皆さん、おはようございます。今日は孔子の誕生日です。孔子は紀元前555年9月28日春秋時代の魯国に生まれ、中国の思想家、哲学者。中華民国の台湾では、孔子の誕生日の9月28日を教師の日と指定されます。学校の先生へ敬意を表す日です。皆さんにとって、一番好きな先生は何時の先生でしたか。
仰げば 尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し
この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月26日11時30分『福島県の海でヒラメなどの魚が増えている』というニュースです。2011年に福島第一原子力発電所の事故のあと、海で魚を獲ることができる回数や場所を決めています。去年、ヒラメは事故の前の8倍ぐらいに増えていました。ヒラメの大きさも震災前の体長40センチから、一昨年の50~60センチ、大型化しているということです。
安全のために、福島県は海で獲った魚の中に放射線を出す物質がどのくらい入っているかも調べています。2015年4月からは日本政府が決めた基準より少なくなっています。福島県水産資源研究所は、「予想以上に資源量が大きく増加している。ただ、一気に獲れば資源の減少が想定されるので、持続的に漁獲できる取り方を提案して行きたい」と話しています。
私は台湾にある高級日本料理屋で、ヒラメ刺身と寿司を食べたことが何回もあります。とても美味しかったです。来月半ばに台北市立図書館楽齢センター合同発表会で我が日本語入門読書会が所属される景新図書館の文山楽齢センターが演出の浦島太郎イン台湾というミュージカルで、浦島太郎わらべ唄の第二段落に『たいやひらめの舞い踊り』があって、たいとひらめは日本人にとって、いかにめでたい魚でしょうねぇ。
乙姫様のご馳走に、鯛やヒラメの舞い踊り、
ただ珍しく、面白く、月日の経つのも夢のうち
九月二十五日(火曜日)午前中、日本語入門読書会に出て、学生さんと『浦島太郎イン台湾』のミュージカルをリハーサルしました。もともと月曜日の授業は中秋の節句なので、休みましたが、来月の演出のために、リハーサルを火曜日にして、一安心でした。
午後、2008年公開されたワイルドライフ~国境なき獣医師団R.E.D.(レッド)の映画を見みました。国境なき医師団の獣医版とも言えるスーパー獣医師チームの第2話「パンダの涙」が中国の四川省で撮影されて、日本語訛りの中国語と中国語訛りの日本語を聞いて、日本語字幕を見て、たくさんパンダについての知識を勉強しました。パンダに六指突起(ろくしとっき)という六本目の指みたいなものが、もともと肉食だったパンダが大好きな笹を挟んで食べられるように、骨の一部を進化させたものだと言われています。竹の中に、パンダが一番好きなのは柺棍竹です。
苦痛に呻く うめく うめき声
鍵を弄る いじる
奥歯を擦り合わせる
手前の気持ちが一番だ てめえ
吹き荒ぶ暴風が通りを吹き抜け店の看板をキーキーと揺さぶる 吹きすさぶ
疲れた足を引き摺る ひきずる
鳥の囀り さえずり
涙を堪える 艱難に堪える こらえる
‐損なう 出来損なう 言い損なう おぼれ損なう そこなう 健康を損なう
お茶目なところは可愛い おちゃめ
新人獣医師・岩城鉄生は、一直線な思いが、治療困難といわれる野生動物たちの命を奇跡的に救っていて、獣医師団R.E.D.(レッド)に本採用された。ある日、美香とともに院長室へ呼ばれる。高宮院長(柄本明)が「今度の派遣先は四川省・臥龍パンダ保護研究センター・・」と告げた瞬間、「ジャイアントパンダよ!!!」と明るい声を上げる美香。彼女は実は、英語のほかに中国語も堪能な日中ハーフなのであった。
中国へ向かった鉄生たちを迎えたのはパンダ研究の第一人者・曹教授の研究チームだったが、鉄生の教育役に指名されたはずの民心という学生が、あからさまに鉄生に敵対心を向ける。鉄生は敵対心を露にする教育係の態度も意に介さず、持ち前の明るさでパンダや研究チームの面々と打ち解けていく。
そんなことは意に介さず、持ち前の明るさで、パンダや研究チームの皆を魅了していく鉄生。
「お前、プライドはないのか!」と聞けば
「動物助けることを教えてもらえるなら、プライドなんてへでもねえ!」と答える鉄生に、やがて民心も心を開いていく。
ある日、山に入った鉄生たちの耳に何かが聞こえる ― それは、助けを求める野生パンダ・ヤンヤンの声!パンダは中国の第一級保護動物で、勝手な治療は許されない。鉄生、民心、美香 ― 日中獣医師チームは苦渋の決断を迫られる!
今日は昨日に比べて、絶対音感がスゴイぞ・・的なシーン連発。その特技でパンダの鳴き声を真似してみたり、パンダの腸の異常な音を聞き分けたり・・
でも何度も崖から転げ落ちたり、ケガしまくりなのに、パンダの為に山奥から
死にそうになってまで、竹を取ってくるシーンなんかは、あまりにもすごくて(不死身で)お前はダイハードか!!と思わずツッコミそうになりました
「パンダの涙」にて、超可愛いパンダと一緒に遊ぶシーンがたくさんあって、色んな場面のパンダの声を聞けました。パンダのことを「パン公!!」って呼んじゃうあたりが可愛いなハート。
九月二十六日(水曜日)2006年、東野圭吾の小説が映画化された『手紙』を見ました。犯罪加害者の親族の視点に立って、その心情の動向を丹念に追った作品である。弟と二人暮らしの武島剛志は、弟の大学進学のための金欲しさに空き巣に入り思いがけず強盗殺人まで犯してしまう。高校生の武島直貴は、突然独りぼっちになり途方に暮れる。とにかく謝罪しようと直貴は被害者の家を訪れるが、遺族の姿を見かけただけで逃げ出してしまう。
高校の卒業式の二日前の直貴の元に、獄中の兄から初めての手紙が届く。それから月に一度、手紙が届くようになる。獄中の兄の平穏な日々とは裏腹に、進学、就職、音楽、恋愛、結婚と、直貴がもう少しで幸せをつかもうとするたびに、彼の前には「強盗殺人犯の弟」というレッテルが立ちはだかる。
それでも、理解してくれる由実子と結婚して一時期、幸せが訪れる。しかし、娘の実紀が仲間はずれにされ、正々堂々と生きて行く意味を考えてしまう。そして剛志との縁を切るために、獄中の兄に宛てて手紙を出すのだった。
午後、台北市万福国民小学校で布袋劇について、専門家の黃僑偉先生のスピーチを聞きました。しかも布袋劇のご人形を黃先生の指示に従って、操るチャンスもできました。
布袋劇(プータイシー、ほていげき)は台湾の民間芸能の一つ。台湾では泉州から伝播した布袋劇が伝統的な社会と台湾語により独自の発達を遂げて現在に至るまで大きな人気を博している。別に布袋木偶戯、掌中戯などとも称される。十七世紀中国福建省泉州或いは漳州に遡ることができ、福建泉州、漳州、広東潮州及び台湾等で一種の人形劇として現代に伝わる。
人形の頭部や手足部は木製であり、それ以外の身体部は布製の衣服により構成されており、演出時は手を人形衣装の中に入れて操作する。「布で作られた袋状の人形」を用いたことから布袋劇の名称が生じた。布袋劇の特徴としては音楽伴奏を伴い、出場詩の念白、説書の口白と人形操作により構成され、人声曲調と唱腔表現は余り多用されないことが挙げられる。
演出は前場と後場に分類される。前場は舞台部分を指し観客に操作する人形を見せる部分であり、後場は操偶師(人形使い)、楽団と口白師傅(口上師)が控える裏舞台となる。前場三分、後場七分とよく言われる。
夜、2013年三谷幸喜の小説を時代劇された『清須会議』(きよすかいぎ)を見ました。題材は1582年に実際にあった出来事の清洲会議を元にしたもの。清洲会議は安土桃山時代の天正10年6月27日(1582年7月16日)に開かれた、織田氏の継嗣問題及び領地再分配に関する会議である。天正10年、本能寺の変により後継者を失った織田家のその後を決めるため、清州会議が開かれることとなった。
日本戦国時代に詳しくない私は、戦国の武将の名前さえを覚えなくて、個性もちっとも分からないので、見れば見るほどつまらなくなって、やっぱり中途半端になりました。
九月二十七日(木曜日)午前中、景新図書館のパステル絵画教室に出て、先生と学生は協力して、龍宮城のポスターを完成しました。
午後、日本語入門読書会のエミさんと一緒に実家で歌を練習しました。
夜、2013年公開された映画『陽だまりの彼女』を見ました。2011年6月に刊行された恋愛小説「女子が男子に読んでほしい恋愛小説No.1」と謳った。
交通広告代理店の営業マンである奥田浩介は、新規のクライアントであるランジェリー・メーカー「ララ・オロール」との初の打ち合わせの場で、まさかの人物と再会した。中学時代の同級生、渡来真緒である。猫であった渡来は恩返しのため、人間に化けて、浩介と恋愛する物語です。
間もなく六十三歳になる私は今さら恋愛映画を見るのが好きです。カッコウ良い若い男女が恋に落ちるを見ても、気持ちがよくなりますから。
A life learning senior citizen's Diary--With a click, we are connected in the cyber world. With a click, we find people of the same interests and concerns in the global village. With a click, we achieve our goals and realize our dreams.
2018/09/28
2018/09/25
世界貿易戦争
皆さん、おはようございます。夕べ中秋の節句をどう過ごしましたか。私は、主人、妹、弟、姪との五人の集まり、実家のベランダでバーベキューをやりました。月餅、ブンタンも頂きました。帰り道に、意外に大きくて綺麗なお月様を見られて、幸せいっぱいな気持ちがしました。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月21日16時20分『中国のアリババ「アメリカで100万人雇うのは難しくなった」』というニュースです。アリババグループのジャック・マー会長は去年アメリカのトランプ大統領と会って、アメリカで100万人の雇用を創出すると約束しましたが、20日、マー会長のインタビューを中国の新華社通信が伝えました。マー会長は米中の貿易摩擦の激化で前提条件が崩れたとして、実現は難しいという認識を示しました。
アリババグループは、買い物のウェブサイトを作っている中国の大きな会社です。マー会長は、中国の杭州であったイベントでは「アメリカと中国の貿易の問題は報復の応酬に歯止めがかからない状況になっている米中の貿易摩擦の影響で、環境が大きく変わったという考えを明らかにしました。米中貿易摩擦が2か月とか2年では解決できません。20年ぐらいかかると思います」と話しています。最近、アメリカのトランプ大統領は世界貿易戦争を始めようと言明し続けます。世界の平和はこれから、どうなるでしょうか。
九月二十一日(金曜日)再び映画化された太宰治の作品を見ました。未完のまま絶筆になった短篇小説『グッド・バイ』というボンゴ日本文学シリーズVIの映画でした。「別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きていると言っても過言ではあるまい。」
彼が描こうとしたものは逆のドン・ファンであつた。十人ほどの女に惚れられている見目麗しき男。これが次々と女に別れて行くのである。グッド・バイ、グッド・バイと。そして最後には哀れグッド・バイしようなど、露思わなかつた自分の女房に、逆にグッド・バイされてしまうのだ。
1948年(昭和23年)太宰は『人間失格』の執筆のため熱海の起雲閣に向かう。三鷹市、大宮市(現さいたま市)と執筆の場所を移しながら書き続け、5月10日に脱稿。5月12日に自宅に戻り、5月15日からようやく『グッド・バイ』の執筆を開始した。5月下旬、第10回までの原稿を朝日新聞社に渡した。6月13日にこの世を去ったとき、残りの第11回分から第13回分までの原稿が残されていた。
夜、2010年公開された映画『フラワーズ』を見ました。「娘と母、父と母、夫と妻、姉と妹、母と子」をテーマに、昭和初期から現代を四つに分け、それぞれの時代を生きた六人の女性の姿を描く。出演は、蒼井優、鈴木京香、竹内結子、田中麗奈、仲間由紀恵、広末涼子と、いずれも映画やドラマでは主演クラスの面々が顔を揃えました。撮影は2009年4月〜9月に、能登半島など日本各地で行われた。
プロローグ、平成二十一年、九十二歳にお亡くなれました凛の告別式でした。
第一シーン、白黒映画、昭和十一年、桜散るの春。当時の慣習であった、親同士が決めた結婚に悩み続ける凛(蒼井優)。凛は未だ会ったことの無い相手への不安などを抱えたまま結婚式前日を迎えた。式当日。結論を出せない凛は、花嫁姿のまま家を飛び出してしまって、三人の娘(長女の薫、次女の翠、三女の慧)を授かっていました。
嫁ぐ 金持ちの家に嫁ぐ 名門の家に嫁ぐ とつぐ
第二シーン、カラー映画、昭和二十一年、雨降る冬。慧の長女・奏(鈴木京香)はピアニストになる夢を叶えるため上京するも、その才能に限界を感じていた。さらに、年下の恋人と別れた直後に妊娠していることが判明し、二つの悩みを抱え苦しむ日々を送ってる一方、次女の佳(広末涼子)は結婚し、男の子を産んだ。根っから明るく振舞う佳は、自らの命と引き換えに自分を生んだ母・慧の分まで前向きに生きようという強い想いが心の中にありました。
第三シーン、昭和四十四年、次女の翠(田中麗奈)は、当時はまだ珍しいキャリアウーマンとして出版社で働いていた。そんな中、翠は恋人からプロポーズされる。しかし、今まで男性社会の中で一生懸命働いてきた翠の心は仕事と結婚の間で揺れ始める。翠は実家へ帰省し、同じく帰省してきた長女の薫(竹内結子)と久しぶりに会う。薫は、夫を交通事故で亡くし、そのとき心に負った傷がまだ完全には癒えずにいた。
第四シーン、昭和三十九年九月、亡き夫との思い出となった新婚旅行の場所を巡る旅に出たときのことをふと思い出していた。
第五シーン、昭和五十二年九月、凛の三女・慧(仲間由紀恵)は夫と娘の奏の三人で幸せな生活を送っていた。しかし、慧が二人目を妊娠したことで家族の生活に変化が見え始める。生まれつき体が丈夫ではない慧は、医師から「出産には耐えられない」と宣告される。
第六シーン、白黒映画、花嫁姿のまま家を飛び出してしまった凛は、神社の山の上に、故郷を眺めながら、お母さんに聞きました。『お母さんは、お父さんと一緒になって、よかった?』『もちろんですよ、あなたたちみたいいい子供三人も授かって、いい家族を作りました。』家に戻って、凛はお父さんにお詫びしました。『腹はすいてないか。』『体を大事にしろう』と返事しました。凛は伏し謝って、『長い間お世話になりました。ありがとうございました。』凛が嫁ぐ行列と畑のあぜ道を歩んでいって、新しい家に着いて、『大事にします』と初めて見た夫が声をかけます。
エピローグ、カラー映画、平成二十一年、凛の子供と孫たちはそれぞれ幸せな人生を送ってるシーンでした。
九月二十二日(土曜日)午後、2011年日本公開された20世紀フォックス映画製作・配給の日本映画『はやぶさ』を見ました。監督は堤幸彦。主演は竹内結子。日本の小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトとそれに参加した人々を描く。キャッチコピーは「それでも君は、帰ってきた。」「あきらめない勇気を与えてくれたのは、君--。」
10月日本公開された初日三日間で興収1億280万2,800円、動員9万5,351人になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第5位となった。ぴあ映画生活による10月1日公開の「映画・満足度ランキング」では1位となり、その後発表された「クチコミ満足度ランキング(上映中作品)」でも1位を獲得しました。
2011年から2012年春にかけて、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還を受けて企画・製作された映画が相次いで公開されたが、本作はそのうち実写の第一弾となった作品である。「はやぶさ」を題材とした映画は他に『はやぶさ 遥かなる帰還』、『おかえり、はやぶさ』が製作されており、映画大手三社競作として注目を集めた。
2011年7月27日には「史上初の宇宙試写会」という触れ込みの元、国際宇宙ステーションに滞在中の宇宙飛行士である古川聡を最初の観客として、衛星回線を使用して本作の試写会を行うという話題作りが行われた。
2010年6月13日、オーストラリア・ウーメラ砂漠では、JAXA対外協力室の水沢恵が「はやぶさ」の大気圏再突入を待っていた。
それから遡ること八年前、2002年の夏、水沢は的場泰弘の講演会を熱心に聞いていた。閉会後、水沢は的場に声をかける。後日、彼女は的場から宇宙科学研究所への誘いを受ける。水沢は萩原理の下で対外協力室のスタッフのかたわら、坂上健一が率いる小惑星探査機「MUSES-C」に搭載するためのカメラチームでも働くことになる。探査機はイオンエンジンの推進と地球スイングバイによって小惑星イトカワまで航行し、小惑星のサンプルを回収した上で地球に帰還することを目標とした、世界的にも例の無いプロジェクトだった。
広報として子供たちに説明をする水沢は、つい専門用語を駆使しすぎて説明してしまい、親子連れに呆れられてしまう。分かりやすい説明の必要を感じた水沢は、日本の探査機開発の歴史を調べ、坂上やプロジェクトマネージャー・川渕幸一の関わってきた姿を知る。そして子供たちのために、「はやぶさ」をキャラクター化して説明する絵本を作り始める。
やがて火星探査機「のぞみ」が軌道投入計画を断念せざるを得なくなり、一般から募集した名前を「のぞみ」に乗せて火星に送るプロジェクトも合わせて頓挫する。水沢は亡き兄の名前で応募していたことを的場らに明かす。彼女の宇宙への思いは、幼くして亡くなった兄の遺志を継ぎたいという気持からであった。
この宇宙映画を見て、宇宙についての知識と日本語の単語をいっぱい身につけました。地球は時速110,000キトーメートルとんでもないスピードで太陽の周りに回っています。地球と太陽の距離は1.5億キトーメートルです。イオンエンジンを使って、探索機を推進すます。
雌伏 しふく 雌伏十年 雌伏して機会を待つ
雄飛 ゆうひ
九月二十三日(日曜日)午後、親友の誕生日カラオケパーティに出て、台湾語の歌をいっぱい満喫しました。夜は誕生日の晩餐会に参加して、深夜まで音楽を聞きながら、踊りました。楽しかったです。
九月二十四日(月曜日)雨の中秋の節句でした。夜、実家でバーベキューをしました。幸い帰り道に、大きくて綺麗なお月様が夜空に光ってました。一年中一番大きくて、丸いお月様を観賞出来て、良かったわ!
