ぎてきました!ここで皆さんにお知らせ致します。この記事を本日をもって、ブッログに移させて頂きます。週に一回でなくて、二回(火曜と金曜)にアップするから、ぜひご覧を続けて下さい!皆さんも自分のブッログを作ってみたら、いかがでしょうか。一緒に平凡な日常生活を記録して、日本語の文筆力とを磨きましょう。また宜しくお願いします。
アイディアに溢れる女王の私はこれからクレージー婆婆バンドデビューに向けて、憧れたバンドを組むことに挑戦しようと思っています。老人ホームのライブのチャンスによって、好きな日本の流行曲を皆に聞かせてもらいたいます。おばあさんミュージシャンって、カッコウいいんじゃないか。今日からさっそくギターの練習が始まりましょう。とてもと思った望みが叶えるかなぁ!
今日の午後、日本語入門読書会の先生が四人初めて足を伸ばして、桃園へ参ります。山川トーストマスターズクラブの例会及び役員交代式に参加して、成功と山川トーストマスターズメンバーと『岸壁の母』と『浜辺の歌』を共演します。舞台があればあるほど、成長するチャンスが出て来ると私は信じてます。これから、もっともっと大きな舞台に日本語の歌を上手に歌えるように心より祈っております。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは6月25日17時25分『沖縄県太平洋戦争で亡くなった20万人のために祈る式』というニュースです。太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万を超える人が犠牲になり、沖縄県民の4人に1人が亡くなりました。沖縄県は6月23日を「慰霊の日」として、糸満市の平和祈念公園で、亡くなった人たちのために祈る式がありました。沖縄県の翁長知事が「私たちは平和を大切にする『沖縄の心』を持って生きていきます」と話しました。
私は、前週の6月20日初めての沖縄旅には、一番訪れたかった所は糸満市の平和祈念館だったが、残念ながら、入国管理手続きが時間がかかって、クルーズから下船して、シャトルバスに乗って、ゆいレールのおもろまち駅に着いた時、午後四時半なので、平和祈念館の見学は無理になりました。幸い22日朝早く石垣島に着いて、朝八時でした。自転車を借りて、浜辺に沿って、色んなお墓を廻り参りました。唐人墓を始め、アメリカとイギリス軍の慰霊のモニュメントと尖閣島の犠牲者の慰霊碑の前に手を合わせて拝みました。八重山平和祈念館も見学し、戦争中の八重山地域のマラリア発生と死亡も知りました。
最後に、石垣市立図書館の向こうにある赤いサンタンカが一杯咲いてた世界平和公園も訪れました。五時に最後の乗船時間はギリギリで、迷子になった私達は慌てて自転車を精いっぱい石垣港へ漕いで行って、炎天下の中で汗を一杯掻きました。幸い間に合いました!クルーズ側に用意されたおひやを一杯飲んで、暑さをしっかり乗り切りました。
六月二十三日(土曜日)マジェスティック・プリンセスで、五日のクルーズ旅の最終日です。相部屋の愛子ちゃんの目覚まし時計のお蔭で、朝五時にスッキリ目覚めて、「結婚マッチ」という船上のイベントの録画を見続けました。司会者は参加者の三組の夫婦に、夫と妻に別々に色んな恥ずかしい話しにくい質問して、答えもばらばらでした。面白かったです。来年四月主人と一緒にクルーズ旅した時に、「結婚マッチ」に申し込んで、シャンパン一本のご褒美をもらいたいです。
六時前に、レストランアレグロへ行って、また開いてなかったので、デッキ17に上がって、基隆港を眺めました。六時半、デッキ6のアレグロへ戻って、最後の朝食をゆっくり頂きました。ウエーターのランディと話して、アレグロを廻してたジャムさんと冗談して、愉快な朝ごはんを頂きました。八時過ぎて、のんびりアレグロを出て、下船して、バスに乗り換えて、十時前に新店の家に着きました。すぐ横になって、五時間もぐっすり眠ました。簡単な晩御飯を済んで、また横になりました。
六月二十四日(日曜日)午後、クロッグダンス授業で、初級レベルのChelo『Cha Cha』を全部練習して、そして『小さな世界』を復習して、翌朝の日本語入門読書会でサプライズダンスを用意しておきました。放課後、慣例どおりに、学生さんと一緒に景美夜市で喋りながら、豆腐デザートを頂きました。
六月二十五(月曜日)午前中、景新図書館の日本語入門読書会に参加しました。成功と山川トーストマスターズクラブの仲間が四人日本語入門読書会を見学しにいらっしゃいました。十一時から一時間の合同発表会がやりました。日本語入門読書会の先生と学生たちは皆大声で春が来た、夏が来た、雨降り、赤とんぼ、お馬を歌いました。成功トーストマスターズクラブの蕭阿全先生が北島三郎のセリフのいっぱい『さぶ』を歌って、陳碧霞先生が素晴らしい『旅愁』の歌声を聞かせて、山川トーストマスターズクラブの陳惠心さんが『岸壁の母』に挑戦して、そして日本語入門読書会の先生たちも続いて『岸壁の母』を歌って、見事に長いセリフを暗記しました。
午後、ステーキハウスでお祝い会を開きました。宴会の後、皆は思わずに一緒に歌い始めました。山川トーストマスターズクラブの秘書長の張慶賢さんに誘われて、土曜日の午後、桃園で行う山川トーストマスターズクラブ役員交代式に参加して、『岸壁の母』と『浜辺の歌』を成功と山川トーストマスターズクラブメンバーと共演することに決めました。
六月二十六日(火曜日)午後、景新図書館の友達と新店七張カルフールにあるハーゲンダッツで午後のお茶セットにしました。超美味しいハーゲンダッツのアイスクリームをたっぷり楽しみました。
六月二十七日(水曜日)午前中、弟の家を掃除しました。十二時半、黃金女郎のエイレネと一緒に昼食した後、二時から四時まで台北市萬福國小の視聴室で、2018東京アニメ最優勝獎【幸福路上】の監督の宋欣穎さんのファン会に出て、宋欣穎監督は【幸福路上】について、自分が歩んできた道を紹介しました。宋監督は大学を卒業して、京都大学で二年間映画を勉強して、アメリカのニューヨークで、映画の勉強をし続けました。物語の書くも話すも上手な宋監督はいつも笑顔で監督の道にある悲しみと楽しみを分かち合って、とても素敵な女性でした。私は宋監督の【幸福路上】が大好きで、マジェスティック・プリンセスの星光露天映画館で上演したら、絶対大人と子供のお気に入ると信じてます。
夜、掃除したご褒美で、弟は家で自慢料理をご馳走くれました。
六月二十八日(木曜日)午前中、パステル授業で、石垣島の旅の絵巻を半分完成しました。十二時、六人の学生が先生のために謝恩会を平野屋という日本料理屋で開きました。先生が大喜びでした。
六月二十九日(金曜日)午前中、新店仁愛図書館で、マジェスティック・プリンセスで、五日のクルーズ旅の絵巻をほぼ完成しました。七月十四日(土曜日)午後、成功と山川トーストマスターズクラブ特別合同例会で十五分間のスピーチで、クルーズ旅の絵巻を披露する予定です。そして、来年四月に10人の日本語トーストマスターズメンバーとクルーズ旅の案を立てます。
午後、雷を落とした小雨と大雨でした。今週の記事を一生懸命書き終えました。正直に言うと、沖縄と石垣のクルーズ旅を帰って来て、ナマケモノになりました。夢の又夢の旅から覚めたくなくて、記事を書く気も出て来ないし、本も読む気も失ってしまいました。来週から、必ず元の日常生活に戻って、五日のクルーズ紀行をさっそく書き始めようと思います。ウェークアップ!ウェークアップ!
お知らせ:
山川トーストマスターズクラブ例会及び役員交代式
日時:六月三十日(土曜日)午後三時から五時まで
場所:桃園陽明社區發展協會二階(陽明社區活動中心)
トーストマスターズ懇親会
日時:五時半から七時半まで
場所:桃園市三民路新梅龍鎮餐廳

さよならパーティ「小別同樂會」 一起相約未來再見
日時:七月一日(日曜日)午後四時半から六時半まで
場所:国立歴史博物館一階庭と展示場及び二階荷豐水月

遠藤周作の《沉默》、「沉默」の中に、何が聞こえるか。
スピーカー:譯者林水福
日時:七月四日(水曜日)午後二時から四時まで
場所:洪建全基金會

2018/06/19

クルーズ旅

皆さん、おはようございます。今日は待ちに待った出発の日がついに来ました。マジェスティック・プリンセスで、どんな出逢いがあるか、そして沖縄と石垣で何をするか、楽しみにしております。また土曜日にご報告致しますから、少々お待ち下さい!

