皆さん、おはようございます。輝く十月に入ると、日増しに涼しくなり、快適で過ごしやすい日々が来ます。それに、お祝いイベントが次々に行います。先ず十月九日、私の誕生日です。六十三歳になります。実家で食べ飲み放題のお祝いパーティをやります。皆さんのご都合をお差し支えなければ、ぜひお越し下さいませんか。十月二十五日、台湾主権回復の記念日であれば、愛しい弟の還暦の誕生日のお祝いパーティがあります。十月三十一日はハロウィーンであれば、故蒋介石の誕生日です。
誕生日 おめでとう 誕生日 おめでとう
みんなで おいわい 誕生日 おめでとう
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連続のお誕生日の祝いパーティ並びに、文山楽齢センターの演出活動もいっぱいあります。十月十一日午後慈安老人ホーム、十三日楽齢センター合同発表会、十八日一寿老人ホーム。いま日本語読書会の先生と学生たちが精いっぱい、演出の役になりきる為には、努力を惜しまない!きっと思い出に残る舞台経験になるでしょう。一寸先も闇だと言われる人生って、六十歳過ぎた私は、いま毎日神様に素晴らしい学習のチャンスを与えて下さって、心より感謝致します。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月28日11時30分『大学ランキング アジアでは中国の大学が初めて1番になる』というニュースです。イギリスのの教育専門誌は26日に発表された今年のランキングでは、世界で1番になった大学は、去年と同じイギリスのオックスフォード大学でした。
アジアでは中国の清華大学が1番になりました。中国の大学がアジアで1番になったのは初めてです。去年はシンガポール国立大学が1番でした。清華大学は世界では22番で、中国はアジアで最も多い7つの大学が世界の200番以内に入りました。日本は、42番の東京大学と65番の京都大学が世界の200番以内に入っています。今年の結果は中国の大学の教育環境や研究の分野で高い評価を得たことがランキングの上昇につながったとその躍進ぶりを分析していました。
もしも私は今高校三年生だったら、イギリスのオックスフォード大学に進学したいです。世界ランキングでは一番になった大学には、かならず賢い学生がいっぱい居れば、教育熱心な先生もいっぱい居ます。四年間の大学生活をしっかりして、素晴らしい人生を作ります。台湾の高等教育には、今問題がたくさんあります。台湾一番の台湾大学は、今まで学長がいないことがちょっと不思議ではないでしょうか。
九月二十八日(金曜日)午前中、日本語入門読書会の黄先生と一緒に大坪林駅にあるイタリアレストランでお昼をしながら、日本語を勉強しました。
午後、新店耕莘病院の国際会議センターで、紙芸術について、洪新富さんのスピーチを聞きました。折り紙も練習しました。洪さんとは、紙で作られたランタンの第一人者とも言えます。
夜、2008年公開された映画『チーム・バチスタの栄光』を見ました。2006年に宝島社から刊行された現役の医師である海堂尊の長編小説。作者のデビュー作であり、第4回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した。受賞時のタイトルは『チーム・バチスタの崩壊』。
海堂が描くリアルな医療現場や、大学病院における医局政治や人間関係、バチスタ手術中の謎の死をめぐるミステリーもさることながら、何よりもその強烈で印象的なキャラクターとその語り口が評価され。
桜宮市の東城大学医学部付属病院は、フロリダのサザンクロス心臓疾患専門病院から心臓外科の権威、桐生恭一を招聘し、心臓移植の代替医療であるバチスタ手術を専門に行うチーム、『チーム・バチスタ』を結成、『チーム・バチスタの奇跡』と呼ばれる程の驚異の成功を収めていた。