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月21日16時20分『中国のアリババ「アメリカで100万人雇うのは難しくなった」』というニュースです。アリババグループのジャック・マー会長は去年アメリカのトランプ大統領と会って、アメリカで100万人の雇用を創出すると約束しましたが、20日、マー会長のインタビューを中国の新華社通信が伝えました。マー会長は米中の貿易摩擦の激化で前提条件が崩れたとして、実現は難しいという認識を示しました。
アリババグループは、買い物のウェブサイトを作っている中国の大きな会社です。マー会長は、中国の杭州であったイベントでは「アメリカと中国の貿易の問題は報復の応酬に歯止めがかからない状況になっている米中の貿易摩擦の影響で、環境が大きく変わったという考えを明らかにしました。米中貿易摩擦が2か月とか2年では解決できません。20年ぐらいかかると思います」と話しています。最近、アメリカのトランプ大統領は世界貿易戦争を始めようと言明し続けます。世界の平和はこれから、どうなるでしょうか。
九月二十一日(金曜日)再び映画化された太宰治の作品を見ました。未完のまま絶筆になった短篇小説『グッド・バイ』というボンゴ日本文学シリーズVIの映画でした。「別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きていると言っても過言ではあるまい。」
彼が描こうとしたものは逆のドン・ファンであつた。十人ほどの女に惚れられている見目麗しき男。これが次々と女に別れて行くのである。グッド・バイ、グッド・バイと。そして最後には哀れグッド・バイしようなど、露思わなかつた自分の女房に、逆にグッド・バイされてしまうのだ。
1948年(昭和23年)太宰は『人間失格』の執筆のため熱海の起雲閣に向かう。三鷹市、大宮市(現さいたま市)と執筆の場所を移しながら書き続け、5月10日に脱稿。5月12日に自宅に戻り、5月15日からようやく『グッド・バイ』の執筆を開始した。5月下旬、第10回までの原稿を朝日新聞社に渡した。6月13日にこの世を去ったとき、残りの第11回分から第13回分までの原稿が残されていた。
夜、2010年公開された映画『フラワーズ』を見ました。「娘と母、父と母、夫と妻、姉と妹、母と子」をテーマに、昭和初期から現代を四つに分け、それぞれの時代を生きた六人の女性の姿を描く。出演は、蒼井優、鈴木京香、竹内結子、田中麗奈、仲間由紀恵、広末涼子と、いずれも映画やドラマでは主演クラスの面々が顔を揃えました。撮影は2009年4月〜9月に、能登半島など日本各地で行われた。
プロローグ、平成二十一年、九十二歳にお亡くなれました凛の告別式でした。
第一シーン、白黒映画、昭和十一年、桜散るの春。当時の慣習であった、親同士が決めた結婚に悩み続ける凛(蒼井優)。凛は未だ会ったことの無い相手への不安などを抱えたまま結婚式前日を迎えた。式当日。結論を出せない凛は、花嫁姿のまま家を飛び出してしまって、三人の娘(長女の薫、次女の翠、三女の慧)を授かっていました。
嫁ぐ 金持ちの家に嫁ぐ 名門の家に嫁ぐ とつぐ
第二シーン、カラー映画、昭和二十一年、雨降る冬。慧の長女・奏(鈴木京香)はピアニストになる夢を叶えるため上京するも、その才能に限界を感じていた。さらに、年下の恋人と別れた直後に妊娠していることが判明し、二つの悩みを抱え苦しむ日々を送ってる一方、次女の佳(広末涼子)は結婚し、男の子を産んだ。根っから明るく振舞う佳は、自らの命と引き換えに自分を生んだ母・慧の分まで前向きに生きようという強い想いが心の中にありました。
第三シーン、昭和四十四年、次女の翠(田中麗奈)は、当時はまだ珍しいキャリアウーマンとして出版社で働いていた。そんな中、翠は恋人からプロポーズされる。しかし、今まで男性社会の中で一生懸命働いてきた翠の心は仕事と結婚の間で揺れ始める。翠は実家へ帰省し、同じく帰省してきた長女の薫(竹内結子)と久しぶりに会う。薫は、夫を交通事故で亡くし、そのとき心に負った傷がまだ完全には癒えずにいた。
第四シーン、昭和三十九年九月、亡き夫との思い出となった新婚旅行の場所を巡る旅に出たときのことをふと思い出していた。
第五シーン、昭和五十二年九月、凛の三女・慧(仲間由紀恵)は夫と娘の奏の三人で幸せな生活を送っていた。しかし、慧が二人目を妊娠したことで家族の生活に変化が見え始める。生まれつき体が丈夫ではない慧は、医師から「出産には耐えられない」と宣告される。
第六シーン、白黒映画、花嫁姿のまま家を飛び出してしまった凛は、神社の山の上に、故郷を眺めながら、お母さんに聞きました。『お母さんは、お父さんと一緒になって、よかった?』『もちろんですよ、あなたたちみたいいい子供三人も授かって、いい家族を作りました。』家に戻って、凛はお父さんにお詫びしました。『腹はすいてないか。』『体を大事にしろう』と返事しました。凛は伏し謝って、『長い間お世話になりました。ありがとうございました。』凛が嫁ぐ行列と畑のあぜ道を歩んでいって、新しい家に着いて、『大事にします』と初めて見た夫が声をかけます。
エピローグ、カラー映画、平成二十一年、凛の子供と孫たちはそれぞれ幸せな人生を送ってるシーンでした。
九月二十二日(土曜日)午後、2011年日本公開された20世紀フォックス映画製作・配給の日本映画『はやぶさ』を見ました。監督は堤幸彦。主演は竹内結子。日本の小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトとそれに参加した人々を描く。キャッチコピーは「それでも君は、帰ってきた。」「あきらめない勇気を与えてくれたのは、君--。」
10月日本公開された初日三日間で興収1億280万2,800円、動員9万5,351人になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第5位となった。ぴあ映画生活による10月1日公開の「映画・満足度ランキング」では1位となり、その後発表された「クチコミ満足度ランキング(上映中作品)」でも1位を獲得しました。
2011年から2012年春にかけて、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還を受けて企画・製作された映画が相次いで公開されたが、本作はそのうち実写の第一弾となった作品である。「はやぶさ」を題材とした映画は他に『はやぶさ 遥かなる帰還』、『おかえり、はやぶさ』が製作されており、映画大手三社競作として注目を集めた。
2011年7月27日には「史上初の宇宙試写会」という触れ込みの元、国際宇宙ステーションに滞在中の宇宙飛行士である古川聡を最初の観客として、衛星回線を使用して本作の試写会を行うという話題作りが行われた。
2010年6月13日、オーストラリア・ウーメラ砂漠では、JAXA対外協力室の水沢恵が「はやぶさ」の大気圏再突入を待っていた。
それから遡ること八年前、2002年の夏、水沢は的場泰弘の講演会を熱心に聞いていた。閉会後、水沢は的場に声をかける。後日、彼女は的場から宇宙科学研究所への誘いを受ける。水沢は萩原理の下で対外協力室のスタッフのかたわら、坂上健一が率いる小惑星探査機「MUSES-C」に搭載するためのカメラチームでも働くことになる。探査機はイオンエンジンの推進と地球スイングバイによって小惑星イトカワまで航行し、小惑星のサンプルを回収した上で地球に帰還することを目標とした、世界的にも例の無いプロジェクトだった。
広報として子供たちに説明をする水沢は、つい専門用語を駆使しすぎて説明してしまい、親子連れに呆れられてしまう。分かりやすい説明の必要を感じた水沢は、日本の探査機開発の歴史を調べ、坂上やプロジェクトマネージャー・川渕幸一の関わってきた姿を知る。そして子供たちのために、「はやぶさ」をキャラクター化して説明する絵本を作り始める。
やがて火星探査機「のぞみ」が軌道投入計画を断念せざるを得なくなり、一般から募集した名前を「のぞみ」に乗せて火星に送るプロジェクトも合わせて頓挫する。水沢は亡き兄の名前で応募していたことを的場らに明かす。彼女の宇宙への思いは、幼くして亡くなった兄の遺志を継ぎたいという気持からであった。
この宇宙映画を見て、宇宙についての知識と日本語の単語をいっぱい身につけました。地球は時速110,000キトーメートルとんでもないスピードで太陽の周りに回っています。地球と太陽の距離は1.5億キトーメートルです。イオンエンジンを使って、探索機を推進すます。
雌伏 しふく 雌伏十年 雌伏して機会を待つ
雄飛 ゆうひ
九月二十三日(日曜日)午後、親友の誕生日カラオケパーティに出て、台湾語の歌をいっぱい満喫しました。夜は誕生日の晩餐会に参加して、深夜まで音楽を聞きながら、踊りました。楽しかったです。
九月二十四日(月曜日)雨の中秋の節句でした。夜、実家でバーベキューをしました。幸い帰り道に、大きくて綺麗なお月様が夜空に光ってました。一年中一番大きくて、丸いお月様を観賞出来て、良かったわ!
2018/09/21
日本映画
皆さん、おはようございます。この三日間、ほとんど家に閉じこんで、毎日映画しか見ていませんでした。日本映画は、日本の伝統や歴史を知る早道だと思います。映画化された日本名作を見て、日本の文豪を何人知り、将棋の映画を見て、将棋の駒の名前と動き方を学び、秀才は海を渡らず、門をでずして、ことごとく天下の事を知って、古今東西が目の前に飛んできて、何よりです。
この週末には中秋の節句の連休であって、皆さんは何をするつもりでしょうねぇ。私は、日本映画なし、ノンビリ過ごすに決まって、台湾中秋の節句の定番のバーベキューを家族と一緒にする予定です。もちろん月餅とブンタンを楽しみます。皆さんも、良い中秋の節句を!