今年一月八日2018台北国際冬季旅展で、小琉球二泊三日の旅とマジェスティック・プリンセスの五日クルーズ旅を注文した以来、ずっと心がわくわくしてます。一月二十四日から日本語読書会の仲間三人とのんびりした三日間の小琉球旅はまた楽しい思い出がいっぱい頭に残っています。島から島へ、一月台湾の小琉球から、六月本番の琉球王国へ足を伸ばすのは目の前です。

旅行かばんが二つ持った私に、「留学ですか」と主人が聞きました。「旅する人だったら、かばんが一つ、留学する人だったら、かばんが二つ」と言い続けました。そうですねぇ!勉強好きな私は乗船して、一番行きたい所はクルーズの図書館です。

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは6月15日17時10分『「民泊」の新しい法律が15日から始まる』というニュースです。民泊を紹介する世界で最も大きな「エアビーアンドビー」というウェブサイトでは、今年3月日本の民泊を6万件ぐらい紹介して(世界ランキングの一番目は東京、三番目は大阪)、今月8日までに申し込みがあった民泊は、日本全部で2700件だけでしたが、新しい「民泊」の法律が今月15日に始まり、民泊の仕事をするためには役所に申し込まなければなりません。法律を守らないと、お金を払うなどの罰があります。ただ一週間の申し込み期限が民泊業者にとって、かなり大変だと私は思います。

民泊業者は今まで申し込みが少ない原因がいろいろあります、民泊の客と近所に住んでいる人がトラブルになる心配とか、民泊を禁止しているマンションとかなどです。グローバル社会になるにつれて、世界の人々はシェアリングネットワークという共有意識が強い今は自転車(台湾YouBikeレンタサイクルサービス)を始め、自動車(ウーバー)、そして、宿泊もその一環になりました。旅行に日本行くる外国人が民泊を利用できるため、なんどかソリューションを設けたほうがいいです。

私は初めて「エアビーアンドビー」を利用したのは、去年カナダのバンクーバで行われたトーストマスターズ大会に参加する際に、十人の台湾人トーストマスターズ仲間と一緒に大きくて綺麗な民泊に一週間も泊まりました。地元の一員として、バンクーバ住民と一緒に住む感じをしました。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の時に、日本の「エアビーアンドビー」を一応試したいですけど。

六月十五日(金曜日)曇り。午前中、日本語読書会の仲間四人とフーターズで、昼食をしました。端午節句の連休が直前なので、普通閑古鳥が鳴く金曜日より、ほぼ満席で、とても賑やかでした。食事のあと、日本台湾交流協会へ行って、日本映画上映会『宮城からの報告』を見ました。『宮城からの報告』が五本もあります。午後は、一本目の『津波のあとの時間割』を見ました。字幕がないので、チンプンカンプンでしたが、石巻市にある門脇小学校の小学生と教職員が地震と津波のあと、一年間の時間割を忠実に記録されました。二時間の間、小学生と教職員の色んな考えと思いを見せて頂き、胸いっぱいでした。一番印象的なエピソードは、八月に行われた門脇小学校と門脇中学校の合同運動会のこと、孫との授業、小学生から新しい門脇町と南浜町作りの提案など、ほんとうに勉強になりました。

正直に言うと、二時間の『津波のあとの時間割』を見てから、心が悲しくて堪らなくて、もし夜の映画を先約しなかったら、すぐ家に帰りたかったんですが、気分転換のために、日本語読書会の仲間と、日本台湾交流協会の近くにある街角の焼き肉饅頭屋で、美味しい饅頭を食べながら、映画の感想を分かち合ってから、つらい気持ちを晴れてきました。

夜、五本目の『3月11日を生きて』は門脇小学校の小学生と教職員が3月11日午後2時46分に東日本大震災が起こって、かねてより日和山の全校避難の経緯をインタビューされた記事でした。校長先生を始め、教職員は必死に生徒を守って、裏山に登らせて、そして激しい地震の様子と恐ろしい津波の音をまざまざと心に浮かべて、とても感心された映画でした。中国字幕があったし、それに午後の映画も見たし、とても楽に分かりやすい映画を見せました。よかったです。

1873年(明治6年)創立された門脇小学校は地震、津波、火災があっても、適切な避難が出来て、既に下校していた生徒のうち7名が死亡した、過半数の生徒が死亡した石巻市立大川小学校とは対照的でしたが、日本大震災により門脇小学校学区内の人口が減少し、今後も人口増加が見込めないため、2015年をもって門脇小学校を閉校し、石巻小学校と統合することとなりました。

残した三本の『宮城からの報告』を見るか見ないか、実はまだ決まってないです。私は年を取るに連れて、パニック映画に苦手になりましたが、せっかくのチャンスですから、やはり張り切って、一挙に五本の『宮城からの報告』を見た方がいいと思います。特に、日本台湾交流協会で、『宮城からの報告』を見て、より一層意味があるでしょう。そして『宮城からの報告』を製作チームに心をこめて、感謝の気持ちも表せますから。http://www.miyagireport.org/

六月十六日(土曜日)晴れ。午前中、ちょっとした裁縫をして、傘生地で作った軽い袋のほころびを手で縫い直りました。五日間のクルーズの旅に、変わった自己流の便利な傘袋を使うつもりですから。午後、弟の家で昼食してから、国立博物館へ行って、「呂佛庭の禅意絵と文字絵」という講演会に出ました。スピーカーは台湾に有名な書道家の杜忠誥先生でした。日本語読書会の仲間の顔さんのお宅に掛けてある杜忠誥先生の書道を見たことがあるので、顔さんも誘って、一緒に杜忠誥先生の講演に出ました。私はずっと前から杜忠誥先生の名前を聞いたけれども、またお目にかかってなくて、顔さんは杜忠誥先生の書道の生徒でした。

二時間の講演で、杜忠誥先生はまず自分が書道の道を歩んで来たきっかけは呂佛庭先生のお蔭で、台中師範学校で先生と生徒の関係を始めて、呂佛庭先生が亡くされたまで、一生の親友だったと語りました。次に、禅について杜忠誥先生は解釈して、そして、呂佛庭先生の禅意絵と文字絵を詳しく紹介しました。最後に、「無法而法,由少而多,轉他法為我法,我法能忘而入化」の結論を出しました。芸術家は先ずスキルを学び、そして様々な先生に従って、自分のスタイルができて、最後は自由自在に心を表現する境界に辿り着きました。

質疑応答のコーナーで、杜忠誥先生は水墨画家・禅僧の雪舟(1420年~1506年)の名を上げました。私は始めて雪舟のことを知ってたのは日本語伝習読書会の林先生が教えている日本時代公学校の国語読本巻六の授業でした。雪舟は幼い頃近くの宝福寺に入りました。当時、文芸で身を立てるには、寺に入るのが唯一の道であり、室町時代は禅僧が学問・文芸の分野を担って、禅の修行を積むと共に、絵を学んで、水墨画は禅とともに起こった芸術です。描くことはまた、禅の修行でもありました。

雪舟は遣明船に乗って、中国(明)に渡って、宋・元の古典や明代の浙派の画風を吸収しつつ、各地を旅して写生に努め、中国画の直模から脱した日本独自の水墨画風を確立した点での功績が大きいです。呂佛庭先生(1911年~2005年)の水墨画を見れば見るほど、禅意たっぷりで、特に晩期の作品。自由自在にお水と墨を操って、禅意深い水墨画の構図ができて、とても綺麗でした。禅に修行したベジタリアンの呂佛庭先生は半僧と自分のことを呼んで、亡くされる前に、やっとご剃髪なさられて、完僧になれました。