しかし、成功率百パーセントだったチーム・バチスタが、三例立て続けに謎の術中死に遭遇する。少年ゲリラ兵へのバチスタ手術により世間の注目を集める中、疑念を解明するため、病院長は田口に内部調査を命じる。だがチーム・バチスタの調査が難航した時、外部からの調査者、厚生労働省の役人「ロジカル・モンスター」白鳥がやってくる。
バチスタ手術とは、学術的な正式名称は「左心室縮小形成術」という。創始者であるR・バチスタ博士の名を取って、一般的には「バチスタ手術」とも呼ばれる。拡張型心筋症に対する手術の一つ。肥大した心臓を切り取り小さく作し、心臓の収縮機能を回復させる。心臓移植の代替手術だが、状態が劇的に改善される例も多い。手技は難しくリスクは高い。成功率平均六割。日本でこの手術を行う施設は少ない。映画で描かれたバチスタ手術は、2006年時点の技術に基づいて描かれている。現在では、バチスタ手術に関する技術などはより進歩している。
手術室の光景は、一般的外科医3人で行うのが標準である。(執刀医一人、助手二人)。執刀医は患者の左側に立つ。助手は第1、第2とあり、第1助手が執刀の直接的な手助けをし、第2助手は術野を一定に保つために、周辺環境を差配する。患者の頭部付近に麻酔医が立ち、患者の状態を常に把握する。麻酔医の回りには様々なモニタがあり、その数値を見ながら、投薬量を決定する。 助手の背後に人工心肺が設置され、臨床工学士が麻酔医と密な連携を取りつつ、人工心肺の維持に努める。術者側、患者の腰付近に、手術器具を載せる台が設置され、器械出しの看護婦(通称・オペ看)が、要求される機器を迅速に手渡す。この他、外回りと称し、雑用をこなす医師や看護婦が、術野外にいる。
心臓移植の映画を見て、外科のお医者さんの苦労を分かるようになりました。
緑内障 りょくないしょう
門前払いを喰わせる もんぜんばらい
九月二十九日(土曜日)午後、2013年公開された日本映画『武士の献立』を見ました。監督は朝原雄三。松竹・北國新聞共同製作。北國新聞創刊百二十周年作品。キャッチコピーは「家族の歴史は、毎日の献立とともにあった――」。2010年に公開された『武士の家計簿』に続き、江戸時代の加賀藩に仕えた武士をユニークな切り口で描いた時代劇。
時は加賀騒動の前後。加賀藩六代藩主・前田吉徳の側室・お貞の方に仕える女中の春は、江戸屋敷で出会った加賀藩台所方・舟木伝内から、彼の息子・安信の嫁にと望まれる。春は一度は断ったが、伝内の熱意に心を打たれ、お貞の方からの助言もあり舟木家への嫁入りを決意する。
兄の急死で跡取りとなった安信は、料理の腕はからっきし駄目であり、御料理人の務めにも身が入らなかった。親戚を招いての試食会で出した料理を身内からも批判される姿を目の当たりにした春は、汁物の味付けをこっそり替えて出す。その行為に立腹した安信であったが、「包丁侍なぞつまらぬ」との暴言に怒った春から「離婚か料理指導か」を賭けた料理勝負を挑まれ敗北、改めて彼女の実力を知る。春のスパルタ料理指導の甲斐あって、安信は徐々に腕も上達し出世していく。安信の昇進を家族はもちろん、親友の今井定之進・佐代夫妻も喜ぶが、春は姑・満との会話から、かつて安信と佐代が恋仲だったことを知ってしまう。
一年後、安信は定之進の推挙で改革派の集まりに参加し、改革派の中心人物である大槻伝蔵と出会う。しかし藩主吉徳が急死、保守派の重臣前田土佐守直躬らの讒言もあって大槻は失脚する。定之進をはじめとする改革派の面々は改易となるものの下士の身分であった安信には何の咎めもない。時を経て、藩主前田重煕の暗殺未遂事件が発生する。出家していたお貞の方が首謀者とされて幽閉されたことを知った春は動揺を隠せず、安信の助力を得てお貞の方と再会したが、大槻が自害した後にお貞の方も後を追うことになる。