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月18日11時30分『100歳以上の人は今まででいちばん多い約7万人』というニュースです。厚生労働省は9月17日の敬老の日の前に、100歳以上のお年寄りが日本に何人いるか調べています。その結果、9月1日には6万9785人いることが分かりました。去年より2014人増えて、48年続けて今まででいちばん多くなりました。この中の約88%は女性で6万1454人、男性は8331人でした。
厚生労働省は、人口10万人の中に100歳以上のお年寄りが何人いるか調べました。島根県が約101人で、6年続けていちばん多くて、鳥取県が2番、高知県が3番でした。埼玉県が一番少なくて約33人、愛知県が2番、千葉県が3番でした。日本で一番長生きの人は明治36年生まれ、福岡市に住む115歳の田中カ子さんで、男性は明治38生まれ、北海道足寄町に住む113歳の野中正造さんです。
厚生労働省は、「医療技術の進歩や健康意識の高まりなどから百歳以上の人が増えている。高齢になっても健康に過ごせるよう健康寿命を延ばすための政策にも力をいれていきたい」と話しています。百歳以上の人間になりたい私はも体にいい活動を続けていきます。
九月十八日(火曜日)一日映画を観賞したばかりです。肺結核に患った梶井基次郎(かじい もとじろう)が書かれた短篇小説『檸檬』というボンゴ日本文学シリーズIIの映画を見ました。
「えたいの知れない不吉な魂が私の心を始終圧へつけていた。焦燥と云おう か――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相當した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した 肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な魂だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。」
そして、ある朝「私」は京都の街から街へ歩き回り、「私」の好きな果物屋にたどり着きます。そこで、檸檬を買うことになります。
「その日私は何時になくその店で買物をした。というのはその店には珍しい 檸檬が出ていたのだ。檸檬などありふれている。が其の店というのもみすぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見 かけたことはなかった。一體私はあの檸檬が好きだ。レモンイエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡膵形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。」
それから「私」は買った檸檬を握り締め、また歩き続け、最後に丸善にたどり着きます。その丸善で画集を一冊づつ抜き出してみるうちに、一冊一冊の本をまるで色鮮やかな城のように積み上げます。
そして、とんでもないことを思いつきます。
色鮮やかに積み上げた本の城の頂上に果物屋で買った檸檬を置くことです。
そのシーンはこんなふうに描かれます。
「やっとそれは出来上がった。そして軽く跳ねあがる心を制しながら、その城壁の頂に恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。」
さらに「私」は奇妙な企みを思いつきます。
つまり、その画集の頂に檸檬をおいたまま外へ出て行くという企みです。
そして私は、すたすたと出て行きます。
冒頭の「えたいの知れない」不吉なかたまりは、この時吹っ飛んでしまうのです。その時の気持ちはこんなふうに描かれています。
「変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。」
1916年「中央公論」に発表された森鴎外の短篇小説『高瀬船』というボンゴ日本文学シリーズIIIの映画を見ました。プロローグとエピローグ:『次第にふけていくおぼろ夜に、沈黙の二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った』。京都から罪を犯した人を大阪に送るために、高瀬川を下る舟に、弟の与平を殺した喜助という男が乗せられた。護送役の同心である羽田庄兵衛は、喜助がいかにも晴れやかな顔をしている事を不審に思い、訳を尋ねます。
水面 みなも 血を吐く はく 面 つら 疑いを解く うたがい
夜、将棋新人王戦を題材とした映画『三月のライオン』前編と後編を観賞みました。羽海野チカによる日本の漫画作品。この句はイギリスの天気の諺「三月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る(March comes in like a lion and goes out like a lamb)。将棋会館に『平常心是道』という書道の軸が掛けてあります。人に伝わるのが結果ではない。好きなことを最後まで、諦めるな!
桐山零は、幼いころに交通事故で家族を失い、父の友人である棋士、幸田に内弟子として引き取られ、十五歳でプロ棋士になった。幸田の二人の実子の香子と歩の軋轢(あつれき)もあり、六月町にて一人暮らしを始めた零は、一年遅れで高校に編入するが、周囲に溶け込めず校内で孤立し、将棋の対局においても不調が続いていた。
自らの境遇を停滞していると感じていた零は、ある日先輩棋士に無理やり付き合わされたあげくに酔いつぶされ、倒れてこんでいたところを川本明里に介抱されたことがきっかけで、橋向かいの三月町に住む川本家と出会い、三姉妹と夕食を共にするなど交流を持つようになる。
そんな折、獅子王戦トーナメントにて、義姉の香子を巡る因縁を持つ棋士・後藤との対決に零は気炎を上げるが、それを意識するあまりに己の分を見失い、格上であるA級棋士の島田を侮っていたことを島田本人に見透かされて、大いに恥じる。その後、島田と後藤の対局を見た零は、ひとつ自分の殻を破り、島田の研究会に参加する。こうした様々な人々に関わることで、少しずつ零の心境に変化が生じていった。
『三月のライオン』前編と後編を見には、四時間以上かかりましたが、将棋に全然分からない私は将棋を勉強する気を湧いてきました。まず棋譜をよめるように、頑張りたいです。映画の中に色んな戦う将棋場面をいくら見ても、盲人の垣のぞきです。映画を見る途中、何回も止むつもりですが、見れば見るほど、面白くなります。人間と人間の脳の競争を見るのは病み付きます。
将棋の基礎知識 https://www.shogi.or.jp/knowledge/shogi/03.html
駒の名前と動き方 http://shogi.server-navi.info/shogi/how-to/name/
九月十九日(水曜日)午後、日本語入門読書会のエミ先生と一緒に歌を二曲練習しました。森真一の『襟裳岬』と加山雄三の『君といつまでも』でした。エミ先生のお蔭で、一冊のプロファションナル・ユース歌謡曲のすべてを手に入れて、これから、日本衛星放送の番組の新日本の歌を見る時、楽譜を読みながら、日本のベスト歌謡曲を勉強します。
ボンゴ日本文学シリーズIVの映画を見ました。谷崎潤一郎書かれた『冨美子の足』でした。プロローグ:こういう美しいものを見せられるごとに、僕はつくづく造化の神が個々の人間を創るにあたってはなはだ不公平であることを感じます。大正八年立夏に行われた物語を見て、初めて足に踏まれる幸せを感じさせました。
夜、2006年に公開された映画『地下鉄に乗って』を見ました。主人公の小沼真次は、女性用下着を売り歩くセールスマンだが、真次の父親である小沼佐吉は、世界的に有名な「小沼グループ」の創立者であり、真次はその御曹司(おんぞうし)であった。真次は父親の母や兄への傲慢な態度に反発し、高校卒業後、家を飛び出していたのだ。
ある夜、永田町駅の地下鉄の階段を上ると、そこには三十年前の東京オリンピックの1964年(昭和39年)の風景が広がっていた。そこで真次は、在りし日の兄を目撃する。その後真次は、同僚であり、自立した愛人関係でもある軽部美智子と共に、現実と過去を行き来しながら、兄の過去、そして、父の生き方を目撃してゆきます。
行き給え たまえ 文法情報 (接尾辞)(男ことば) please ...
九月二十日(木曜日)午前中、景新図書館のパステル教室に行って、先生は体の具合がよくなくて、休みを取ると通知を教室のドアに張ってありました。私は六階の児童閲覧室で、一枚のパステル絵を完成しました。
午後、2004年公開された日本映画『天国の本屋〜恋火』を見ました。舞台は天国。アロハシャツを着た怪しげな男・ヤマキが店長を務める「天国の本屋」で、ひょんなことから短期アルバイトをすることになったピアニストの健太は、憧れのピアニスト・翔子と出会う。しかし、翔子は生前の事故が原因で片耳の聴覚を失い、失意でピアノが弾けなくなっていた。翔子は、健太の協力を得て断念していた恋人の花火をモチーフにしたピアノ組曲の十曲目『永遠』を完成させようと試みる。
一方、地上では、翔子の姪・香夏子が長らく中止となっている地元の花火大会を復活させるべく奮闘中。暴発事故で翔子の聴覚を奪った責任を感じ、花火師を辞めてしまった翔子の恋人・瀧本に伝説の「恋する花火」を打ち上げるよう説得する香夏子。天国で組曲を完成させ、地上から伝説の花火が打ち上げられたとき奇跡が起きる……。
夜、2016年公開された日本映画のクリーピー 偽り(いつわり)の隣人(りんじん)を見ました。ホラー映画に苦手な私は、どうやってミステリー連続の映画を見終えましたか。夜が深くなると、心理的にホラー映画がより恐くなって、たまらなくて、やはり中途半端になりました。
この週末には中秋の節句の連休であって、皆さんは何をするつもりでしょうねぇ。私は、日本映画なし、ノンビリ過ごすに決まって、台湾中秋の節句の定番のバーベキューを家族と一緒にする予定です。もちろん月餅とブンタンを楽しみます。皆さんも、良い中秋の節句を!
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月18日11時30分『100歳以上の人は今まででいちばん多い約7万人』というニュースです。厚生労働省は9月17日の敬老の日の前に、100歳以上のお年寄りが日本に何人いるか調べています。その結果、9月1日には6万9785人いることが分かりました。去年より2014人増えて、48年続けて今まででいちばん多くなりました。この中の約88%は女性で6万1454人、男性は8331人でした。
厚生労働省は、人口10万人の中に100歳以上のお年寄りが何人いるか調べました。島根県が約101人で、6年続けていちばん多くて、鳥取県が2番、高知県が3番でした。埼玉県が一番少なくて約33人、愛知県が2番、千葉県が3番でした。日本で一番長生きの人は明治36年生まれ、福岡市に住む115歳の田中カ子さんで、男性は明治38生まれ、北海道足寄町に住む113歳の野中正造さんです。
厚生労働省は、「医療技術の進歩や健康意識の高まりなどから百歳以上の人が増えている。高齢になっても健康に過ごせるよう健康寿命を延ばすための政策にも力をいれていきたい」と話しています。百歳以上の人間になりたい私はも体にいい活動を続けていきます。
九月十八日(火曜日)一日映画を観賞したばかりです。肺結核に患った梶井基次郎(かじい もとじろう)が書かれた短篇小説『檸檬』というボンゴ日本文学シリーズIIの映画を見ました。
「えたいの知れない不吉な魂が私の心を始終圧へつけていた。焦燥と云おう か――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相當した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した 肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な魂だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。」
そして、ある朝「私」は京都の街から街へ歩き回り、「私」の好きな果物屋にたどり着きます。そこで、檸檬を買うことになります。
「その日私は何時になくその店で買物をした。というのはその店には珍しい 檸檬が出ていたのだ。檸檬などありふれている。が其の店というのもみすぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見 かけたことはなかった。一體私はあの檸檬が好きだ。レモンイエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡膵形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。」
それから「私」は買った檸檬を握り締め、また歩き続け、最後に丸善にたどり着きます。その丸善で画集を一冊づつ抜き出してみるうちに、一冊一冊の本をまるで色鮮やかな城のように積み上げます。
そして、とんでもないことを思いつきます。
色鮮やかに積み上げた本の城の頂上に果物屋で買った檸檬を置くことです。
そのシーンはこんなふうに描かれます。
「やっとそれは出来上がった。そして軽く跳ねあがる心を制しながら、その城壁の頂に恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。」
さらに「私」は奇妙な企みを思いつきます。
つまり、その画集の頂に檸檬をおいたまま外へ出て行くという企みです。
そして私は、すたすたと出て行きます。
冒頭の「えたいの知れない」不吉なかたまりは、この時吹っ飛んでしまうのです。その時の気持ちはこんなふうに描かれています。
「変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。」
1916年「中央公論」に発表された森鴎外の短篇小説『高瀬船』というボンゴ日本文学シリーズIIIの映画を見ました。プロローグとエピローグ:『次第にふけていくおぼろ夜に、沈黙の二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った』。京都から罪を犯した人を大阪に送るために、高瀬川を下る舟に、弟の与平を殺した喜助という男が乗せられた。護送役の同心である羽田庄兵衛は、喜助がいかにも晴れやかな顔をしている事を不審に思い、訳を尋ねます。
水面 みなも 血を吐く はく 面 つら 疑いを解く うたがい
夜、将棋新人王戦を題材とした映画『三月のライオン』前編と後編を観賞みました。羽海野チカによる日本の漫画作品。この句はイギリスの天気の諺「三月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る(March comes in like a lion and goes out like a lamb)。将棋会館に『平常心是道』という書道の軸が掛けてあります。人に伝わるのが結果ではない。好きなことを最後まで、諦めるな!
桐山零は、幼いころに交通事故で家族を失い、父の友人である棋士、幸田に内弟子として引き取られ、十五歳でプロ棋士になった。幸田の二人の実子の香子と歩の軋轢(あつれき)もあり、六月町にて一人暮らしを始めた零は、一年遅れで高校に編入するが、周囲に溶け込めず校内で孤立し、将棋の対局においても不調が続いていた。
自らの境遇を停滞していると感じていた零は、ある日先輩棋士に無理やり付き合わされたあげくに酔いつぶされ、倒れてこんでいたところを川本明里に介抱されたことがきっかけで、橋向かいの三月町に住む川本家と出会い、三姉妹と夕食を共にするなど交流を持つようになる。
そんな折、獅子王戦トーナメントにて、義姉の香子を巡る因縁を持つ棋士・後藤との対決に零は気炎を上げるが、それを意識するあまりに己の分を見失い、格上であるA級棋士の島田を侮っていたことを島田本人に見透かされて、大いに恥じる。その後、島田と後藤の対局を見た零は、ひとつ自分の殻を破り、島田の研究会に参加する。こうした様々な人々に関わることで、少しずつ零の心境に変化が生じていった。
『三月のライオン』前編と後編を見には、四時間以上かかりましたが、将棋に全然分からない私は将棋を勉強する気を湧いてきました。まず棋譜をよめるように、頑張りたいです。映画の中に色んな戦う将棋場面をいくら見ても、盲人の垣のぞきです。映画を見る途中、何回も止むつもりですが、見れば見るほど、面白くなります。人間と人間の脳の競争を見るのは病み付きます。
将棋の基礎知識 https://www.shogi.or.jp/knowledge/shogi/03.html
駒の名前と動き方 http://shogi.server-navi.info/shogi/how-to/name/
九月十九日(水曜日)午後、日本語入門読書会のエミ先生と一緒に歌を二曲練習しました。森真一の『襟裳岬』と加山雄三の『君といつまでも』でした。エミ先生のお蔭で、一冊のプロファションナル・ユース歌謡曲のすべてを手に入れて、これから、日本衛星放送の番組の新日本の歌を見る時、楽譜を読みながら、日本のベスト歌謡曲を勉強します。
ボンゴ日本文学シリーズIVの映画を見ました。谷崎潤一郎書かれた『冨美子の足』でした。プロローグ:こういう美しいものを見せられるごとに、僕はつくづく造化の神が個々の人間を創るにあたってはなはだ不公平であることを感じます。大正八年立夏に行われた物語を見て、初めて足に踏まれる幸せを感じさせました。
夜、2006年に公開された映画『地下鉄に乗って』を見ました。主人公の小沼真次は、女性用下着を売り歩くセールスマンだが、真次の父親である小沼佐吉は、世界的に有名な「小沼グループ」の創立者であり、真次はその御曹司(おんぞうし)であった。真次は父親の母や兄への傲慢な態度に反発し、高校卒業後、家を飛び出していたのだ。
ある夜、永田町駅の地下鉄の階段を上ると、そこには三十年前の東京オリンピックの1964年(昭和39年)の風景が広がっていた。そこで真次は、在りし日の兄を目撃する。その後真次は、同僚であり、自立した愛人関係でもある軽部美智子と共に、現実と過去を行き来しながら、兄の過去、そして、父の生き方を目撃してゆきます。
行き給え たまえ 文法情報 (接尾辞)(男ことば) please ...