六月十七日(日曜日)晴れ。午前中、三線をかなでる島唄を聞きながら、琉球王国について、勉強し始めました。琉球王国は、1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した王国で、当時、正式には琉球國(りゅうきゅうこく、沖縄方言:ルーチュークク)と称しました。最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治して、琉球列島(琉球弧)とも言いました。隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。外交的に貿易上の理由から、明及びその領土を継承した清の冊封を受けていたが、1609年(明萬曆37年、日本慶長14年)に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入りました。

琉球処分について、1871年、明治政府は廃藩置県によって琉球王国の領土を鹿児島県の管轄としたが、1872年には琉球藩(琉球王国の廃止)を設置し、藩王自ら上京することなどを再三にわたり迫ったが、1879年3月、処分官が武力的威圧のもとで首里城で廃藩置県を布達、琉球藩の廃止および沖縄県の設置がなされ、のちの1895年日清戦争における日本側の完勝をもって琉球全域に対する日本の領有権が確定しました。1972年5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されたことを沖縄返還とも沖縄の復帰とも言います。

「島唄」首里城 詞曲:宮澤和史 
https://www.youtube.com/watch?v=w9iNGN-yhOc
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
くり返す悲しみは 島渡る波のよう
ウ-ジの森であなたと出会い ウ-ジの下で千代にさよなら
島唄よ 風に乘り鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風に乘り届けておくれ 私の淚
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ ささやかな幸せは うたかたの波の花
ウ-ジの森で歌った友よ ウ-ジの下で八千代の別れ
島唄よ 風に乘り鳥と共に 海を渡れ 島唄よ 風に乘り届けておくれ私の愛を
海よ宇宙よ神よ いのちよ このまま永遠に夕凪を

沖縄の総面積は3,600平方メトル(台湾の十分の一),台湾より小さな沖縄が歴史、文化、音楽に恵まれた島です。那霸にある首里城と他の琉球文化遺跡が2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。

毎年6月23日(慰霊の日)に沖縄県および沖縄県内の市町村の機関の休日で、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行なわれます。第二次世界大戦の沖縄戦は、1945年3月26日から始まり、沖縄諸島に上陸したアメリカとイギリス連合国軍と日本軍との間で行われた激しい戦いで、6月23日に終了、首里城やその城下の町並みが破壊されて、戦没者は20万人とされました。

午後、石垣島を勉強し始めました。石垣島は北緯24度20分04秒にて、私は今住んでいる新店と生まれれた嘉義(北緯23.5度)より南の方です。石垣は沖縄の那覇と410キロ離れて、逆に台湾とは概ね270キロしか離れておらず、地理的には日本のほとんどの地域よりも台湾に近い場所に位置しています。

日本の歌手である夏川りみは沖縄県石垣市出身、幼い頃から歌うのが好きで、将来は歌手になることを夢見ていました。2001年に発売した「涙そうそう」がじわじわとヒット、2002年に『第53回NHK紅白歌合戦』に同曲で初出場して、2006年10月には初の台湾(台湾台北國際会議中心)公演を行いました。「涙そうそう」に出会って、夏川は「やっと、自分らしさが分かって自信が出てきた」と語りました。三線は「涙そうそう」から弾き始めたが、今三線、琉笛、三板を演奏しながら歌います。

夏川りみ  涙そうそう 作詞:森山良子 作曲:BEGIN
https://www.youtube.com/watch?v=lqMbKU3BINM

古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔 想い出遠くあせても
おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう

一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも喜びにも おもうあの笑顔 あなたの場所から私が
見えたらきっといつか 会えると信じ 生きてゆく

晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔 想い出遠くあせても
さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう

夜、荷物を片付くより季節転換の服を整頓整理して、大掃除しました。着れないチャイナドレスも少し大きくして、白髪も染めて、大忙しいでした。

六月十八日(月曜日)晴れ。今日は端午の節句、「端午」は五月の最初の午の日を意味して、一年間に一番「陽気」な日です。午の時の12時に日本語読書会の仲間の顔さんにもらった粽を食べました。美味しかったです。

午後、近所にあるおしゃれなサロンでマニキュアとペディキュアして、手指も足指も綺麗になって、色は濃いピンク系、素敵です。クルーズ旅する前に、私はせざるえないのはマニキュアとペディキュアです。

夜、また荷物をし続けて、何を着るかなかなか決められない!気象予報によると、この一週間には雨の連続なので、水着を三着を持って、毎日プルと海水ジャクッジにひたして、雨降りを見ながら、雨降りをハミングで歌います。水曜の沖縄は雨ですが、幸い金曜の石垣は晴れです。クルーズ旅って、下船しなくてもいいですが、せっかくだから、傘とレインコートを持って、一安心です。

2018/06/15

端午の節句

皆さん、おはようございます。明日から端午の節句をお祝いして、三日間の連休があります。笹の葉で作った中華風粽が大好きな私は連休が終わって、日本語ニュース読書会の仲間の孟さんと去年就航されたばかりのマジェスティック・プリンセス(142,229トン)で、五日の初夏のクルーズ旅です。南国の島に生まれた私は海遊びは何よりです。沖縄と石垣へまだ行ってない私は、今一生懸命に三線(さんしん)という沖縄音楽を馴染んで、最高な海遊びを楽しみにしております。

また前週サルスベリについて、お話を続けさせていただきます。ローズベルト大通り(台九線)は興隆路と景美橋の間(羅斯福路5~6段)と興隆路1~2段の路面に、渡りきれない歩行者のために、安全島が設けられ、安全島の上に二百本以上のサルスベリを植えます。サルスベリの幹は人間の皮膚の新陳代謝のように、季節が変わると、薄い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、今、綺麗なお花がいっぱい咲いているうちに、薄いコルクもいっぱい剥がれ落ち、すべすべの幹がとてもお見事に見えます。

サルスベリの繊細な幹を触ったら、くすぐると葉っぱが揺られてから、くすぐったがりの木というあだ名もあります。今度幹を触ってやってみようか、夏の風物詩になるでしょう。百日紅ともいうサルスベリは、文字通りに、花期が長くて、十旬期もあって、夏を越えて、秋まで花が咲きます。「人間は千日を無事に過ごせない、花は百日を綺麗に咲かない、早く設けないと、間に合わない」という名句が中国人に良く知られていますけれども、百日紅が百日も咲けば、人間も千日を無事に過ごせるでしょうねぇ!これからも、皆さんと三年も三十年も付き合って生きたいです。

「人無千日好,花無百日紅;早時不算計,過後一場空。」元曲 兒女團員より

今日午後から夜まで、日本台湾交流協会で、日本映画上映会『宮城からの報告』を行い、午後の『津波のあとの時間割』は三時から、五時まで、夜の『3月11日を生きて』は六時半から、八時十分までです。午前中11時半に、日本語入門読書会の仲間と交流協会の近くフーターズというアメリカのレストランで一緒にお昼ごはんをする予定です。みんなさんも、よかったら、ご一緒にいかがかしら!