その後、藩主重煕の国許入りを祝って徳川家や近隣の大名を集めて饗応料理を振舞うことになり、伝内が頭取、安信が頭取補佐を勤めることになる。大槻らを追い込んだ土佐守の指示ということに納得いかない安信は、定之進に誘われ土佐守の暗殺計画に加わろうとする。安信から事情を聞いた春は一瞬の隙をついて安信の刀を奪って逃走し、安信が暗殺に加わることを阻止し、定之進ら残党は全員討たれた。その夜に帰宅した春を手討ちにしようとした安信だったが、春と母の思いを知り断念。挙句に父が倒れ、代わりに春と二人で能登へ食材探しの旅に出る。道中春への思いを新たにする安信だったが、春はある決意を固めていた。
饗応当日、安信は台所方の中心となって料理を振舞い、加賀騒動で地に落ちた加賀藩の面目を保つ。その頃、春は「自分の役目は終わった。舟木家にもっとふさわしい嫁を」と舟木家を去る。役目を終えて帰宅した安信は、春が失踪したことを知らされて藩内を探し回り、能登の海女が集まる店で働いていた彼女に再会し、ようやく二人は分かり合うことが出来たのだった。
「包丁侍」とは、剣術ではなく料理で将軍家や大名家に仕える武士を揶揄する呼び名である。武士としては足軽に近い低い身分であるが、大名家の人々の健康を守るとともに、対外的には「饗応料理」をつくり藩の威信を示すなど重要な働きをする。舟木伝内は四條流の「幕府台所人」に師事し、1707年(宝永4年)より加賀藩の「御料理人」となり活躍、『ちから草』『料理無言抄(安信との共著)』他優れたレシピ集を著した人物である。舟木家は以来明治に至るまで7代にわたり加賀藩御料理人を務めた。
色んな素晴らしくて美味しそうな宴の料理を見て、自分の誕生日のパーティの献立はどう見事なものを出すのを頭の中に考えさせています。思い出に残る宴会になるでしょうか、楽しみに。
夜、2009年公開された日本映画『なくもんか』を見みました。キャッチコピーは「これは”泣ける喜劇”か”笑える悲劇”か!?」。
東京の下町、「善人通り商店街」にある「デリカの山ちゃん」は毎日行列のできる超人気惣菜店。その店を切り盛りする「二代目山ちゃん」こと祐太は「究極の八方美人」と呼ばれるほどの働き者で親切な男。商店街の住人たちは何か困ったことがあれば祐太に頼み、祐太も嫌な顔一つせず口癖の「好きでやってますから」と引き受けていました。
祐太は八歳の時に父・下井草健太は金を盗んだ挙句に「倅を4649」とソースで書き残して蒸発。以来、店主夫婦に「なんとな〜く」で可愛がられた事で、祐太はその恩返しとばかりに一生懸命働き、次第に我が子同然に育てられ今は故人となった店主から四十年間継ぎ足してきた秘伝のソースを受け継ぐ立派な後継者となっていたのである。商店街の人たちからも「なんとな〜く」で可愛がられた事を頼み事を全て引き受ける事で恩返しし続けた結果、誰からも愛される存在となりました。
ある日、十数年前に成人してあっさり出て行った初代店主夫婦の一人娘、徹子がひょっこりと帰ってきた。昔はブクブク太っておりあまり容姿も良くなくプチ整形疑惑があるとはいえ昔とは別人のような美人に変貌していた徹子はさらに不倫して娘と息子を産んでいた。祐太は徹子にすぐにプロポーズ。徹子は「店を引き継いで、ついでに店の娘と結婚して婿養子になれば丸く収まるから結婚したいんでしょ?!」と不安でつい祐太を責めるが、祐太は「そんな事はない。だって俺、泥棒の息子だよ?」と徹子をなだめ、指輪を渡し、めでたく結婚することになりました。