九月二十日(木曜日)午前中、景新図書館のパステル教室に行って、先生は体の具合がよくなくて、休みを取ると通知を教室のドアに張ってありました。私は六階の児童閲覧室で、一枚のパステル絵を完成しました。
午後、2004年公開された日本映画『天国の本屋〜恋火』を見ました。舞台は天国。アロハシャツを着た怪しげな男・ヤマキが店長を務める「天国の本屋」で、ひょんなことから短期アルバイトをすることになったピアニストの健太は、憧れのピアニスト・翔子と出会う。しかし、翔子は生前の事故が原因で片耳の聴覚を失い、失意でピアノが弾けなくなっていた。翔子は、健太の協力を得て断念していた恋人の花火をモチーフにしたピアノ組曲の十曲目『永遠』を完成させようと試みる。
一方、地上では、翔子の姪・香夏子が長らく中止となっている地元の花火大会を復活させるべく奮闘中。暴発事故で翔子の聴覚を奪った責任を感じ、花火師を辞めてしまった翔子の恋人・瀧本に伝説の「恋する花火」を打ち上げるよう説得する香夏子。天国で組曲を完成させ、地上から伝説の花火が打ち上げられたとき奇跡が起きる……。
夜、2016年公開された日本映画のクリーピー 偽り(いつわり)の隣人(りんじん)を見ました。ホラー映画に苦手な私は、どうやってミステリー連続の映画を見終えましたか。夜が深くなると、心理的にホラー映画がより恐くなって、たまらなくて、やはり中途半端になりました。
2018/09/18
何日君再来
皆さん、おはようございます。『浦島太郎イン台湾』というミュージカルには台北市立図書館から四十名以上の高齢者を募集して、ほとんどの演出者は初舞台で、皆さんと一緒に歌ったり、踊ったり、遊んだりして、きっと盛大な楽しい演劇が出来るでしょう。期待しております。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月11日11時30分『プラスチックのごみを集める船がアメリカを出発する』というニュースです。プラスチックのごみが原因で海が汚れたり、魚などに被害が出たりして問題になっています。
9月8日、オランダの団体の「オーシャンクリーンアップ」の船がプラスチックのごみを集めるために、アメリカのサンフランシスコを出発しました。船は、カリフォルニア州とハワイ諸島の間の海に向かいました。「オーシャンクリーンアップ」によると、日本の4倍以上の160万平方キロメートルの場所に、7万9000tのプラスチックのごみが浮いています。今までに集めたプラスチックのごみを調べると、30%ぐらいが日本からのごみだと考えられています。
台湾周辺の海にもプラスチックのごみだらけで、魚の被害ではなくて、海がめにも生存問題になります。台湾人は飲み物に使うストローをたくさん捨てて、海豚や、鯨や、海がめなどの胃の中に、ストローをよく見つけられました。浦島太郎の物語にある亀はもし台湾に来たら、プラスチックのごみに縛られて、死んでしまうかもしれません。
九月十四日(金曜日)日本語入門読書会の黄先生と大坪林駅の近くにあるイタリヤレストランで待ち合わせ、十二月に行う日本語能力試験のために、聴解特訓をしました。
夜、太宰治について語られた『黄金風景』というボンゴシリーズの映画を観賞しました。大正六年青森県北津軽郡『津島邸』で行われた太宰治の物語です。東北弁だから、日本語字幕時々に表したので、分かりやすかったです。上京した津島修治は昭和十年千葉県船橋町で太宰治と名乗られました。
九月十五日(土曜日)午後、『キツツキと雨』は、2012年の日本のコメディ映画。第24回東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞、第8回ドバイ国際映画祭では、最優秀脚本賞と最優秀編集賞、さらに主演の役所広司が最優秀男優賞を受賞している。キャッチコピーは『雨でも… きっと晴れるさ。』
ある山村を舞台に、職人気質の木こりの男と、ゾンビ映画の撮影でやって来た気弱な新人映画監督の青年との交流を描きます。ユーモア溢れる映画でした。役所広司の演技はすばらしかったです。
樵、木樵、木こり 樵夫 しょうふ
夜、2013年公開された映画『横道世之介』を見ました。吉田修一が2008年書かれた小説を映画化された作品です。バブル期の東京を舞台に、長崎から上京してきた大学生・横道世之介が様々な人々と出会い関わっていく青春小説になっている。キャッチコピーは『思い出の片隅の真中で、彼はいつも笑ってる。』日本語の字幕があるので、日本語の勉強が出来ました。そして心に易しい映画ですから、見ると、癒されました。
横着者 おうちゃくもの
(話が)わき道へ逸れる 台風は東京をそれた 責任を逸れること それる
その才能を開花される
スピーチはたるくない?
ちんこ勃つ 勃起(ぼっき)
もっかい来年転入試験を受けるつもりです
人生って、やっぱなげーじゃん?
はしゃぎすぎて疲れた
モロにでちゃったっていうか
童貞を守る、失う どうてい
ふざけるな!Stop messing around!
時間がないからなるべく話を端折って申し上げます はしょる、はしおる
委しい事をはしょって話そう くわしい はぶく 省く
九月十六日(日曜日)午後、クロッグダンス授業があって、学生さん五人と『小さな世界』を復習して、新しいスイングダンスのステプを練習しました。
夜、2017年公開されたドキュメンタリー映画『いつまた、君と~何日君再来(ホーリージュンザイライ)』を見ました。どんなに貧しくても、お父ちゃんとなら、笑顔で乗り越えられました。原作は、向井理(むかい おさむ)の祖母・芦村朋子(あしむら)の半生記を綴った『何日君再来』。『何日君再来』は大学生だった向井さんが、祖母の手記をパソコンで打ち直し、家族や親戚と共に自費出版をして、卒寿(九十歳)のお祝いとしてプレゼントしたものでした。向井さん自身が七年前から映画化を熱望し、企画にも携わった強い思い入れのある作品です。
戦後の困難な時代を生きてきた祖母を演じる尾野真千子について、向井さんは、「尾野さんは、“力強い女性”というイメージで、僕の祖母は全く逆のタイプなのですが、今回は以前の尾野さんの顔では全くなかったです。三人の子のお母さんの生活感が見える。それを自然にできる人ってなかなかいないです!」と語り、賛辞を贈っています。向井理・尾野真千子、夫婦役での共演で、絆はいっそう深まりました。
戦中・戦後の困難な時代を生きてきた祖父・吾郎と祖母・朋子の波乱の歴史と、深い絆で結ばれた夫婦と家族の愛の物語だったのです。朋子が中国での生活や、開戦と敗戦、戦後の苦労、商売の失敗や夫の他界を書かれていた手記を
向井理は大学時代に読みました。映画として制作にかかった時間は、なんと七年。
・1940(昭和十五年)年夏、出会い、夫になる男性の吾郎と初めてデートした、喫茶店では、歌手李香蘭の楽曲「何日君再来」がかかっていた、吾郎は軍務で中国に行くので、朋子も中国へついていく
・1941(昭和十六)年、婚礼を済ませて、吾郎と船で南京に向かったのは日米開戦の年の七月七日。『私は吾郎と南京で新婚生活を始めた。吾郎は、中国で発足した国民政府と日本政府との平和交渉を支えようと、南京で青年会書記長に納まった。』
・1942年頃まで、南京や上海で生活していくが日本は敗戦
・1946年上海引き揚げられたら、愛媛県松山にある実家に辿り着いた。
チフス、土地や貯金もなくし、苦労する、愛媛の朋子の家族と吾郎の人間関係もうまくいかなかった
・1947年頃から、朋子と吾郎は、茨城県恋瀬村中古車で運送業をはじめてが、失敗、・吾郎は福島県棚倉にあるタイル会社に勤めるが、東京に出張した時車交通事件で入院、退院あと、社員のお金の持ち逃げなどでまた職を無くす
いといの家というところてん屋、夏にはかき氷屋、秋にはおでん屋などで生計を立てていく タイルの販売
・昭和二十四年苦労しながら三人目の女の子の真美が産まれる、また仕事がなくなり、鶴丸石油などで働く
昭和二十七年大阪、台風でまた仕事がなくなる、吾郎、47歳の若さで亡くなる『朋子よ、子供らよ、愛しい宝たちよ、願わくが、我が轍(てつ)を踏まず、双翼を順風に乗りて、天際を飛躍せしめん』
九月十七日(月曜日)午前中、日本語入門読書会で、『浦島太郎イン台湾』をリハーサルを初めてしました。大成功でした。
午後、川村元気が書かれた『仕事』を読み終えました。面白かったです。川村さんがインタビューしている方々も以下の様な錚々たるメンバーです。山田洋次さん、沢木耕太郎さん、杉本博司さん、倉本總さん、秋元康さん、宮崎駿さん、糸井重里さん、篠山紀信さん、谷川俊太郎さん、鈴木敏夫さん、横尾忠則さん、坂本龍一さん。
夜、2016年公開された映画『オーバー・フェンス』を見ました。同様に映画化された佐藤泰志(さとう やすし)の小説の作品『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』に続く「函館三部作」の最終章と位置付けられています。
白岩健一は東京建設会社にリストラされて、故郷函館に戻って、大工を目指して、育児になやむ妻を実家に預け、離婚届を提出したのを機に職業安定所からの紹介により、函館職業技術訓練校に通うことになり、訓練校の同級生の代島の紹介で花屋の娘に生まれた22歳の女さとしと出会い、距離を縮めて行くが頻繁に訪ねて来る妹と義弟にさとしのことをどう説明すべきか悩み、別れた妻と子どものことも忘れきれないでいる。
健一はそんな悩みの日々などと平行し訓練校の科目対抗ソフトボール大会で4番打者になることを希望したが3番打者を任される。試合では、健一が外野のフェンスの先に見た、自分自身の越えなければならないものの象徴「幻のフェンス」に向かい、力を込めてバットを振り抜くのであった。
初めて鳥が鳴く変な映画音楽を聞いて、理由はさっぱりわかりませんでした。函館の町の景色に鐘と路面電車の音とか、函館公園にある白鳥とハクトウワシたちの求愛の恋に落ちる姿、夜空から渡り鳥の羽を落としたシーンはロマンチックに感じさせました。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月11日11時30分『プラスチックのごみを集める船がアメリカを出発する』というニュースです。プラスチックのごみが原因で海が汚れたり、魚などに被害が出たりして問題になっています。
9月8日、オランダの団体の「オーシャンクリーンアップ」の船がプラスチックのごみを集めるために、アメリカのサンフランシスコを出発しました。船は、カリフォルニア州とハワイ諸島の間の海に向かいました。「オーシャンクリーンアップ」によると、日本の4倍以上の160万平方キロメートルの場所に、7万9000tのプラスチックのごみが浮いています。今までに集めたプラスチックのごみを調べると、30%ぐらいが日本からのごみだと考えられています。
台湾周辺の海にもプラスチックのごみだらけで、魚の被害ではなくて、海がめにも生存問題になります。台湾人は飲み物に使うストローをたくさん捨てて、海豚や、鯨や、海がめなどの胃の中に、ストローをよく見つけられました。浦島太郎の物語にある亀はもし台湾に来たら、プラスチックのごみに縛られて、死んでしまうかもしれません。
九月十四日(金曜日)日本語入門読書会の黄先生と大坪林駅の近くにあるイタリヤレストランで待ち合わせ、十二月に行う日本語能力試験のために、聴解特訓をしました。
夜、太宰治について語られた『黄金風景』というボンゴシリーズの映画を観賞しました。大正六年青森県北津軽郡『津島邸』で行われた太宰治の物語です。東北弁だから、日本語字幕時々に表したので、分かりやすかったです。上京した津島修治は昭和十年千葉県船橋町で太宰治と名乗られました。
九月十五日(土曜日)午後、『キツツキと雨』は、2012年の日本のコメディ映画。第24回東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞、第8回ドバイ国際映画祭では、最優秀脚本賞と最優秀編集賞、さらに主演の役所広司が最優秀男優賞を受賞している。キャッチコピーは『雨でも… きっと晴れるさ。』
ある山村を舞台に、職人気質の木こりの男と、ゾンビ映画の撮影でやって来た気弱な新人映画監督の青年との交流を描きます。ユーモア溢れる映画でした。役所広司の演技はすばらしかったです。
樵、木樵、木こり 樵夫 しょうふ
夜、2013年公開された映画『横道世之介』を見ました。吉田修一が2008年書かれた小説を映画化された作品です。バブル期の東京を舞台に、長崎から上京してきた大学生・横道世之介が様々な人々と出会い関わっていく青春小説になっている。キャッチコピーは『思い出の片隅の真中で、彼はいつも笑ってる。』日本語の字幕があるので、日本語の勉強が出来ました。そして心に易しい映画ですから、見ると、癒されました。
横着者 おうちゃくもの
(話が)わき道へ逸れる 台風は東京をそれた 責任を逸れること それる
その才能を開花される
スピーチはたるくない?
ちんこ勃つ 勃起(ぼっき)
もっかい来年転入試験を受けるつもりです
人生って、やっぱなげーじゃん?
はしゃぎすぎて疲れた
モロにでちゃったっていうか
童貞を守る、失う どうてい
ふざけるな!Stop messing around!