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは6月14日16時55分『2022年4月から18歳以上が成人になる』というニュースです。日本では13日に民法を改正して、4年後の2022年4月1日から成人は今の20歳から18歳に引き下げることに決まりました。親などの許可がなくても、お金を借りたりクレジットカードを作ったりすることができるようになります。改正民法では、女性が結婚できる年齢を16歳から18歳に引き上げて男女ともに結婚できる年齢を18歳とすることが盛り込まれています。

改正された日本の民法が男女平等の道を歩んでいくにつれて、残念ながら日本の女子高校生が結婚することが無理になってから、女子高校生の恋物語の映画も少なくなるでしょう。成人の年齢が引き下げると共に、初等と高等教育の年齢と年限も一緒に考えた方がいいと私は思います。小学校は六年から五年に短くして、高校は三年から二年になったら、大学受験の年齢や時期も16歳にできると良いんではないか。今からの社会では、堅苦しい学校教育より、インターネットで自己教育を楽しむ人がたくさんいますから。

六月八日(金曜日)晴れ。午前中、国立歴史博物館で行われる『Shall we ダンス?』のイベントに日本語入門読書会の仲間の黄さんと一緒に参加しました。国立歴史博物館の前に立っている大きいな看板があり「本館は2018年7月2日をもって、リフォームのために閉館となり、期間は3年間でございます。閉館の前に、ぜひお越し下さい。もっときれいな記憶を残しましょう。」
https://www.nmh.gov.tw/jp/index.htm

「暫くの別れ-もっと美しい出逢いを」のテーマで、国立歴史博物館はいろいろな「再見」活動を設けて、スペイン語『Otra vez』という『もう一度』の『Shall we ダンス?』がその一つです。20名の参加者を10ペアに分けて、事前に用意された靴下を履いて、顔料にあるバケツに浸し、床に敷かれた白いポスターの上に踊りました。三人の楽団(ギター、アコーデオン、チェロ)の伴奏に合わせて、二人のダンスによれば、華やかな足跡を残りました。これから、国立歴史博物館がリフォームされる前まで、幾つの活動に参加するつもりです。みんなさんも、どうか、ご一緒に!

夜、日本台灣交流協會で、2018年三遊亭竜楽の落語入門講座に出て、8ヶ国語を操るグローバルな落語家・三遊亭竜楽師匠にお目にかかって、笑い話のいっぱいの落語公演を頂き、奥深い落語の世界に触れられました。公演の前半には、落語という日本伝統な芸能を説明して下さって、そして「気の長短」と「味噌豆」という有名な噺を見せて、後半には8ヶ国語での「味噌豆」と「ちりとてちん」も見みせました。

質問コーナーで、二つの質問がありました。「三遊亭竜楽さんが落語に励んで、何年になりましたか。中国語で落語するには、最大のチャレンジは何でしょうか。」と一つ目の質問が私が出しました。「落語をやって、30年も越えましたが、中国語はいろいろ方言があります、北京語と台湾の中国語が発音が違いと感じて、今度台湾の中国語で落語したいです。」と三遊亭竜楽さんが答えます。「落語家が使ってる道具の扇子と手拭には家紋と柄がありますか。」と二つ目の質問の答えは、「今晩『ちりとてちん』という落語をするため、市松文様の藍色に白い線が絡む手拭を選んで、豆腐みたいと思いますから。」

六月九日(土曜日)晴れ。今日は沖縄を知るために、桜井寛監修、はやせ淳作画の「駅弁一人旅ザ・ワールド台湾+沖縄編」という漫画を読み終えました。台湾の鉄道と駅弁に詳しい漫画なので、台湾と日本の鉄道ファンにとって、面白く書かれたガイドブックだと思って、あえて一読をお勧めします。再来年、65歳になった私、半額で鉄道の旅ができって、「駅弁一人旅」の主人公の中原大介の鉄道ルートに沿って、主人と一緒に台湾一周をします。

中原大介は飛行機に苦手だから、沖縄経由東京から台湾への鉄道旅だったが、鹿児島から沖縄へ25時間がかかってフェリー「あけぼの」を紹介すれば、沖縄で唯一の単軌鉄道「ゆいレール」も紹介しました。「ゆいレール」って、「ゆい」は「結び」、つまり人と人を「結びレール」とのことです。日本最南端の駅弁駅の壷川駅は那覇で一番古い漁港の食堂です。私も海人(うみんちゅ)がつくる壷川駅前弁当を食べに行きたいわ!うみんちゅって、沖縄弁の漁師のことです。時間が良ければ、日本最南端(赤嶺駅)と最西端(那覇空港駅)の駅を訪れたいです。だって、私は日本最東端(東根室駅)と最北端(稚内駅)へ行ってただもん。やったーッ今年には、日本東西南北最端の駅全部制霸だー!

六月十日(日曜日)午後、クロッグダンスクラスで、かねての計画通りではなく、合同発表会が延期される事を知らせました。合同発表会って、切磋琢磨するチャンスによって、グループのメンバーが結束すれば、ステージに上がる勇気が湧いて、楽しい思い出を作ることです。合同発表会が延期されたゆえ、暫くリハーサルをしなくてもいいので、新しいスペイン語の曲に挑戦しました。2018年オーストラリアのクロッギング協会の指導者であるカナダ籍のDarolyn Pchajekさんがデモした初級レベルのダンス ,Cheloさんの『Cha Cha』曲の前半を練習しました。https://www.youtube.com/watch?v=7VDNIld8IRk

~Let's get wild and cha cha all night long

Everybody in the party do the cha cha Everybody work it down and feelin cha cha
Hey muchacha give me your cha cha Y cha, cha, cha, un, dos, tre' par' bailar

六月十一日(月曜日)遅れた梅雨がやっと始まりました。午前中、古着再生のクラスで、使わない傘の生地を軽くて扱いやすい袋に変わりました。雨の連続の日々に、とても便利です。

午後、日本語ニュース読書会の薛先生に応援するために、台北市立図書館総館で行われた書道と水墨絵の展示会に出て、絵画にますます目が肥えてきました。中国書道と水墨絵にお上手な薛先生は一年半前に私の教え子だったが、今は日本語ニュース読書会の担当先生になりました。外国語の勉強は人によって、進歩速い方がいれば、進歩遅い方もいますねぇ!先生になれば、もっと進歩速くなるかなぁ!今年三月クロッグダンスの先生を担当してから、私は足先が器用になりましたねぇ!やはり、習うより教えろう!台北市立図書館総館で行われた書道と水墨絵の展示会が今週いっぱい(六月十六日)終わります。

六月十二日(火曜日)晴れ。午前中、クロッグダンスを何曲準備して、あらかじめ秋に老人ホームでの演出プログラムが設けておきました。クロッグダンスのお蔭で、色んなジャンルの舞曲(チャチャ、ワルツ、サンバ、カントリーミュージック、リバーダンス)を探して、自分の耳も肥えてきましたねぇ!

午後、有吉佐和子が書かれた『恍惚の人』を読み終えました。恍惚の人って、認知症に罹っている年輩の方を指し、有吉佐和子が昭和時代の社会矛盾に鋭い目を向けて、認知症老人とその介護の嫁さんの姿を描きました。主人公の昭子は仕事と家庭を両立したキャリアウーマンで、ご主人が自分の父親の病気を一切妻の昭子に任せた伝統な日本家族の物語でした。最近台湾では、外国籍のお手伝いさんを雇って、お年寄りを介護する家庭が多くて、外国籍の花嫁を始め、多様な家族のあり方があって、家族の絆は親子と夫婦の関係ににどんな変化をもたらすか、逆もまたおんなじ、親子と夫婦の関係は家族の絆にどんな変化をもたらすかを注目すべきです。

ファションをたしなむ有吉佐和子さんは和服を好んで、外国訪問時には華やかな和装でしばしば周囲の注目を集めました。中日国交回復前の中国に日本の作家団として招待されたときにも、派手な服装の自粛(じしゅく)をすすめられたにもかかわらず、華やかな着物で訪問して歓迎され、周恩来に「今日の私の着物の柄が牡丹(中国の国花)でなくて残念です」と言ったところ、周から「牡丹はあなた自身ですね」と返されてたそうです。

六月十三日(水曜日)曇り。午前中、書留郵便で旅行会社からのマジェスティック・プリンセスの旅行日程をもらいました。荷物の制限のないクルーズの旅だから、毎日食べたら、飲んだり、遊んだりして、普通飛行機の旅する前にの緊張感があんまり感じてなかったんです。来週の月曜日の夜に、荷物を整い始めたら、また間に合うでしょう。いいねぇ!台湾の基隆港での出航と入航なので、荷物の運ぶのに、心配なし!