弟はテレビで大人気のイケメン兄弟お笑い芸人、「金城ブラザーズ」の祐介であった。結婚する際に生まれて初めて戸籍を見て、両親が離婚していなかった事と、弟の存在を知る。無邪気に弟との対面を喜ぶ祐太であったが祐介は大介という先輩若手芸人と「兄弟」と嘘の経歴でコンビを結成して以来その出生をひた隠しにしていたため、本物の兄の出現を素直に喜べない。
祐介は「デリカの山ちゃん」を訪れ、祐太を「下町のしがないハムカツ屋」とバカにする。祐太は昔からの癖でヘラヘラと笑うばかり。それを聞いていた徹子は怒り「不幸を売りにしたらそんなに偉いのか?私はあんたで笑った事もないし、これからも笑わない自信がある。兄さんを笑わせてみろ、得意の一発ギャグでさ」と煽り、祐介はギャグを披露するが、あまりのつまらなさに祐太も硬直する。
徹子は「あんたのギャグはそんなもんなんだよ」と背中を蹴る。祐介は逃げようとするが徹子が「バカにした山ちゃんのハムカツを食べて、どっちがうすら寒いか試してみろ」とハムカツを食べさせる。しかし、秘伝のソースがない事に気付く。すると娘のしずかが、「弟が学校でハムカツのソースが臭いといじめられてるから捨てた」と言い、徹子は「山ちゃんに謝りなさい!」と叱るがしずかは「ソースなんてなんでも良いじゃん!」と学校給食のソースを投げつける。祐太と徹子がショックを受けている後ろから祐介が泣きながら「ハムカツが美味い ソースも美味い」と食べる。試しに食べた徹子もソースを絶賛。ソースを切り替えた山ちゃんの店はさらに繁盛する。
そんな中、山ちゃんは警察に呼び出され、強盗の疑いをかけられる。山ちゃんは貯金を頼まれて代わりにおろしたりしていたため、指紋が見つかり、さらに「やはり泥棒の息子」ということが抜けずに住人も疑うが、犯人は見つかる。そして、その頃生き別れた父がひょっこり現れ、さらにさらに金城ブラザーズの兄弟詐称疑惑がマスコミに報じられる。
その頃から徹子は山ちゃんの不思議な行動に気付く。日曜の夜になると、山ちゃんはがっくりと肩を落とし、いつもは自ら元気に挨拶をする山ちゃんが、強面の住人にぶつかられて文句を言われても無言で睨み返すほどで、どこかへ出かけ、月曜の朝に始発で帰って来ると、またいつもの「元気で明るく八方美人な山ちゃん」に戻るのだ。徹子は「どこかに充電する特殊な場所があるのか?」と疑う。
映画を見れば見るほど、前に見たと感じてます。特に徹子は沖縄で不倫の相手のD(大臣)氏と会った時、確実にこの映画を見たことがあります。どうして、はっきり覚えなかったか、不思議です。
九月三十日(日曜日)午後、浦島太郎の『まい踊り』を練習しました。
夜、午後、2008年ワイルドライフ~国境なき獣医師団R.E.D.(レッド)の第1話「熱血獣医師誕生!」を見みました。第51回小学館漫画賞を受賞した、週刊少年サンデーの人気熱血獣医師コミック「ワイルドライフ」のドラマ化です。テレビドラマ版は『ワイルドライフ~国境なき獣医師団R.E.D.~』のタイトルで放送。
R.E.D.は、微生物や魚、犬猫などのペットから野生動物まで、人間以外の生物全てを扱う、24時間対応の総合病院。世界中から最高の医療技術を持つ獣医師たちを集めたこの精鋭集団は、国内外、依頼があればどこへでも往診に出かけていく。レッドに、五つの科に分かれています。一科は主に外来の検診、一日百件以上の患畜を診ています。二科は通称『ワイルドライフ』、つもり野生動物を扱うR.E.D.花形部門です。世界中から集まった精鋭な獣医師たちが依頼があれば、国内外と問わず、どこへでも往診に行くことで、『国境なき獣医師団』と呼ばれています。