時間がないからなるべく話を端折って申し上げます はしょる、はしおる
委しい事をはしょって話そう くわしい はぶく 省く
九月十六日(日曜日)午後、クロッグダンス授業があって、学生さん五人と『小さな世界』を復習して、新しいスイングダンスのステプを練習しました。
夜、2017年公開されたドキュメンタリー映画『いつまた、君と~何日君再来(ホーリージュンザイライ)』を見ました。どんなに貧しくても、お父ちゃんとなら、笑顔で乗り越えられました。原作は、向井理(むかい おさむ)の祖母・芦村朋子(あしむら)の半生記を綴った『何日君再来』。『何日君再来』は大学生だった向井さんが、祖母の手記をパソコンで打ち直し、家族や親戚と共に自費出版をして、卒寿(九十歳)のお祝いとしてプレゼントしたものでした。向井さん自身が七年前から映画化を熱望し、企画にも携わった強い思い入れのある作品です。
戦後の困難な時代を生きてきた祖母を演じる尾野真千子について、向井さんは、「尾野さんは、“力強い女性”というイメージで、僕の祖母は全く逆のタイプなのですが、今回は以前の尾野さんの顔では全くなかったです。三人の子のお母さんの生活感が見える。それを自然にできる人ってなかなかいないです!」と語り、賛辞を贈っています。向井理・尾野真千子、夫婦役での共演で、絆はいっそう深まりました。
戦中・戦後の困難な時代を生きてきた祖父・吾郎と祖母・朋子の波乱の歴史と、深い絆で結ばれた夫婦と家族の愛の物語だったのです。朋子が中国での生活や、開戦と敗戦、戦後の苦労、商売の失敗や夫の他界を書かれていた手記を
向井理は大学時代に読みました。映画として制作にかかった時間は、なんと七年。
・1940(昭和十五年)年夏、出会い、夫になる男性の吾郎と初めてデートした、喫茶店では、歌手李香蘭の楽曲「何日君再来」がかかっていた、吾郎は軍務で中国に行くので、朋子も中国へついていく
・1941(昭和十六)年、婚礼を済ませて、吾郎と船で南京に向かったのは日米開戦の年の七月七日。『私は吾郎と南京で新婚生活を始めた。吾郎は、中国で発足した国民政府と日本政府との平和交渉を支えようと、南京で青年会書記長に納まった。』
・1942年頃まで、南京や上海で生活していくが日本は敗戦
・1946年上海引き揚げられたら、愛媛県松山にある実家に辿り着いた。
チフス、土地や貯金もなくし、苦労する、愛媛の朋子の家族と吾郎の人間関係もうまくいかなかった
・1947年頃から、朋子と吾郎は、茨城県恋瀬村中古車で運送業をはじめてが、失敗、・吾郎は福島県棚倉にあるタイル会社に勤めるが、東京に出張した時車交通事件で入院、退院あと、社員のお金の持ち逃げなどでまた職を無くす
いといの家というところてん屋、夏にはかき氷屋、秋にはおでん屋などで生計を立てていく タイルの販売
・昭和二十四年苦労しながら三人目の女の子の真美が産まれる、また仕事がなくなり、鶴丸石油などで働く
昭和二十七年大阪、台風でまた仕事がなくなる、吾郎、47歳の若さで亡くなる『朋子よ、子供らよ、愛しい宝たちよ、願わくが、我が轍(てつ)を踏まず、双翼を順風に乗りて、天際を飛躍せしめん』
九月十七日(月曜日)午前中、日本語入門読書会で、『浦島太郎イン台湾』をリハーサルを初めてしました。大成功でした。
午後、川村元気が書かれた『仕事』を読み終えました。面白かったです。川村さんがインタビューしている方々も以下の様な錚々たるメンバーです。山田洋次さん、沢木耕太郎さん、杉本博司さん、倉本總さん、秋元康さん、宮崎駿さん、糸井重里さん、篠山紀信さん、谷川俊太郎さん、鈴木敏夫さん、横尾忠則さん、坂本龍一さん。
夜、2016年公開された映画『オーバー・フェンス』を見ました。同様に映画化された佐藤泰志(さとう やすし)の小説の作品『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』に続く「函館三部作」の最終章と位置付けられています。
白岩健一は東京建設会社にリストラされて、故郷函館に戻って、大工を目指して、育児になやむ妻を実家に預け、離婚届を提出したのを機に職業安定所からの紹介により、函館職業技術訓練校に通うことになり、訓練校の同級生の代島の紹介で花屋の娘に生まれた22歳の女さとしと出会い、距離を縮めて行くが頻繁に訪ねて来る妹と義弟にさとしのことをどう説明すべきか悩み、別れた妻と子どものことも忘れきれないでいる。
健一はそんな悩みの日々などと平行し訓練校の科目対抗ソフトボール大会で4番打者になることを希望したが3番打者を任される。試合では、健一が外野のフェンスの先に見た、自分自身の越えなければならないものの象徴「幻のフェンス」に向かい、力を込めてバットを振り抜くのであった。
初めて鳥が鳴く変な映画音楽を聞いて、理由はさっぱりわかりませんでした。函館の町の景色に鐘と路面電車の音とか、函館公園にある白鳥とハクトウワシたちの求愛の恋に落ちる姿、夜空から渡り鳥の羽を落としたシーンはロマンチックに感じさせました。
2018/09/14
浦島太郎イン台湾
皆さん、おはようございます。『浦島太郎イン台湾*』というミュージカルの台本がようやく完成されました。景新図書館に所属する文山楽齢センターが初めての日本語でのミュージカルですから、これから一ヶ月間、日本語読書会の仲間と精いっぱい歌ったり、練習したり、していきます。
来月の半ば、台北市立南湖高校体育館で行われる台北市立図書館の楽齢センター合同発表会の晴れ舞台に上がって、日本語入門読書会の三十人の先生と学生たちと共同的に披露します。皆さんのご支援とご指導を頂ければ、幸いです。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月13日11時30分『東京オリンピックのボランティアをしたくない人が60%』というニュースです。2020年に東京でオリンピックとパラリンピックがあります。笹川スポーツ財団は、今年3月にインターネットを使って、この2つの大会を手伝うボランティアをしたいかどうか、20代から60代の合わせて1万人に意識調査を行いました。
東京オリンピックのボランティアを「ぜひ行いたい」と「できれば行いたい」が合わせて23%、「あまり行いたくない」と「全く行いたくない」が合わせて60%でした。東京パラリンピックのボランティアを「したい」が17%ぐらい、「したくない」が64%ぐらいでした。ボランティアをしたい理由は、「日本で開催されるから」がおよそ40%で最も多く、次は「スポーツが好きだから」でした。と「選手のプレーをそばで見たいから」が続きました。
台湾人の私は東京オリンピックとパラリンピックのボランティアするチャンスが与えられたら、必ずやります。というのは東京オリンピックとパラリンピックの選手村に泊まって、世界各地からのスポーツ選手に出会って、人生にすばらしい経験を加えますから。
九月十一日(火曜日)午後、2018年漢学研究センター学者である野村悠さんは1840~1890年代晩清時代の世界秩序構築についてのスピーチを聞きました。野村悠さんは去年オーストラリア国立大学歴史博士号を取ったばかりです。講演の場所が三階の教室から地下一階の教室に移しました。自由広場でsheという台湾人気歌手グルプはデブュ17年目の記念コンサートが開かれるので、賑わいました。国家図書館で常に行われる無料のゼミは私にとって、勉強できる面白い講演を聞くのが日常生活の中に大好きな活動の一つです。
夜、2017年公開された日本映画『花戦さ』を観賞しました。日本の時代劇に苦手の私は、豊臣秀吉のあだながサルということを初めて聞きました。戦乱で荒れ果てた京都を舞台に、花を生けることで人々の心に平穏をもたらす花僧・池坊専好が時の最高権力者・豊臣秀吉に戦いを挑みました。
十六世紀、京の町を焼け野原とした応仁の乱からすでに百年、武将たちが群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)する戦国の世が続くなかで、尾張の雄織田信長は天下統一への道を歩み始めていた。都の頂法寺には花僧と慕われ、仏に仕えながら花を生ける僧侶たちがいた。古くから六角堂の池坊と呼ばれ、花の命を生けることで、世の安寧を祈り人々に生きる希望を与えんと願いました。
本能寺の変によって織田信長はこの世を去り、天下統一の夢は豊臣秀吉の手で成し遂げられようとしていました。天下統一の夢をかなえた豊臣秀吉に茶道の千利休が切腹されて、くびも公開展示されました。千利休がお亡くなられた前に梅の花を見ました。
日本の時代劇を見れば見るほど、好きになります。これからも、たくさん時代劇を見ます。日本歴史と文化を深めために、頑張ります。
九月十二日(水曜日)景新図書館一階にある楽齢センターで孟さんと会って、先ず借りした傘をお返ししてから、『浦島太郎イン台湾*』というミュージカルの台本を読み通しました。
九月十三日(木曜日)『浦島太郎イン台湾*』の原稿を編修しました。
*浦島太郎遊台湾
司会:很久很久以前在海邊的一個小村落裡住著一位心地善良又孝順父母的「浦島太郎」,每天日出而做日落而息,認真地捕魚養家。
第一幕:
浦:今日もいいお天気です。きっとお魚をたくさん獲れるでしょう。
亀:助けて、助けて!
浦:大丈夫、大丈夫!
司会:隔天・・・
亀:浦島さん、昨日のお礼に竜宮城にご招待致します。
浦:喜んで、行きます。
亀:竜宮城に着きました!
浦:あー、美しいです。
歌:
昔昔浦島は助けた亀に連れられて、
龍宮城へ来て見れば、絵にもかけない美しさ。
乙姫:浦島太郎さま、ようこそ竜宮城へ、カメを助けていただき、ありがとうございます!
浦:いいえ、こちらこそ!
乙姫:お料理どうぞ、たくさん召し上がって下さい!お酒どうぞ、たくさん飲んでください。
浦:美味しかったです。
乙姫:どうぞ音楽を聞きながら、舞い踊りをご覧下さい。
舞い踊り:
世界中誰だって 微笑みあえば仲良しさ みんな輪になり手をつなごう
小さな世界 世界はせまい 世界は同じ 世界はまるい ただひとつ
浦:舞い踊りは素晴らしかったです。
歌:
乙姫様の御馳走に、鯛や比目魚(ひらめ)の舞踊、
ただ珍しくおもしろく、月日のたつのも夢の中(うち)。
浦:毎日食べたり、遊んだりして、楽しい三日間ですが、親の面倒をするために、故郷へ帰りたいです!
乙姫:親孝行ですねぇ!この玉手箱はおみやげです。お持ち帰りください。でも、玉手箱を開けてはいけませんよ。
歌:
遊(あそび)にあきて気がついて、お暇乞(いとまごい)もそこそこに、
帰る途中(とちゅう)の楽しみは、土産にもらった玉手箱(たまてばこ)。
第二幕:
浦:あそこはどこですか。
亀:フォルモザ。遊びに行きませんか。
浦:台湾ですか。行ってみたいです。きれいです。
歌:
揺れるひかりだ 緑の風だ 南風そよ吹きや 豊かな穂波
米は二度なる 甘蔗は伸びる 名さへ蓬莱寳島
台湾 楽しや 良い所
茂る樹梢だ 雲呼ぶ 山だ 樫を交えて 阿里山 檜
楠の香りに 小鳥の 歌に 山で 斧ふりゃ 気も晴れる
臺湾 楽しや 良い所
招く南だ 珊瑚の海だ 島で育てば 海こそ我が家
椰子の港に 出船のドラを 叩きゃ血も湧く 腕もなる
臺湾 楽しや 良い所
浦:台湾まで連れてきて、ありがとう。今から故郷へ帰ります。
亀:はい、かしこまりました。
第三幕:
浦:忘れ難き故郷!思ひ出づる故郷!水は清き故郷!
亀:さよなら、浦島太郎さん!元気でぇ!また!
浦:へえ、村もなくて、家もない!ここはどこですか。
浦:すみません!ここはどこですか。浦島おじいさんをご存知ですか。
村人:浦島って、だれ?聞いたことがありません。
歌:
帰って見れば、こは如何(いか)に、元(もと)居た家も村も無く、
路(みち)に行きあう人々は、顔も知らない者ばかり。
浦:へえ!何があったの。どうしよう。
歌:
心細(こころぼそ)さに蓋(ふた)とれば、あけて悔しき玉手箱、
中からぱっと白煙(しろけむり)、たちまち太郎はお爺(じい)さん。
浦:あぁ!悔しい!
司会:今天的演出,希望大家喜歡!
齊唱:(一面拍手,一面謝幕)
大家常歡笑,眼淚不會掉;
時常懷希望,不必心驚跳。
讓我們同歡笑,這個小世界,
小小人間多美妙。
世界真是小小小,小得非常妙妙妙,
這是一個小世界,小得真美妙!
来月の半ば、台北市立南湖高校体育館で行われる台北市立図書館の楽齢センター合同発表会の晴れ舞台に上がって、日本語入門読書会の三十人の先生と学生たちと共同的に披露します。皆さんのご支援とご指導を頂ければ、幸いです。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月13日11時30分『東京オリンピックのボランティアをしたくない人が60%』というニュースです。2020年に東京でオリンピックとパラリンピックがあります。笹川スポーツ財団は、今年3月にインターネットを使って、この2つの大会を手伝うボランティアをしたいかどうか、20代から60代の合わせて1万人に意識調査を行いました。
東京オリンピックのボランティアを「ぜひ行いたい」と「できれば行いたい」が合わせて23%、「あまり行いたくない」と「全く行いたくない」が合わせて60%でした。東京パラリンピックのボランティアを「したい」が17%ぐらい、「したくない」が64%ぐらいでした。ボランティアをしたい理由は、「日本で開催されるから」がおよそ40%で最も多く、次は「スポーツが好きだから」でした。と「選手のプレーをそばで見たいから」が続きました。
台湾人の私は東京オリンピックとパラリンピックのボランティアするチャンスが与えられたら、必ずやります。というのは東京オリンピックとパラリンピックの選手村に泊まって、世界各地からのスポーツ選手に出会って、人生にすばらしい経験を加えますから。
九月十一日(火曜日)午後、2018年漢学研究センター学者である野村悠さんは1840~1890年代晩清時代の世界秩序構築についてのスピーチを聞きました。野村悠さんは去年オーストラリア国立大学歴史博士号を取ったばかりです。講演の場所が三階の教室から地下一階の教室に移しました。自由広場でsheという台湾人気歌手グルプはデブュ17年目の記念コンサートが開かれるので、賑わいました。国家図書館で常に行われる無料のゼミは私にとって、勉強できる面白い講演を聞くのが日常生活の中に大好きな活動の一つです。
夜、2017年公開された日本映画『花戦さ』を観賞しました。日本の時代劇に苦手の私は、豊臣秀吉のあだながサルということを初めて聞きました。戦乱で荒れ果てた京都を舞台に、花を生けることで人々の心に平穏をもたらす花僧・池坊専好が時の最高権力者・豊臣秀吉に戦いを挑みました。
十六世紀、京の町を焼け野原とした応仁の乱からすでに百年、武将たちが群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)する戦国の世が続くなかで、尾張の雄織田信長は天下統一への道を歩み始めていた。都の頂法寺には花僧と慕われ、仏に仕えながら花を生ける僧侶たちがいた。古くから六角堂の池坊と呼ばれ、花の命を生けることで、世の安寧を祈り人々に生きる希望を与えんと願いました。
本能寺の変によって織田信長はこの世を去り、天下統一の夢は豊臣秀吉の手で成し遂げられようとしていました。天下統一の夢をかなえた豊臣秀吉に茶道の千利休が切腹されて、くびも公開展示されました。千利休がお亡くなられた前に梅の花を見ました。
日本の時代劇を見れば見るほど、好きになります。これからも、たくさん時代劇を見ます。日本歴史と文化を深めために、頑張ります。
九月十二日(水曜日)景新図書館一階にある楽齢センターで孟さんと会って、先ず借りした傘をお返ししてから、『浦島太郎イン台湾*』というミュージカルの台本を読み通しました。
九月十三日(木曜日)『浦島太郎イン台湾*』の原稿を編修しました。
*浦島太郎遊台湾
司会:很久很久以前在海邊的一個小村落裡住著一位心地善良又孝順父母的「浦島太郎」,每天日出而做日落而息,認真地捕魚養家。
第一幕:
浦:今日もいいお天気です。きっとお魚をたくさん獲れるでしょう。
亀:助けて、助けて!