午後、年に一度、目の検査に行きました。季節が変わると、目が敏感になって、痒くてたまらなくて、眼科の専門医者に診てもらって、大したものではないと言われて、一安心です。軽い白内障に罹ったことが去年から、知っていましたが、今さら手術の時間ではないそうです。

眼医者の診療を待っている一時間半のあいだに、図書館に借りた「沖縄お得に遊ぶ」を読見終えました。今回沖縄の停留時間がただ半日しかないので、たぶん那覇にある国際通りを散策する時間で、コーヒーを一杯飲むくらいでしょう。知らないお年寄りの沖縄人に出逢ったら、チャンスをしっかり掴んで、日本語で交流したいです!沖縄の方言も幾句身につけたいです。

六月十四日(木曜日)小雨。午前中、パステル授業で、スコットランド製ライル&スコットのキャンバスのかばんの上に、ドイツ製スッテドラーの水性カラーペンで、ブッソウゲを四本と青い蝶々を2頭を描いて、こらから出かける時に使います。自慢な我が家の花園を皆に披露します。

午後、日本語入門読書会のエミ先生は小雨の中に、わざわざ自分が作った粽ときゅうり漬けを家まで持って下さって、嬉しかったです。近所の人々と仲良ししてるのは何よりです。

夜、さっそくエミ先生にもらったは粽ときゅうり漬けを晩御飯に決まって、美味しかったです。エミ先生、ありがとうございました。皆さんも良い端午の節句をお迎えくださいませ!

お知らせ

日本映画上映会『宮城からの報告』
日時:6月15日(金曜日)
場所:日本台湾交流協会台北事務所地下1階文化ホール
『津波のあとの時間割』14:30入場開始 17:05頃終了予定
『3月11日を生きて』18:00入場開始 20:10頃終了予定