浦:大丈夫、大丈夫!
司会:隔天・・・
亀:浦島さん、昨日のお礼に竜宮城にご招待致します。
浦:喜んで、行きます。
亀:竜宮城に着きました!
浦:あー、美しいです。
歌:
昔昔浦島は助けた亀に連れられて、
龍宮城へ来て見れば、絵にもかけない美しさ。
乙姫:浦島太郎さま、ようこそ竜宮城へ、カメを助けていただき、ありがとうございます!
浦:いいえ、こちらこそ!
乙姫:お料理どうぞ、たくさん召し上がって下さい!お酒どうぞ、たくさん飲んでください。
浦:美味しかったです。
乙姫:どうぞ音楽を聞きながら、舞い踊りをご覧下さい。
舞い踊り:
世界中誰だって 微笑みあえば仲良しさ みんな輪になり手をつなごう
小さな世界 世界はせまい 世界は同じ 世界はまるい ただひとつ
浦:舞い踊りは素晴らしかったです。
歌:
乙姫様の御馳走に、鯛や比目魚(ひらめ)の舞踊、
ただ珍しくおもしろく、月日のたつのも夢の中(うち)。
浦:毎日食べたり、遊んだりして、楽しい三日間ですが、親の面倒をするために、故郷へ帰りたいです!
乙姫:親孝行ですねぇ!この玉手箱はおみやげです。お持ち帰りください。でも、玉手箱を開けてはいけませんよ。
歌:
遊(あそび)にあきて気がついて、お暇乞(いとまごい)もそこそこに、
帰る途中(とちゅう)の楽しみは、土産にもらった玉手箱(たまてばこ)。
第二幕:
浦:あそこはどこですか。
亀:フォルモザ。遊びに行きませんか。
浦:台湾ですか。行ってみたいです。きれいです。
歌:
揺れるひかりだ 緑の風だ 南風そよ吹きや 豊かな穂波
米は二度なる 甘蔗は伸びる 名さへ蓬莱寳島
台湾 楽しや 良い所
茂る樹梢だ 雲呼ぶ 山だ 樫を交えて 阿里山 檜
楠の香りに 小鳥の 歌に 山で 斧ふりゃ 気も晴れる
臺湾 楽しや 良い所
招く南だ 珊瑚の海だ 島で育てば 海こそ我が家
椰子の港に 出船のドラを 叩きゃ血も湧く 腕もなる
臺湾 楽しや 良い所
浦:台湾まで連れてきて、ありがとう。今から故郷へ帰ります。
亀:はい、かしこまりました。
第三幕:
浦:忘れ難き故郷!思ひ出づる故郷!水は清き故郷!
亀:さよなら、浦島太郎さん!元気でぇ!また!
浦:へえ、村もなくて、家もない!ここはどこですか。
浦:すみません!ここはどこですか。浦島おじいさんをご存知ですか。
村人:浦島って、だれ?聞いたことがありません。
歌:
帰って見れば、こは如何(いか)に、元(もと)居た家も村も無く、
路(みち)に行きあう人々は、顔も知らない者ばかり。
浦:へえ!何があったの。どうしよう。
歌:
心細(こころぼそ)さに蓋(ふた)とれば、あけて悔しき玉手箱、
中からぱっと白煙(しろけむり)、たちまち太郎はお爺(じい)さん。
浦:あぁ!悔しい!
司会:今天的演出,希望大家喜歡!
齊唱:(一面拍手,一面謝幕)
大家常歡笑,眼淚不會掉;
時常懷希望,不必心驚跳。
讓我們同歡笑,這個小世界,
小小人間多美妙。
世界真是小小小,小得非常妙妙妙,
這是一個小世界,小得真美妙!
2018/09/11
豚の災難
皆さん、おはようございます。九月十一日の今日は、2001年にアメリカ同時多発テロ事件が発生された、航空機等を用いた史上最大規模のテロ事件であり、全世界に衝撃を与えました。17年前に行われたテロ事件による2753人の犠牲者には、今まで千人以上の死体が遺伝子でまた確認されてませんでした。
連日の雨、気が少し滅入ってしまうんじゃないか。外出できなくて、家で映画をいっぱい見ました。従って、日本語をしっかり勉強してきました。気象庁によると、台風22,23号が近いうちに、台湾に来るそうです。皆さんも無事に過ごすよう、心から祈っております。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月10日16時50分『岐阜市で豚の病気「豚コレラ」が見つかる』というニュースです。岐阜市にある養豚場で3日から8日までに、約80頭の豚が死にました。9日の朝、岐阜県の中央家畜保健衛生所の遺伝子検査では、豚コレラウイルスが検出されました。豚コレラは、人のコレラとは全く違う病気で、豚やイノシシしかかかりません。
この養豚場では死んだブタも含めて610頭が飼育されていましたが、10日の午前6時までにすべて処分することになりました。岐阜県は、この養豚場から半径10km以内にある3つの養豚場に、豚を売ったりほかの場所に移したりしないように言いました。岐阜県によると、豚コレラは26年前に熊本県で見つかってから、日本では見つかっていませんでした。
最近豚の感染問題が相次ぎ、日本ではなくて、中国にもたくさんの豚がアスファウイルスにひどく感染され、もともとアフリカから移られたそうです。アジアの各国に広がる可能性があるかもしれません。これから、豚肉の値段が上がる一方でしょう。
九月七日(金曜日)午前中、昨日の言語交換で勉強してきた社交目的型スピーチの文章と実例を何回も読み直しました。外国語の勉強には、言語交換がはなはだ効果的な手段です。というのは、五官を用いて、特に口での発音と耳の訓練、馴染みない外国語を身につけやすいと思います。
大雨の午後、おやつを食べながら、高樹のぶ子の自伝的小説『マイマイ新子』を原作とする、片渕須直監督のアニメーション映画『マイマイ新子と千年の魔法』を見ました。昭和三十年代の山口県防府市を舞台に、お転婆で空想好きな少女の新子と、東京から来た転校生の貴伊子との友情を描きます。
最近、子供向きアニメーション映画を満喫しました。日本ではすごいアニメーション映画監督がいっぱいいると感じます。日本語を勉強するために、日本アニメーション映画をいっぱい見ました。たくさんの単語を習いました。良かったです。
喘息(ぜんそく)を患い、麦畑、直角(ちょっかく)の河、碁盤(ごばん)、
26色(しょく)の色鉛筆、鍛冶屋(かじや)さん、泥鰌掬い(どじょうすくい)、決死隊の戦友、懐中電灯(かいちゅうでんとう)、日光を遮(さえぎ)る
九月八日(土曜日)午前中、景新図書館の十階の教室で、林先生の日本語講座に出ました。林先生の日本人の親友の本田広さんに会いました。本田さんは世界の何国も回って、レストランを営んでいます。冷房に苦手の本田さんは家や店にエアコンがないです。エアコンは体に良くないと言って、自然の風が一番です。
大雨の午後、ブロードウェーというテーマされた音楽会に出ました。ブロードウェーの歴史と有名な人物を知りました。
夜、沖田修一監督は2016年公開された日本のコメディ映画『モヒカン故郷に帰る』を見ました。舞台は瀬戸内海に浮かぶ架空の小さな島「戸鼻島(とびじま)」。撮影は2015年にオール広島ロケ(主に呉市の島嶼部である下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島)で行われました。主演の松田龍平はデスメタルバンドのボーカル役を演じるために、人生初のモヒカン頭がカッコウよくて、り、デスヴォイスでの歌唱がすばらしかったです。日本語字幕を見ながら、映画を観賞しました。人生の最期に、静かな瀬戸内海の島に住んで、家族と親友に囲まれて、遣りたがってることを遣れることはほんとうに一番幸せだと思います。大雨のキリスト教の結婚式は暖かかったです。
いつくしみ深き 賛美歌312番
いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いを とり去りたもう
こころの嘆きを 包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を アーメン
『田村永吉、あなたは神の定めのもと夫婦になろうとしています。その健やかな時も、病む時も、これを愛し、これを敬い、これを助け、固く節操を守ることを誓いますか?』『誓います。』
『会沢由佳、あなたは神の定めのもと夫婦になろうとしています。その健やかなる時も、病む時も、これを愛し、これを敬い、これを助け、固く節操を守ることを誓いますか?』『はい、誓います。』
『それでは、ベールをあげてください。では、誓いのキスです。』
断末魔(だんまつま)の苦しみ 、溺死(できし)、凍死(とうし)、焼死(しょうし)、洒落臭せへ、病死、彼は何だかんだ言って、言い訳ばかりしている、それは至極真っ当なことである、
九月九日(日曜日)午前中、クロッグダンス授業を用意しました。午後、景新図書館で、学生さん三人と『小さな世界』を復習して、新しいスイングダンスのステプをれんしゅうしました。
夜、小林政広原作・脚本・監督の2010年の日本映画『春との旅ー生きる道、きっとある』を見始めました。北海道増毛郡増毛町(ましけちょう)に暮らす元漁師の老人・忠男は妻に先立たれ、同居する孫娘・春の世話がなくてはならない生活を送っていました。だがある日、春は給食づくりの職を廃校によって失って、東京で職を探そうと考えて、しかし足の不自由なおじいさんの忠男を一人暮らしさせるわけにもいかず、二人は忠男の身の置き場所を求めて宮城県の各地(姉茂子:鳴子温泉/弟道男:仙台市内)などに住む親類を訪ねる旅に出ます。しかし、これまで身勝手に生きてきた忠男の人生が浮かび上がってくるばかりでした。春は母を自殺で亡くしていたが、最後に母と離婚した父の許を訪ねようと春が提案します。
日本語の字幕があるので、ゆっくりと映画を鑑賞しながら、日本語を勉強します。分からない単語がいっぽいあるので、何時間もかかって、良かったわ。
一日に二回ぐらい、窓を開けて、空気を入れ換えたら、体にいいんだよ。
人づき合いを避けて家に閉じこもっているうちに, 彼はますます偏屈(へんくつ)になっていった。
癌も手遅れにさえならなければ治ることもある、手遅れにならぬうちに
そりが合わない、「反り」が「鞘(さや)」の曲がり具合に合わないと、刀を鞘に収めることが出来ない。
世間の手前
沽券(こけん)にかかわる、こけんを下げる、そんなことをしたら、君の沽券にかかわるよ。
(誰に)白羽(しらは)の矢が立つ
羽振り(はぶり)がいい 彼は政界にも財界にも羽振りを利かせる実力者だ
潮時(しおとき)を待つ
人の家に居候(いそうろう)をする
遠浅(とおあさ)の浜
筆まめな、筆不精(ふでぶしょう)な人
堅気(かたぎ)で暮らす
清水(しみず)を飲む
彼は約束を破るたちではない、たちのいい、たちの悪い
碌(ろく)に考えもしないで、ろくに彼女と話をする暇もない
そろそろ諦めない?
馬が合うとは、性格や気が合う。意気投合する。
包んで持って帰ると、一食浮く
彼らは内縁関係の夫婦として暮らしている 内縁の妻 ないえん
彼は律義(りちぎ)な大工で, 手抜きなど決してしない
突然押しかけて、申し訳ございません
九月十日(月曜日)午前中、十時から十時半まで景新図書館で、基礎日本語を教えてから、急いで台北市立図書館へ行った、十一時から十二時まで、楽齢センターの合同発表会のことに打ち合わせて、十人の志願者が募集できました。
午後、台北101でクロッグダンスを練習してから、王先生と一緒に御昼しました。夜、小林政広監督の『春との旅ー生きる道、きっとある』をやっと見終えました。
世の中に自分中心に回ることではない、色んな人の都合で回ってるんだから
お前はもう父の厄介(やっかい)になる年ではない。どうもいろいろご厄介をかけて相済みませんでした。
このうちの掟(おきて)は働かざるものは食うべからずなんだから
まき割りというのは、腕と腰で割るものなのです。
貴重品を帳場(ちょうば)に預ける、帳場に坐る
考え方が甘ったれな人、甘ったれのおじいさん あまえんぼう
さっさと捨てなきゃだめよ
客間がふさがっている、電話は全部ふさがっている
僻まない、妬まない心をもつ 僻む ひがむ 妬む ねたむ
猫の手も借りたいくらい
お新香 おしんこ
気が滅入るような こんなに天気が悪いと気が滅入る
食い逸れ(食いっぱぐれ)の私にコーヒーをおごらせるのか
あきれたね。
通はそばをこうやって食べるものだ。
都会暮らしがいやになってきた. いっそ郷里の村に帰ってみようか いっそのこと
少し問題を突き放して見た方がいい。そんなに自分勝手をしていると皆に突き放されてしまうぞ
左前 ひだりまえ くだり前
人手に渡る ひとで
人使
後継者 こうけいしゃ あの人の後継者はだれになるだろうか
肝玉の人間 キモダマ
おんぶ おぶれ
虫が良すぎるんです。
切断 せつだん
傷痍軍人 しょうい
おめおめとこのような辱めを受けるような彼らではあるまい はずかしめ
親に向かって何という言い草だ 言い草
うちの家計は一年中火の車です。
以前は彼もちょくちょく顔を出していました ちょいちょい
連日の雨、気が少し滅入ってしまうんじゃないか。外出できなくて、家で映画をいっぱい見ました。従って、日本語をしっかり勉強してきました。気象庁によると、台風22,23号が近いうちに、台湾に来るそうです。皆さんも無事に過ごすよう、心から祈っております。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月10日16時50分『岐阜市で豚の病気「豚コレラ」が見つかる』というニュースです。岐阜市にある養豚場で3日から8日までに、約80頭の豚が死にました。9日の朝、岐阜県の中央家畜保健衛生所の遺伝子検査では、豚コレラウイルスが検出されました。豚コレラは、人のコレラとは全く違う病気で、豚やイノシシしかかかりません。
この養豚場では死んだブタも含めて610頭が飼育されていましたが、10日の午前6時までにすべて処分することになりました。岐阜県は、この養豚場から半径10km以内にある3つの養豚場に、豚を売ったりほかの場所に移したりしないように言いました。岐阜県によると、豚コレラは26年前に熊本県で見つかってから、日本では見つかっていませんでした。
最近豚の感染問題が相次ぎ、日本ではなくて、中国にもたくさんの豚がアスファウイルスにひどく感染され、もともとアフリカから移られたそうです。アジアの各国に広がる可能性があるかもしれません。これから、豚肉の値段が上がる一方でしょう。
九月七日(金曜日)午前中、昨日の言語交換で勉強してきた社交目的型スピーチの文章と実例を何回も読み直しました。外国語の勉強には、言語交換がはなはだ効果的な手段です。というのは、五官を用いて、特に口での発音と耳の訓練、馴染みない外国語を身につけやすいと思います。
大雨の午後、おやつを食べながら、高樹のぶ子の自伝的小説『マイマイ新子』を原作とする、片渕須直監督のアニメーション映画『マイマイ新子と千年の魔法』を見ました。昭和三十年代の山口県防府市を舞台に、お転婆で空想好きな少女の新子と、東京から来た転校生の貴伊子との友情を描きます。
最近、子供向きアニメーション映画を満喫しました。日本ではすごいアニメーション映画監督がいっぱいいると感じます。日本語を勉強するために、日本アニメーション映画をいっぱい見ました。たくさんの単語を習いました。良かったです。
喘息(ぜんそく)を患い、麦畑、直角(ちょっかく)の河、碁盤(ごばん)、
26色(しょく)の色鉛筆、鍛冶屋(かじや)さん、泥鰌掬い(どじょうすくい)、決死隊の戦友、懐中電灯(かいちゅうでんとう)、日光を遮(さえぎ)る
九月八日(土曜日)午前中、景新図書館の十階の教室で、林先生の日本語講座に出ました。林先生の日本人の親友の本田広さんに会いました。本田さんは世界の何国も回って、レストランを営んでいます。冷房に苦手の本田さんは家や店にエアコンがないです。エアコンは体に良くないと言って、自然の風が一番です。
大雨の午後、ブロードウェーというテーマされた音楽会に出ました。ブロードウェーの歴史と有名な人物を知りました。
夜、沖田修一監督は2016年公開された日本のコメディ映画『モヒカン故郷に帰る』を見ました。舞台は瀬戸内海に浮かぶ架空の小さな島「戸鼻島(とびじま)」。撮影は2015年にオール広島ロケ(主に呉市の島嶼部である下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島)で行われました。主演の松田龍平はデスメタルバンドのボーカル役を演じるために、人生初のモヒカン頭がカッコウよくて、り、デスヴォイスでの歌唱がすばらしかったです。日本語字幕を見ながら、映画を観賞しました。人生の最期に、静かな瀬戸内海の島に住んで、家族と親友に囲まれて、遣りたがってることを遣れることはほんとうに一番幸せだと思います。大雨のキリスト教の結婚式は暖かかったです。
いつくしみ深き 賛美歌312番
いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いを とり去りたもう
こころの嘆きを 包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を アーメン
『田村永吉、あなたは神の定めのもと夫婦になろうとしています。その健やかな時も、病む時も、これを愛し、これを敬い、これを助け、固く節操を守ることを誓いますか?』『誓います。』
『会沢由佳、あなたは神の定めのもと夫婦になろうとしています。その健やかなる時も、病む時も、これを愛し、これを敬い、これを助け、固く節操を守ることを誓いますか?』『はい、誓います。』
『それでは、ベールをあげてください。では、誓いのキスです。』
断末魔(だんまつま)の苦しみ 、溺死(できし)、凍死(とうし)、焼死(しょうし)、洒落臭せへ、病死、彼は何だかんだ言って、言い訳ばかりしている、それは至極真っ当なことである、
九月九日(日曜日)午前中、クロッグダンス授業を用意しました。午後、景新図書館で、学生さん三人と『小さな世界』を復習して、新しいスイングダンスのステプをれんしゅうしました。
夜、小林政広原作・脚本・監督の2010年の日本映画『春との旅ー生きる道、きっとある』を見始めました。北海道増毛郡増毛町(ましけちょう)に暮らす元漁師の老人・忠男は妻に先立たれ、同居する孫娘・春の世話がなくてはならない生活を送っていました。だがある日、春は給食づくりの職を廃校によって失って、東京で職を探そうと考えて、しかし足の不自由なおじいさんの忠男を一人暮らしさせるわけにもいかず、二人は忠男の身の置き場所を求めて宮城県の各地(姉茂子:鳴子温泉/弟道男:仙台市内)などに住む親類を訪ねる旅に出ます。しかし、これまで身勝手に生きてきた忠男の人生が浮かび上がってくるばかりでした。春は母を自殺で亡くしていたが、最後に母と離婚した父の許を訪ねようと春が提案します。
日本語の字幕があるので、ゆっくりと映画を鑑賞しながら、日本語を勉強します。分からない単語がいっぽいあるので、何時間もかかって、良かったわ。
一日に二回ぐらい、窓を開けて、空気を入れ換えたら、体にいいんだよ。
人づき合いを避けて家に閉じこもっているうちに, 彼はますます偏屈(へんくつ)になっていった。
癌も手遅れにさえならなければ治ることもある、手遅れにならぬうちに
そりが合わない、「反り」が「鞘(さや)」の曲がり具合に合わないと、刀を鞘に収めることが出来ない。
世間の手前
沽券(こけん)にかかわる、こけんを下げる、そんなことをしたら、君の沽券にかかわるよ。
(誰に)白羽(しらは)の矢が立つ
羽振り(はぶり)がいい 彼は政界にも財界にも羽振りを利かせる実力者だ
潮時(しおとき)を待つ
人の家に居候(いそうろう)をする
遠浅(とおあさ)の浜
筆まめな、筆不精(ふでぶしょう)な人
堅気(かたぎ)で暮らす
清水(しみず)を飲む
彼は約束を破るたちではない、たちのいい、たちの悪い
碌(ろく)に考えもしないで、ろくに彼女と話をする暇もない
そろそろ諦めない?
馬が合うとは、性格や気が合う。意気投合する。
包んで持って帰ると、一食浮く
彼らは内縁関係の夫婦として暮らしている 内縁の妻 ないえん
彼は律義(りちぎ)な大工で, 手抜きなど決してしない
突然押しかけて、申し訳ございません
九月十日(月曜日)午前中、十時から十時半まで景新図書館で、基礎日本語を教えてから、急いで台北市立図書館へ行った、十一時から十二時まで、楽齢センターの合同発表会のことに打ち合わせて、十人の志願者が募集できました。
午後、台北101でクロッグダンスを練習してから、王先生と一緒に御昼しました。夜、小林政広監督の『春との旅ー生きる道、きっとある』をやっと見終えました。
世の中に自分中心に回ることではない、色んな人の都合で回ってるんだから
お前はもう父の厄介(やっかい)になる年ではない。どうもいろいろご厄介をかけて相済みませんでした。
このうちの掟(おきて)は働かざるものは食うべからずなんだから
まき割りというのは、腕と腰で割るものなのです。
貴重品を帳場(ちょうば)に預ける、帳場に坐る
考え方が甘ったれな人、甘ったれのおじいさん あまえんぼう
さっさと捨てなきゃだめよ
客間がふさがっている、電話は全部ふさがっている
僻まない、妬まない心をもつ 僻む ひがむ 妬む ねたむ
猫の手も借りたいくらい
お新香 おしんこ
気が滅入るような こんなに天気が悪いと気が滅入る
食い逸れ(食いっぱぐれ)の私にコーヒーをおごらせるのか
あきれたね。
通はそばをこうやって食べるものだ。
都会暮らしがいやになってきた. いっそ郷里の村に帰ってみようか いっそのこと
少し問題を突き放して見た方がいい。そんなに自分勝手をしていると皆に突き放されてしまうぞ
左前 ひだりまえ くだり前
人手に渡る ひとで
人使
後継者 こうけいしゃ あの人の後継者はだれになるだろうか
肝玉の人間 キモダマ
おんぶ おぶれ
虫が良すぎるんです。
切断 せつだん
傷痍軍人 しょうい
おめおめとこのような辱めを受けるような彼らではあるまい はずかしめ
親に向かって何という言い草だ 言い草
うちの家計は一年中火の車です。
以前は彼もちょくちょく顔を出していました ちょいちょい
2018/09/07
角栄ブーム
皆さん、おはようございます。過去の三日間、毎日の午後、お茶会があって、火曜午後には、八人の黄金女郎が又上カフェで、海外不動産の投資について、打ち合わせて、水曜午後には、日本語読書会の仲間が大坪林サリヤカフェで、来月に台北市立図書館の六つ楽齢センターの合同発表会について、打ち合わせて、木曜午後には、日本人の入居者の冨山さんと中央図書館カフェで言語交換しました。台北には、喫茶店やカフェがいっぱいあります。とても便利です。皆さん、台北にお好きな喫茶店がありますか。ぜひお薦めくださいませんか。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月5日16時15分『台風の強い風で関西空港の橋にタンカーがぶつかる』というニュースです。台風21号が日本に行って、関西地方などで大きな被害が出ています。関西空港では4日の午後、台風の強い風に煽られて、連絡橋にタンカーがめり込むような形で衝突した事故で、5日午後まで、復旧の目処は立っていないということです。タンカーは長さ89m、2591tです。
連絡橋を通ることができなくなったため、4日の夜は空港にいた3000人ぐらいの客と空港で働いている大勢の人が、空港に泊まりました。5日の朝、近くの神戸空港へ行く定員が110人の高速船「神戸ー関空ベイ・シャトル」が3隻無料で運航されることになりました。連絡橋の一部は安全なことが分かったため、バスも使って運びました。
連絡橋の衝突事故ではなくて、関西空港が浸水被害も受けて、5日も終日閉鎖されることや、ほかの空港でも機体のやり繰りがつかないことから、国内の空の便は162便の欠航が決まっています。運がついてない関西空港ではなくて、最近台湾の南部にも、一時に降雨量が多くて、浸水被害がひどくて、多大の損害をこうむって、農民たちが苦しみを悩んで、秋の収穫が出来なくて、一年の努力をすでに水の泡になりました。台北に住んでいる私達は野菜や果物の高騰にも悩んでます。
九月四日(火曜日)午前中、エミちゃんと実家で歌を練習しました。
午後、海外不動産の投資について、親友の黄金女郎と打ち合わせて、グルプ出資でフィリピンのマニラベイにあるマンションを一軒購入することに決まりました。
九月四日の今日は、数字の九四の日本語は「串」と同音なので、「串の日」です!美味しい串焼き料理が近所の居酒屋で楽しみました。ハツ、砂肝、ねぎま、ぽんじりなどをいっぱい食べました。美味しかったです。
夜、西川美和による小説と、それを原作に著者自らが監督した2016年公開された日本映画『永い言い訳』を観賞しました。作家の衣笠幸夫は、妻の夏子が友人とともに旅行に出かけるのを見送ったその日に、彼女が事故死したことを知らされて、さして悲しい出来事ではなかった。夏子の友人の夫、トラック運転手である陽一は二人の子供を抱え、妻を失った事実に打ち拉がれて、同じ境遇の幸夫と思いを分かち合おうとしたのだ。幸夫は陽一のアパートを訪ね、家事の素人である陽一は母親役を兼ねられない、と見てとった幸夫は子供たちの世話を買って出ました。
九月五日(水曜日)午前中、景新図書館の十階の教室で、老人うつ病についての講座を聞きました。薬剤師の私はスピーカがやはり役に立てる情報を老人に提供しべきで、単なる世間話の老人講座は退屈なお喋り会ではないです。
午後、日本語読書会の仲間と大坪林サリヤカフェで、来月の台北市立図書館楽齢センターの合同発表会について、打ち合わせました。
家で、人気歌手の王若琳が吸い込むような声のジャズCDを二枚聴きました。
夜、1967年に公開されたD・A・ペネベイカー監督によるアメリカ映画『ドント・ルック・バック』(Dont Look Back)を見ました。1965年のボブ・ディラン英国コンサート・ツアーに同行し、その様子を記録したドキュメンタリー映画でした。
九月六日(木曜日)午前中、石原慎太郎が書かれた日本語版の『天才』を読み始めました。先週から中国語訳の『天才』を読んだあと、やはり石原慎太郎が書かれた原稿を読みたかったので、日本語の『天才』を読み直しました。主人公は内閣総理大臣を務めた田中角栄であり、田中を「俺」という一人称で記した自伝風小説です。
田中角栄が1918年新潟県に生まれ、1933年十五歳高等小学校を卒業してから、上京して、働きながら、土木科の夜間部で勉強し続きました。1939年に滿州従軍、1948年に自民党に入り、1972年七月に内閣総理大臣に就任、九月中国を訪れ日中共同声明を発表、1993年にお亡くなりになられました
石原慎太郎は国会議員時代には田中批判の急先鋒であったが、田中の業績を見直した内容にもなっており、当時の「角栄ブーム」も手伝い90万部以上の売り上げを記録した。2013年に脳梗塞を患い、ひらがなも思い出せなくなるぐらいの後遺症を残した後の作品だが、本人はワードプロセッサや口述で執筆したとしています。
2000年の時、立命館の交換留学生として、一年間日本の政治を勉強しました。日本の内閣総理大臣の名前が一生懸命に覚えておいて、今までも頭の中に残っているでしょう。2018年自民党総裁選挙は今日の9月7日に告示、9月20日に投開票が予定されてます。楽しみにしております。
午後、杭州小籠湯包で沖縄からの冨山さんをご馳走した後、中央図書館で言語交換をし始めました。私は吳岳樺・菊川秀夫が書かれた『口頭発表のリハーサルー中高級日本語』第十課社交目的型スピーチを読みながら、冨山さんが私の発音を直してくれました。
二時から、冨山さんと一緒に国家圖書館でドイツ連邦州のブレーメン市立図書館の館長Barbara Lisonが「二十一世紀図書館の社會的な教育功能」講座に出席しました。難民と移民に対するサービスを教えていただきました。台北市立図書館の館長、新北市立図書館の館長と台南市立図書館の館長も図書館の教育功能についてのスピーチを聴きました。