2018/06/08

生き物のドラマ

皆さん、おはようございます。私は住んでいる四階のアパートが大自然に囲まれて、毎日生き物のドラマが演じてます。夏になるに連れて、花がさく、鳥が鳴る、毎朝の趣の一つは今日は扶桑花が何本咲いているか。そして鳳凰木の上に並んでいるシロガシラの稚鳥がどのくらい成長するか。身の回りにある素晴らしい大自然の仕組みが、私の心を魅了してやみません。
六月の今には、毎日自転車に乗って、新店と台北を繋ぐローズベルト大通り(台九線)を行き来して、ローズベルト並木道にサルスベリ(猿滑)は美しい花がいっぱい咲いて、とても綺麗です。ピンク、紫、白い小さな花を見ると、炎天下の暑さをしのげるようになりました。猿滑という和名は、幹の成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、新しいすべすべした樹皮が表面による、猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、猿滑りという名前が出来る(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう)。
今晩、日本台灣交流協會で、2018年三遊亭竜楽の落語入門講座を行います。8ヶ国語を操るグローバルな落語家・三遊亭竜楽師匠は落語公演による、落語の解説、日本語、中国語、台湾語を交えた口演、日本文化紹介などを紹介します。奥深い落語の世界に触れることを楽しみにしております。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは6月4日11時30分『6か月で1番売れた本は漫画「君たちはどう生きるか」』というニュースです。日本出版販売は、去年の11月下旬から6か月の間に、一番売れた本は、1937年に吉野源三郎が子どもたちのために書いた本を漫画にした本でした。去年の8月に売り始めてから、202万冊も売れました。
さっそくですが、私は台北市立図書館から、吉野源三郎(1899年~1981年)が書かれた絵本(イラストリスト脇田和)を借りました。吉野源三郎が昭和を代表する進歩的知識人で、『君たちはどう生きるか』の著者として知られています。2017年には、羽賀翔一による、マンガ「君たちはどう生きるか」が人気を博し、原作の『君たちはどう生きるか』がブームとなりました。
たとえ古い本でも、価値があれば、売れるこだと思いますが、時代にふさわしい漫画の形で、アピールする手段は見習うべきです。知識、芸術、考えを生活の一環として、人々を興味を引くことが賢明な販売戦略です。NHKやさしいニュースのお蔭で、「君たちはどう生きるか」という絵本も読めるし、日本語も勉強できるし、心よりNHKに感謝します。
六月一日(金曜日)雨の日。扶桑花が三本咲いています。シロガシラの稚鳥一羽ではなくて、二羽です。「一姫二太郎」だろうか!シロガシラの稚鳥はかしらがまた黒くて、一日中ずっと鳳凰木(ホウオウボク)の枝におとなしく並んで、父親鳥が餌を取り戻ることを待って、母親鳥が小鳥の側にいて、子供を見守っています。
一日中、時間をつぶす、映画『キセキ ーあの日のソビトー』と『PARKS パークス』を二本見ました。二本とも大学構内の学生バンドの物語です。ちなみに、「さくらしめじ」というデュエットギターバンドも好きになりました。
『キセキ ーあの日のソビトー』は名曲「キセキ」誕生にまつわる実話を基にした“キセキ”の大ヒット曲の物語!GReeeeN(グリーン)は、日本の音楽グループ、歯科医と両立しているため、顔や姿を一切出さないアーティストとして知られています。『PARKS パークス』は東京・吉祥寺の井の頭恩賜公園の開園百周年を記念して製作された青春音楽ドラマ!同公園と吉祥寺の街を舞台に、五十年前に作られた曲に込められた恋人たちの記憶が、現代に生きる三人の若者たちの夢につながっていく様子を描きました。https://www.youtube.com/watch?v=HcUFojl3W0s
キセキ 作詞:GreeeeN 作曲:GreeeeN https://www.youtube.com/watch?v=DwTinTO0o9I
明日 今日よりも好きになれる 溢れる想いがとまらない
今もこんなに好きでいるのに 言葉にできない
君のくれた 日々が積み重なり 過ぎ去った日々 二人步いたキセキ
僕等の出会いがもし偶然ならば運命ならば
君に巡り逢えた それってキセキ
二人寄りそって步いて 永久の愛の形にして
いつまでも 君の橫で笑っていたくて
「ありがとう」や Ah 「愛してる」じゃ まだ
六月二日(土曜日)曇り、扶桑花が二本咲いています。シロガシラ家族の四羽全員は鳳凰木の枝の上に立って、時の流れに成長を任せます。いいなあぁ!
夕べおかしい夢を見ました。朝、目を覚めて、夢をはきり覚えてます。どこでの修学旅行でした、台湾人、中国人、日本人を混ざって、いろいろな言葉を喋りました。高校、大学、大学院か、自分の年齢が速く変わってたが、夢を見るのが大好き私は、幸い常に夢を見ます。一日24時間に生きると感じってます。
午後、(金曜日)中国神秘紀行シリーズの第13集を見ました。景德鎮の「琺瑯彩」を紹介しました。近頃香港で行われたサザビーズのオークションで一つの茶碗が日本円にしておよそ24億円での琺瑯彩は世界に3点(その一点は台北故宮博物院にある)しか存在しないという幻の秘宝だと言われてます。琺瑯彩が作られた期間はわずか200年あまり、清王朝が全盛を極めた時代康煕(こうき)、雍正(ようせい)、乾隆(けんりゅう)三人の皇帝に愛され琺瑯彩はまさに景德鎮が生んだ美の極致だったのです。
今、景德鎮にある人が琺瑯彩に情熱を注いで、同じ高嶺土、同じうわぐすり、同じ作法で、同じ土で寝かせて、琺瑯彩をよみがえています。信じられないでしょう、その複製された琺瑯彩は数百万日本円もかかります。白磁に繊細な絵を描いたことがある私は、二十数年前に、フランスのシャンベリにある言語学校で短期留学した時に、白磁絵の授業も何回も受けました。今も家に作品が幾つ残っています。
夜、台北市立図書館に借りた10本のDVDを全部見終えました。映画と付き合って、楽しい一週間でした。
六月三日(日曜日)晴れ。扶桑花が二本咲いています。シロガシラの小鳥が成長して、翼か硬くなって、家出しました。ついに、シロガシラ家族の姿が消えて、寂しくなりました。
午後、クロッグダンスを練習して、六月二十五日合同発表会の開幕と閉幕ダンスの振りつけを完成しました。
夜、中国神秘紀行シリーズの第14集を見ました。唐三彩を紹介しました。今からおよそ七千年前の黄河文明の発祥の地とされている河南省へ行ったことがない私は、唐三彩に詳しいです。二十数年前台北国立歴史博物館の初代目のボランティアーをした時、唐三彩ついて、いろいろな勉強をしました。
唐三彩は文字通り、唐時代の美の結晶と言われて、三彩は多彩と言う意味で、緑や黄色、藍色など二色以上色彩を使われた王侯貴族の墓の副葬品です。唐時代に洛陽で都が置かれて、シルクロードの交易によって、繁栄を極め、世界最高の文化が花開きました。西アジアの影響を受けたデザインの唐三彩は1899年に洛陽鉄道建設工事で発見され陶器です。
国立歴史博物館は元河南省博物院の唐三彩と戦後日本から返ってきた文物が蒋介石政府と共に台湾に運ばれました。国立歴史博物館の唐三彩の収蔵点数は台北故宮博物院より多い、台湾一です。
仲尼(孔子)はこう言っています、「俑を初めて作った者は、きっと子孫も絶えたであろう」と。この意味は、実際の人間に似せた人形を土に埋めるのに用いたのを、(人間を侮辱した行為だとして)非難したのです。人形に対してすらこれほど共感できるのに、いわんや子である人民を飢え死にさせるというのはいかがなものでしょうか?」       孟子 梁惠王より
悪例を作り出した人のたとえ、初めて殉葬用の俑を作った人は活人を殉葬しなくて、俑をつくろうと考えました。始皇帝が死んだ時、大量な等身大の秦兵馬俑がいっぱい殉葬されました。漢時代から唐時代にかけて、俑を殉葬させた風習がありましたが、高い陶器の俑を使う余裕がなくなって、紙に代わりました。今までも、葬式には、紙で作った紙俑と紙銭を焼く習慣が台湾に残っています。空気汚染を悪化しないように、速く紙俑と紙銭のやく習慣をやめたほうがいいんじゃないでしょうか。
六月四日(月曜日)晴れ。扶桑花が六本も咲いています。二羽のシロガシラの稚鳥が鳳凰木の枝に行き来します。カラシの羽がたんたん灰色になります。
午前中、日本語入門読書会を担当して、先ず、ジャンケンを遊んでから、今月いっぱい合同発表会のリハーサルをやりました。
午後、外務省トーストマスターズクラブの創立会に招かれて、20名の外務省の役員と一緒に創立大会を開きました。六月十四日に一回目のデモミーティングがありますが、今トーストマスターズではない私は出席しません。三回目復活された外務省トーストマスターズクラブが、官庁のピラミッド形の階級組織なので、堅苦しい官僚トーストマスターズクラブが運営し難いと私は思います。
創立大会の後、午後一時半から二時まで、全民万安避難訓練があるので、外務省喫茶店で、コーヒーを飲みながら、一人の外交官はナウル共和国(面積21平方キロ)での仕事を語りました。台湾と正式な外交関係がある十数国のナウルはバチカン、モナコに次いで面積が小さい。太平洋南西部に浮かぶ珊瑚礁のナウル島は私が住んでいる新店より小さいです。外交官に外交世界の世間話を聞いてもらう内に、避難訓練が終わって、のどかな午後を楽しみました。
夜、中国神秘紀行シリーズの第16集を見ました。中国貴州省を紹介しました。カルスト地形が峰々が連なる大山岳地帯に暮らしている明朝漢民族の末裔と十数少数民族があり、山々が村と村の交流を阻んできて、閉ざされた世界の山人が独自の文化を育んできました。黄果樹瀑布(高さ74メトル、幅81メトル)、東アジアにおける最大級の滝です。
二十五年前に、トーストマスターズ大会がカナダトロントで行われたきっかけに、立派な蹄鉄形のナイアガラ瀑布(高さ57メトル、幅320メトル)を見学しました。台湾平渓にある十分瀑布(落差20メートル、幅40メートル)は。カーテン型としては台湾最大の滝で、半円形の形状とその美しさから、「台湾のナイアガラ」と呼ばれています。台湾鉄路管理局平渓線沿線の名所として知られています。
天安門事件から、29年になりました。天安門事件が起こったとき、ちょうど私はロスアンジェルスに出張しております。それ以来、アメリカに行ったことがないです。寝る前に、神をうやまって、天安門事件での犠牲者をとむらうことにしました。
六月五日(火曜日)晴れ、扶桑花が二本咲いています。朝早くに、シロガシラ家族の四羽全員は前のベランダにあるマラバール栗の枝の上に立って、大声で歌います。目覚めさせた私はついにて朝早く起きて、今日も三文を得ました。
午前中、中国神秘紀行シリーズの第17集を見ました。陝西省の省都・西安を紹介しました。古くからシルクロードの玄関口として発展してきた西安に漢王朝が都として定めまして、当時長安と呼ばれました。西安から西へおよそ360キロ離れて麦積山にある巨大な石仏のことをはじめて知りました。シルクロードを通う人々を守り続けます。
午後、日本語ニュース読書会の仲間七人と一緒に陳さんが101近くに高級マンションにお邪魔して、カラオケをやりました。陳さんがまず19階にある部屋を見せて、101は目の前で、見晴らしはとても良かったです。めったに台北に会えないアラビア人がエレベーターに会って、やっぱり高級マンションに住んでいる人はお金持ちさんです。一時から四時まで、二人のお坊さんを含まって、六名の男性と三名の女性が日本語の演歌を歌いながら、踊りました。一人のお坊さんに双葉社が出版された「お寺へ行こう、週末出家ガイド」を読ませていただきました。人生道場というのは何処で言っても、摂心すれば、修行が出来ます。
夜、雨でした。中国神秘紀行シリーズの第18集を見ました。私にとって、24集の最後の1集として、貴州ミャオ族の嫁入り行列を見て、縁起のいいエンディングだと思って、昔台湾の農村風景を頭に浮かべました。祭司が花嫁の身を清めてから、新郎の家に入ることが許されるのです。巫女(みこ)が長く仲良くするように祈ってます。三十年余り前、自分が主人の家に嫁入りのいろいろなしきたりを思い出しました。
六月六日(水曜日)晴れ。扶桑花が六本咲いています。二羽のシロガシラは栗の枝の上に並んでます。
午前中、面白いミュージカルっての講演を景新図書館十階の会議室で聴きました。声楽に専門したスピーカーはまずミュージカルについて説明し、そして最近台湾に人気があるミュージカルを幾つ紹介し、発声のコツを教えて、最後にみんな一緒に一曲の主題曲を習いました。その講演は興味深く、かつ学びとこるが多かったです。
午後、雨でした。吉野源三郎が書かれた「君たちはどう生きるか」中国語訳版を読み終えました。面白かったです。イラストを見てから、昭和紀初期の東京風景、中学生の格好と喧嘩のことを覗きました。中一の主人公とおじさんの対話で、生きる方と生き甲斐を考えさせられます。勉強になりました。
六月七日(木曜日)晴れ。扶桑花が三本咲いています。二羽のシロガシラの稚鳥の姿が見つけなかったが、主人の話によると、早朝一時に鳳凰木の枝に佇んだそうですが、たぶん日中に何処かに避暑されています。夕暮れ、シロガシラ家族が全員鳳凰木の枝に戻って、主人が用意してパンくずを取って、楽しく召し上がる様子が心を癒されました。
今日は六月始めの木曜日ですから、月に一回市立図書館の休館日で、美術の日も休みました。午前中、家で、美しい自然と楽しい人生を捧げるため、「扶桑花園の赤い裸女」の創意写生が一枚完成しました。
午後そして夜、中山本富美子と工藤嘉名子が編著された『国境を越えてII』をやっと読み終えました。勉強になりました。
後書き:毎日忙しい自分が好きな私はやっと中国神秘紀行シリーズ全24集を見終えました。大変勉強になりました。飽くなき悠久な中国歴史と雄大な中国大地を何回見ても、私の心を魅了してやみません。日本語字幕があるので、日本語勉強にも役に立ちました。来年中国を旅するチャンスがあれば、また中国神秘紀行を台北市立図書館から借りて見ます。
お知らせ
【Shall We Dance! また逢う日まで】
日時:六月八日~六月十七日
時間:十時から十一時まで、午後二時半から三時半まで
場所:国立歴史博物館
費用:無料、保證金500元
両足を顔料に付けて、自分のペースで、踊って、そして自らの歳月記憶を残ろう。今年の七月から、国立歴史博物館が三年間で重建される予定である。さよならする前に、一緒に踊って、まだ会える日まで。
申し込む:https://goo.gl/jVZCky
日本映画上映会『宮城からの報告』
日時:6月15日(金曜日)
場所:日本台湾交流協会台北事務所地下1階文化ホール
『津波のあとの時間割』14:30入場開始 17:05頃終了予定
『3月11日を生きて』18:00入場開始 20:10頃終了予定