夜、三原慧悟の『タピオカミルクティー(珍珠奶茶)』を聴きました。面白かったです。https://www.youtube.com/watch?v=aObocObSFuo&feature=youtu.be
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月5日16時15分『台風の強い風で関西空港の橋にタンカーがぶつかる』というニュースです。台風21号が日本に行って、関西地方などで大きな被害が出ています。関西空港では4日の午後、台風の強い風に煽られて、連絡橋にタンカーがめり込むような形で衝突した事故で、5日午後まで、復旧の目処は立っていないということです。タンカーは長さ89m、2591tです。
連絡橋を通ることができなくなったため、4日の夜は空港にいた3000人ぐらいの客と空港で働いている大勢の人が、空港に泊まりました。5日の朝、近くの神戸空港へ行く定員が110人の高速船「神戸ー関空ベイ・シャトル」が3隻無料で運航されることになりました。連絡橋の一部は安全なことが分かったため、バスも使って運びました。
連絡橋の衝突事故ではなくて、関西空港が浸水被害も受けて、5日も終日閉鎖されることや、ほかの空港でも機体のやり繰りがつかないことから、国内の空の便は162便の欠航が決まっています。運がついてない関西空港ではなくて、最近台湾の南部にも、一時に降雨量が多くて、浸水被害がひどくて、多大の損害をこうむって、農民たちが苦しみを悩んで、秋の収穫が出来なくて、一年の努力をすでに水の泡になりました。台北に住んでいる私達は野菜や果物の高騰にも悩んでます。
九月四日(火曜日)午前中、エミちゃんと実家で歌を練習しました。
午後、海外不動産の投資について、親友の黄金女郎と打ち合わせて、グルプ出資でフィリピンのマニラベイにあるマンションを一軒購入することに決まりました。
九月四日の今日は、数字の九四の日本語は「串」と同音なので、「串の日」です!美味しい串焼き料理が近所の居酒屋で楽しみました。ハツ、砂肝、ねぎま、ぽんじりなどをいっぱい食べました。美味しかったです。
夜、西川美和による小説と、それを原作に著者自らが監督した2016年公開された日本映画『永い言い訳』を観賞しました。作家の衣笠幸夫は、妻の夏子が友人とともに旅行に出かけるのを見送ったその日に、彼女が事故死したことを知らされて、さして悲しい出来事ではなかった。夏子の友人の夫、トラック運転手である陽一は二人の子供を抱え、妻を失った事実に打ち拉がれて、同じ境遇の幸夫と思いを分かち合おうとしたのだ。幸夫は陽一のアパートを訪ね、家事の素人である陽一は母親役を兼ねられない、と見てとった幸夫は子供たちの世話を買って出ました。
九月五日(水曜日)午前中、景新図書館の十階の教室で、老人うつ病についての講座を聞きました。薬剤師の私はスピーカがやはり役に立てる情報を老人に提供しべきで、単なる世間話の老人講座は退屈なお喋り会ではないです。
午後、日本語読書会の仲間と大坪林サリヤカフェで、来月の台北市立図書館楽齢センターの合同発表会について、打ち合わせました。
夜、1967年に公開されたD・A・ペネベイカー監督によるアメリカ映画『ドント・ルック・バック』(Dont Look Back)を見ました。1965年のボブ・ディラン英国コンサート・ツアーに同行し、その様子を記録したドキュメンタリー映画でした。
九月六日(木曜日)午前中、石原慎太郎が書かれた日本語版の『天才』を読み始めました。先週から中国語訳の『天才』を読んだあと、やはり石原慎太郎が書かれた原稿を読みたかったので、日本語の『天才』を読み直しました。主人公は内閣総理大臣を務めた田中角栄であり、田中を「俺」という一人称で記した自伝風小説です。
田中角栄が1918年新潟県に生まれ、1933年十五歳高等小学校を卒業してから、上京して、働きながら、土木科の夜間部で勉強し続きました。1939年に滿州従軍、1948年に自民党に入り、1972年七月に内閣総理大臣に就任、九月中国を訪れ日中共同声明を発表、1993年にお亡くなりになられました
石原慎太郎は国会議員時代には田中批判の急先鋒であったが、田中の業績を見直した内容にもなっており、当時の「角栄ブーム」も手伝い90万部以上の売り上げを記録した。2013年に脳梗塞を患い、ひらがなも思い出せなくなるぐらいの後遺症を残した後の作品だが、本人はワードプロセッサや口述で執筆したとしています。
午後、杭州小籠湯包で沖縄からの冨山さんをご馳走した後、中央図書館で言語交換をし始めました。私は吳岳樺・菊川秀夫が書かれた『口頭発表のリハーサルー中高級日本語』第十課社交目的型スピーチを読みながら、冨山さんが私の発音を直してくれました。
二時から、冨山さんと一緒に国家圖書館でドイツ連邦州のブレーメン市立図書館の館長Barbara Lisonが「二十一世紀図書館の社會的な教育功能」講座に出席しました。難民と移民に対するサービスを教えていただきました。台北市立図書館の館長、新北市立図書館の館長と台南市立図書館の館長も図書館の教育功能についてのスピーチを聴きました。
夜、三原慧悟の『タピオカミルクティー(珍珠奶茶)』を聴きました。面白かったです。https://www.youtube.com/watch?v=aObocObSFuo&feature=youtu.be
2018/09/04
この世界の片隅に
皆さん、おはようございます。昔は、人々が光陰矢の如しと言うのをよく耳にしました。年を取るに連れて、確かに、一寸の光陰と一寸の金では、一寸の金を持ってしても、一寸の光陰を買うことができないと深く感じてます。もし一寸の光陰を持てば、何にするか、友達とお喋るか、美味しいものを食べるか、旅行に出るか、自宅で勉強するか。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月3日16時30分『北海道えりも町サケを取る秋の漁が始まる』というニュースです。北海道えりも町などで1日、秋サケの定置網漁が解禁となり、ことし初めての水揚げが行われました。3隻の漁船がえりも岬漁港からは沖合に出て、漁業者たちが一斉に定置網を巻き上げて、勢いよく飛び跳ねる秋サケをすくい上げました。最初の日に取れたサケは全部で600kgでした。去年の約3倍でした。
秋サケの来遊予測をしている北海道立総合研究機構によりますと、今年は北海道全部で去年の1.8倍、えりも町では2倍近くの水揚げ量が見込まれています。サケの漁をしている男性は「初日なのでまだなんとも言えないが、予測はいいということなのでこれからに期待したい」と話していました。北海道えりも町の秋サケ漁は11月20日まで続きます。
私は去年九月の始め、バンクーバー港からクルーズに乗って、アラスカへ行って、河でサケの回遊を見学しました。そして、サケ料理もいっぱい食べました。今年には、サケの水揚げ量は去年と一昨年より、たくさん取れたニュースを聞いて、嬉しいです。だって、サケが大好きだもん。
襟裳岬 森進一 作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎
https://www.youtube.com/watch?v=tTrg9CjTxF4
北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめてるらしい
わけのわからないことで 悩んでいるうちに 老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を 拾い集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です
君は二杯目だよね コーヒーカップに 角砂糖 ひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを くるくるかきまわして
通りすぎた夏の匂い想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です
日々の暮しはいやでも やってくるけど 静かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと 飼い馴らしすぎたので
身構えながら話すなんて ああおくびょうなんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友だちが 訪ねてきたよ 遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ
八月三十一日(金曜日)午前中、私の台北にあるマンションで日本人の入居者に会って、鍵を渡してから、新店にサリヤというイタリアレストランで、日本語読書会の仲間と一緒に御昼しました。そのあと、孟さんのお宅を訪ねて、カラオケ大会について、お喋り会を楽しみました。やはり、カラオケ大会って、皆と一緒に行ってやれば、非常に心強かったです。
九月一日(土曜日)午前中、日本語読書会で、公学校用国語読本巻七の第二十課『正夫の開店』と第二十一課『商業問答』を勉強しました。林先生と御昼を済んで、景新図書館の向こうある『クマバー』という喫茶店でコーヒーを飲みながら、第二十二課『鳥』を来週の日本語授業を用意したおきました。
午後、森見登美彦原作のベストセラー青春恋愛小説がアニメーション映画化、湯浅政明監督の『四畳半神話大系』を三本も見ました。京都で行われた大学生の恋物語で、主人公のお喋り方が速かったです。
九月二日(日曜日)午前中、また森見登美彦による長編小説、2017年湯浅政明監督『夜は短し、歩けよ乙女』を見みました。京都大学と思われる大学や周辺地域を舞台にして、さえない男子学生と無邪気な後輩女性の恋物語を二人の視点から交互に描いている。諧謔にあふれる作品で、ときに現実を逸脱した不可思議なエピソードを交えている。古い文章からの引用が多い。タイトルは吉井勇作詞の『ゴンドラの唄』冒頭からとられている。
午後、景新図書館でクロッグダンス授業を担当し始めました。学生さんが二人しか現れませんでした。前期に教えた簡単なクロッグダンスを二曲復習しました。
夜、『夜は短し、歩けよ乙女』を見続けました。諺がいっぱいので、辞書を引きながら、映画をみ終えました。
お金の持ち合わせがある、やけ酒を飲む、風変わりな服を着る、詭弁を弄する、
始めは人を欺{あざむ}き終{つい}には己を欺く、花を欺く顔容{かんばせ}花のかんばせ月の眉、台無しにする、乳を揉む、飲み比べの勝負を挑む、貴の花と曙{あけぼの}一戦をテレビで見ていて、完全にしびれる、猥褻{わいせつ}な絵、閨房{けいぼう}、彼は捕虜{ほりょ}になって、城内に幽閉される、怖{お}じける、人づき合いを避けて、家に閉じこもっているうちに、 彼はますます偏屈になる、防犯カメラの映像、韋駄天走りに走る、達磨{だるま}、快方{かいほう}に赴く{おもむく}
九月三日(月曜日)午前中、日本語入門読書会に出席しました。お昼のあと、仲間と一緒に中正楽齢センターの色鉛筆の授業に出ました。
午後、『のんちゃんのり弁』を見ました。
夜、『この世界の片隅に』を見ました。片渕須直監督・脚本の長編アニメーション映画。2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描きました。
私は広島と呉市に何回も訪ねたことがあるので、このアニメ映画を見ると、第二次世界大戦の時、日本の様子を覗いてきました。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月3日16時30分『北海道えりも町サケを取る秋の漁が始まる』というニュースです。北海道えりも町などで1日、秋サケの定置網漁が解禁となり、ことし初めての水揚げが行われました。3隻の漁船がえりも岬漁港からは沖合に出て、漁業者たちが一斉に定置網を巻き上げて、勢いよく飛び跳ねる秋サケをすくい上げました。最初の日に取れたサケは全部で600kgでした。去年の約3倍でした。
秋サケの来遊予測をしている北海道立総合研究機構によりますと、今年は北海道全部で去年の1.8倍、えりも町では2倍近くの水揚げ量が見込まれています。サケの漁をしている男性は「初日なのでまだなんとも言えないが、予測はいいということなのでこれからに期待したい」と話していました。北海道えりも町の秋サケ漁は11月20日まで続きます。
私は去年九月の始め、バンクーバー港からクルーズに乗って、アラスカへ行って、河でサケの回遊を見学しました。そして、サケ料理もいっぱい食べました。今年には、サケの水揚げ量は去年と一昨年より、たくさん取れたニュースを聞いて、嬉しいです。だって、サケが大好きだもん。
襟裳岬 森進一 作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎
https://www.youtube.com/watch?v=tTrg9CjTxF4
北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめてるらしい
わけのわからないことで 悩んでいるうちに 老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を 拾い集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です
君は二杯目だよね コーヒーカップに 角砂糖 ひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを くるくるかきまわして
通りすぎた夏の匂い想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です
日々の暮しはいやでも やってくるけど 静かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと 飼い馴らしすぎたので
身構えながら話すなんて ああおくびょうなんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友だちが 訪ねてきたよ 遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ
八月三十一日(金曜日)午前中、私の台北にあるマンションで日本人の入居者に会って、鍵を渡してから、新店にサリヤというイタリアレストランで、日本語読書会の仲間と一緒に御昼しました。そのあと、孟さんのお宅を訪ねて、カラオケ大会について、お喋り会を楽しみました。やはり、カラオケ大会って、皆と一緒に行ってやれば、非常に心強かったです。
九月一日(土曜日)午前中、日本語読書会で、公学校用国語読本巻七の第二十課『正夫の開店』と第二十一課『商業問答』を勉強しました。林先生と御昼を済んで、景新図書館の向こうある『クマバー』という喫茶店でコーヒーを飲みながら、第二十二課『鳥』を来週の日本語授業を用意したおきました。
午後、森見登美彦原作のベストセラー青春恋愛小説がアニメーション映画化、湯浅政明監督の『四畳半神話大系』を三本も見ました。京都で行われた大学生の恋物語で、主人公のお喋り方が速かったです。
九月二日(日曜日)午前中、また森見登美彦による長編小説、2017年湯浅政明監督『夜は短し、歩けよ乙女』を見みました。京都大学と思われる大学や周辺地域を舞台にして、さえない男子学生と無邪気な後輩女性の恋物語を二人の視点から交互に描いている。諧謔にあふれる作品で、ときに現実を逸脱した不可思議なエピソードを交えている。古い文章からの引用が多い。タイトルは吉井勇作詞の『ゴンドラの唄』冒頭からとられている。
午後、景新図書館でクロッグダンス授業を担当し始めました。学生さんが二人しか現れませんでした。前期に教えた簡単なクロッグダンスを二曲復習しました。
夜、『夜は短し、歩けよ乙女』を見続けました。諺がいっぱいので、辞書を引きながら、映画をみ終えました。
お金の持ち合わせがある、やけ酒を飲む、風変わりな服を着る、詭弁を弄する、
始めは人を欺{あざむ}き終{つい}には己を欺く、花を欺く顔容{かんばせ}花のかんばせ月の眉、台無しにする、乳を揉む、飲み比べの勝負を挑む、貴の花と曙{あけぼの}一戦をテレビで見ていて、完全にしびれる、猥褻{わいせつ}な絵、閨房{けいぼう}、彼は捕虜{ほりょ}になって、城内に幽閉される、怖{お}じける、人づき合いを避けて、家に閉じこもっているうちに、 彼はますます偏屈になる、防犯カメラの映像、韋駄天走りに走る、達磨{だるま}、快方{かいほう}に赴く{おもむく}
九月三日(月曜日)午前中、日本語入門読書会に出席しました。お昼のあと、仲間と一緒に中正楽齢センターの色鉛筆の授業に出ました。
午後、『のんちゃんのり弁』を見ました。
夜、『この世界の片隅に』を見ました。片渕須直監督・脚本の長編アニメーション映画。2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描きました。
私は広島と呉市に何回も訪ねたことがあるので、このアニメ映画を見ると、第二次世界大戦の時、日本の様子を覗いてきました。
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