2018/06/01

中国神秘紀行

皆さん、おはようございます。2018年の夏は大変な猛暑だと言われて、五月なのに、台北の気温は38.2度に及んで、台北気象局が成立されて以来の122年間に、五月に一番高い気温の記録ができて,しかも歴史的に五月の気温が38度を超えました。
寒い冬より熱い夏を好む私は、夏になると一番の悩みは夏さではなく、やはり蚊です。夜の寝る時、蚊に刺さって、全身が痒くてたまらなくて、それに蚊が耳の側に飛んで、一晩中蚊との戦いは常でした。蚊に負けて、初めて蚊帳をつって寝ることになりました。蚊帳の中に、安全感があるので、ぐっすり寝ることが出来ました。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは5月30日11時30分『日本政府は来年の10月から3歳から5歳の子どもは、家庭の収入に関係なく、小学校に入る前の小さな子どもの幼稚園や保育園などを無料にする』というニュースですが、0歳から2歳の子どもは、家庭の収入が少ない場合だけ無料にします。県や市などが認可していない保育園は無料ではなくて、一部だけ国が払います。
小子化の時代になって、小学校に入る前の小さな子ども、年齢を問わず、殆ど無料にするべきだと私は考えます。しかも、お年寄りに対する生涯教育もできるだけ、無料にやるべきです。AIが飛躍的に進んで行くにつれて、毎日生んで来た大量な新しい知識を、政府は小さな子どもであれば老人である少数派の人々に積極的に教育チャンスを与えるべきだと私は思います。
五月二十五日(金曜日)午前、中国神秘紀行シリーズの第8集を見ました。およそ1200年前日本から遣唐使船が浙江寧波に上陸しました。寧波は古くから海のシルクロードの玄関口として発展を遂げて来て、七世紀から九世紀にかけて、十数回に及んだ遣唐使一行の上陸地点の一つとしても知られています。
天台宗の開祖最澄(さいちょう)は38歳の時、804年7月、夏の台風の季節、空海とおなじく九州を出発、一度荒れると牙をむく東シナ海を渡って、九月に寧波(当時は明州)に到着し、天台山に登り、天台宗の第6祖湛然(たんねん)の弟子の天台宗の第7代の座主道邃(どうずい)について、天台教学を学びました。帰国後、最澄は比叡山延暦寺を建てて、天台宗の開祖となりました。最澄の名言は、一切の有情(うじょう)は皆悉(ことごと)く成佛(せいぶつ)し、一つとして、成せざるなし。
私は京都立命館の交換留学生の一年間に、何回も比叡山に登ったことがありましたが、天台宗の開祖最澄のことを全然知らなかったんです。今度京都に戻るチャンスがあれば、ぜひとも比叡山延暦寺を見学します。中国浙江省に何回も行って、普陀山に行ったことがありましたが、天台山に登ったことがありませんでした。
最澄開祖は日本から中国へ、鑑真(がんじん)開祖は中国から日本へ、東シナ海を渡ること六回目にして、ようやく754年に鑑真は中国から日本に辿り着きました。鑑真は759年唐招提寺を創建し、戒壇を設置しました。日本における律宗の開祖だった鑑真は763年奈良時代の帰化僧になって、同年唐招提寺で死去(遷化)しました。享年76歳。死去を惜しんだ弟子は鑑真の彫像を造り、日本最古の肖像彫刻とされています。
私は奈良にある唐招提寺へ行ったことが一回あります。鑑真のことを崇めております。今度京都に戻るチャンスがありましたら、必ずもう一度唐招提寺へお参りしたいです。
午後、二時から四時まで台北市萬福國小の視聴室で、2018東京アニメ最優勝獎【幸福路上】を無料で見ました。主人公は台北新荘にある幸福路に住んでいる一家のことでした。映画を映した前に、監督及び脚本の宋欣穎さんのインタビューを見て、デビュー映画としての監督は自らの成長物語を映画化して、しかもアニメでした。掛け替えの無い家族の大切さはアニメの名前通りに幸せに満ちたアニメでした。六月二十七日(水曜日)午後、萬福國小の視聴室で、宋欣穎監督にお目にかかることができて、一緒に講演を聞きに行きませんか。
五月二十六日(土曜日)晴れ。午前、土曜日本語授業の一時間目に私は四回目光村図書出版のこくご一上(かざぐるま)を教えました。「あいうえおで遊ぼう」というレッスンでした。学生さんに三つのグループに分けて、五十音の体操を考えらせました。そして、林先生がお好きなナポリの民謡のサンタルチアを練習しましたが、林先生を始め、学生さんも合同発表会に参加する興味がないので、日本語伝習読書会が六月二十五日合同発表会退出することに決めました。ついに私も土曜日本語授業を全部林先生に任せることに決めました。
一ヶ月の間、林先生のおかげで、台湾総督府の公学校用国語読本を勉強して、ためになりました。台湾における日本の殖民地統治時期の五十年間(1895年~1945年)に、公学校が1899年に設置されて、公学校用国語読本計全五期(第一期1901~1914、第二期1913~1926、第三期1923~1941、第四期1937~1943、第五期1942~1945)も出版されて、一期12巻、全五期の60巻が台北図書館にあるので、拝見して、日本の殖民地統治時期に台湾小学教育と当時台湾人の生活風景を覗けました。
台湾における15校小学校は日本籍学童(20,000人以上)、日本の尋常小学校と同一課程の教育を実施しました。日本の尋常小学校は1886年に成立されました、最初は四年制ですが、1907年から、六年の義務教育になりました。尋常小学校を卒業してから、義務教育ではない二年制の高等小学校には入れました。台湾籍児童に対しては公学校、原住民児童に対しては蕃人公学校(1914年)を設置しました。公学校国語用第一種(台湾人)、第二種(蕃人)と尋常小学校用(日本人)の国語読本は内容とイラストがどう違うか興味津々です。
午後、中国神秘紀行シリーズの第1集と第2集を見ました。第1集には、四川を紹介して、四川料理が大好きな私は天府の国の四川という地名の由来は長江へ続く四つの大河(金沙江、雅礱江、岷江、嘉陵江)のことが分かりました。第2集には、雲南省の麗江を紹介して、納西族の宗教であるトンパ教の経文はすべて象形トンパ文字で書かれています。納西族では、男女の仕事分担がはっきりして、家事はすべて女性がします。男性は琴をたしなみ、碁を打ち、絵を描いてはタバコを吸い、酒や茶を飲んでいれば、いいです。七文字で「琴棋書畫煙酒茶」と言えます。羨ましい限りで、男たちの天国じゃないでしょか。
五月二十七日(日曜日)午後、精いっぱいクロッグワルツを練習して、六月二十五日合同発表会の閉幕ダンスの振りつけを完成しました。
五月二十八日(月曜日)晴れ。午前中、月に一回の台北市立図書館で日本語ニュース読書会を担当して、六月二十五日合同発表会をリハーサルしました。授業のあと、日本語ニュース読書会の担当先生と二人の学生さんと一緒にジルバと言う踊りを一時間も練習しました。合同発表会に出ることになりました。
午後、景新分館で新着荷のDVDが本棚にいっぱい並んであるので、「君の名は」を含めて、10枚(1人につき5枚、主人と私の分)も借りました。ほとんど日本製作された映画でした。日本映画を通して、日本事情を知り、日本語も上達でき、何よりです。だから、いくら素晴らしい韓国映画と言っても、私は見たくないです。だって、時間を無駄したくないです。
夜、さっそく「P&JK(ピーとジェイケー)」という超人気ある漫画から実写された映画を見ました。タイトルのPはPolice officer(警察官)の頭文字、JKは女子高生を表す略語で、面白い警察官と女子高校生の恋物語でした。自分の高校時代のいろいろな乙女心の気持ちも思い出しました。とても癒された映画だと思います。
五月二十九日(火曜日)午後、日本語読書会の仲間と一緒に日本の歌を練習しました。今年十二月二十四日(月曜日)に日本語入門読書会のクリスマスコンサートを開くことに決めました。帰り道、夕立に降られる、すっかり濡れて、1925年(大正14)北原白秋が作詞された日本の童謡「雨降り」を歌いながら、家に帰りました。
五月三十日(水曜日)晴れ。中国神秘紀行シリーズの第22集を見ました。第22集には、「蜀の道」という古道を紹介しました。およそ2000年以上も前に作られた「蜀の道」は断崖絶壁を行く、険しさは困難を極めて、三国志をロマンに彩られ、今も人々魅了します。『三国志演義』(さんごくしえんぎ)は、中国の明代に書かれた、後漢末・三国時代(魏、蜀、呉)を舞台とする時代小説・通俗歴史小説で、四大奇書(三国志演義、水滸伝、西遊記、金瓶梅)の一つに数えられて、読んでいない中国人はいないでしょう。
唐の時代の詩人李白は大変有名な詩「蜀道難」を残っています。剣門関の険しさを詠い上げたものです。劍閣崢嶸(そうこう)として崔嵬(さいかい)、一夫関に当たれば、万夫も開くなし。諸葛孔明は剣門関が敗られない限り、蜀の平和を保たれ続けると考えたからです。
蜀道難 李白 唐
噫吁嚱!危乎高哉!
蜀道之難,難於上青天!蠶叢及魚鳧,開國何茫然。
爾來四萬八千歲,不與秦塞通人煙。西當太白有鳥道,可以橫絕峨眉巔。
地崩山摧壯士死,然後天梯石棧相鉤連。
上有六龍回日之高標,下有衝波逆折之回川。
黃鶴之飛尚不得過,猿猱欲度愁攀援。青泥何盤盤,百步九折縈巖巒。
捫參歷井仰脅息,以手撫膺坐長歎。問君西遊何時還?畏途巉巖不可攀。
但見悲鳥號古木,雄飛雌從繞林間。又聞子規啼夜月,愁空山。
蜀道之難,難於上青天,使人聽此凋朱顏。連峯去天不盈尺,枯松倒掛倚絕壁。
飛湍瀑流爭喧豗,砯崖轉石萬壑雷。其險也若此,嗟爾遠道之人,胡爲乎來哉!
「劍閣崢嶸而崔嵬,一夫當關,萬夫莫開。」所守或匪親,化爲狼與豺。
朝避猛虎,夕避長蛇。磨牙吮血,殺人如麻。錦城雖云樂,不如早還家。
蜀道之難,難於上青天,側身西望長咨嗟。
午後、二時から四時まで台北市萬福國小の視聴室で、劉士堉というクラシック・ギタリストの講演を聞きました。2018年台湾国際ギターフェスティバルの監督である劉先生はまず観客に世界各国に有名なクギター曲を五つも聞かせて、そして最後に、1957に作曲された「愛のロマンス」という世界で一番有名なギターの楽曲を弾いて頂きました。嬉しかったです。
実は、私は大学一年生の時(1973年)、クラシック・ギターのサークルに入って、「愛のロマンス」も弾けて、当時台湾では流行っていたキャンパス歌謡曲が何曲も弾けました。音楽が大好きな私は来年からバンドを作って、再びギターを弾くつもりです。
五月三十一(木曜日)今日は五月最後の日なので、税金を払わないといけない日です。午前中、パステル授業の先生が三週間を休んで、やっと顔を出して、鳥を描くコツを教えてくれました。二時間の間に、我が家のベランダに赤い花がいっぱい咲いてる鳳凰木(ホウオウボク)の枝に遊んでるシロガシラ(白頭)親子3羽(3ば)を完成しました。
午後、スケッチの授業で、肖像画の練習で、私は陳澄波さんの肖像画『四人の道化師』を完成しました。陳澄波さんは1895年嘉義に生まれ、13歳の時公学校に入り始めて、そして、台湾総督府国語学校に入学、石川欽一郎さんについて、写生と水彩の技法を勉強しました。1924年、30歳の陳澄波さんは東京美術学校に入学、1926年日本第七屆「帝國美術展覧会」に入選しました。
私は小学校の時、画家を志向して、毎日絵を描くことに夢中しました。小五から、進学するために、絵画のことを止めましたが、今、週に絵を二枚描いて、幼い時の夢をなんどか叶えたと感じてます。嬉しいです。
夜、恋愛奇譚集(2017年製作の映画)を見ました。台湾の女子高校生ユーウェン(ヤオ・アイニン)は交換留学生として、福島天栄村にある高校へ行って、思うように言葉が通じないもどかしさを抱えながら、ホームステイ先の古川酒造の若い三代目と日々過ごしてました。三代目が高校時代に死なれた恋人の同級生と言葉通じないのに、親友になりました。
ユーウェンは、「感情は一瞬で変わるから、恋愛することは馬鹿馬鹿しい」と思っていたが、彼女がいる同級生の男子に恋に落ちって、純情な高校生の恋を満喫ではなくて、少なくとも四つの物語が絡まれて、異国コミュニケーションの難題によって、人生の出逢いと絆のことを考えさせられてる映画でした。
恋愛奇譚集って、タイトルのとおり、不思議なことが連続に出てくる東大震災とか異邦人とかタイムマシーン、自分の存在意義など、字幕は中国語ですが、幸い発音は半分中国語、半分日本語混ぜてます。「さすけね」という福島弁の「大丈夫」も勉強しました。信じられないでしょう、一週間の間に、女子高校生の恋物語の映画が二部も見ました。実は、先週「カノジョは嘘を愛しすぎてる」というミュージシャンと女子高校生の物語も見ましたよ。恋って、年齢問わず、何時でも何処でも隠してありますねぇ!
後書き:私は四階に住んでいるアパートはベランダがあります。日差しが良いので、天気が熱くなると、後ろのベランダに毎朝ハイビスカスがいっぱい咲いています。ハイビスカスは仏桑花(ブッソウゲ)、扶桑花、仏桑華とも、沖縄では赤花とも言います。ブッソウゲが桜よち命が短くて、朝に花が開き、夕方にはしぼんで、次の朝には開くというかたちで、開花する一日しかないです。
今、毎朝起きて、一番楽しむことは、後ろのベランダへ行って、今日はブッソウゲの花が幾つさいているのかと、数えることです。ブッソウゲの木の側に鳳凰木の上に、シロガシラ親子3羽の家族は鳴って、ピーヨ!キーヨ!素晴らしい一日が始まろうと告げます。
これから、毎日咲いているブッソウゲの花の数を皆さんにご報告いたします。
お知らせ
原來音樂劇好有趣
日時:6月6日(水曜日)10:00~12:00
場所:景新分館十階会議室
2018年三遊亭竜楽の落語入門講座
日時:6月8日(金曜日)18:30~20:00
場所:日本台灣交流協會 台北事務所 地下一樓 文化廳
8ヶ国語を操るグローバルな落語家・三遊亭竜楽師匠による落語公演を、日本台湾交流協会台北事務所で開催します。落語の解説、日本語、中国語、台湾語を交えた口演、日本文化紹介などを行います。ぜひ奥深い落語の世界に触れてください!
公演内容は以下のとおりです。
1. 落語入門講座
2. 落語(日本語、中国語、台湾語を交えて)
3. 日本文化紹介
4. 質問コーナー
日本映画上映会『宮城からの報告』
日時:6月15日(金曜日)
場所:日本台湾交流協会台北事務所地下1階文化ホール
『津波のあとの時間割』14:30入場開始 17:05頃終了予定
『3月11日を生きて』18:00入場開始 20:10頃終了予定

預辦希臘遊輪登船

 昨天老公幫忙升級手機,下載軟體,預先辦理希臘跳島遊輪的登船手績!