絶対音感をもつ新人獣医師・岩城鉄生(いわしろてっしょう)が患畜の消えかかっている命を救っていく物語。鉄生は熱い心をもつ若い獣医師。三流大学である馬鹿(うまか)大学を卒業し、R.E.D.の医局第2科「WILD LIFE」という野生生物専門の科に勤務してきた、当初は獣医大を卒業したのかと疑うほど知識不足で本人も勉強は嫌いだといっていたがそれでも患畜を救いたいという思いから並々ならぬ努力をし、段々と知識を蓄えて逞しくなってきた。
鉄生の一直線な思いが、治療困難といわれる野生動物たちの命を奇跡的に救っていく。ラオス政府からの依頼で、意気揚々と乗り込んだ鉄生は第二科主任の天才獣医師・陵刀司とコンビになって、ラオスに派遣されました。現地で獣医師を目指す学生たちへの指導並びに、家畜への治療などが主な仕事でした。
初めは普通に動物たちの面倒をみていた鉄生達だったが、ある日、「ラオスでは、日本などの先進国がダム建設を行い、住む場所を追われた人間と象が、狭い場所に住むようになり、エサが足りない象が、民家を襲うという事件が頻発した。ゾウ達が人を襲い、家を襲う姿を目撃する。人間によるダム建設で、人や動物たちが追いやられた結果発生した事件だったのである。
鉄生は、象を自然保護区へ移送しようと考えた。ゾウが傷つけられないように群れごとで野生象の生息地へ移動させようと思いつく!それに賛同した現地の人々の協力により、ラオス国内の自然保護区への移動が決まっていたのだが。保護区に突然未発弾が爆発に見舞われ、象を受け入れができなくなってしまった。どうして良いか分からなくなった鉄生だったが、日本にいる友人のタイ人のことを思い出し、隣国タイへの移動を思いつき、タイへ行く。
タイの高級食堂で、タイのプリンスに偶然に出会って、プリンスは「象はタン人にとって、特別な存在で、あらゆる時代を通じて、象はタイ王国の文化、宗教、生活と深く結びついていた。特に象使いたちにとって、象は生活の糧であり、家族であり、友人であった。訓練された象は、伐採した木材を輸送には欠かせないものだったです。だが近年に至って森林保護の名の下に、木材の伐採が禁じされると使役象は行き場を失い、象使いは職を追われた、路道に迷って象使いの多くは大都会の繁華街で象の見せ物を演じ、僅かな現金を得て、生活を支えました。」
プリンスは、象を受け入れてもいいが、この象使いたちにも、何か救いの手を与えてくれという条件を出した。そして、象使いの力を借りて、昔からの野生の象を追い込むやり方で、ラオスの象を手なずけ、健康状態を管理した後、タイへの移送が実現したのです。ついに、ゾウの移送計画が開始されて、一頭一頭判明しておく。全部で23頭でした。しかし問題は、もう一つあった。アフリカの様に平原ではないジャングルで、ヘリコプターで麻酔銃を撃つことができない。どうやって、野生の象をトラックに運べばよいのだろう。ラオスとタイ。ところが、途中でトラックが事故を起し、小象が大怪我をしてしまう。その場にあるモノで手術をしなければならない。緊張感が漂うシーンも盛り込まれています。
たくさんぞうについての知識を勉強しました。現在アジア象は、毎年減少していて、元の数の五パーセントまでに減ってしまっているようです。タイでは自然保護区内で、象と象使いのショーをして、象の保護と繁殖に務めています。しかしまだまだ不安定な要素があるようです。地球が作った大切な財産、自然やその中で生きる動物達の未来は、地球全体で協力して守って行かなければならないですよね。そんなことも感じる事ができるとっても素敵な作品です。
ぞうさん 作詞:まどみちお 作曲:團伊玖磨
ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね
そうよ かあさんも ながいのよ
ぞうさん ぞうさん だれが すきなの
あのね かあさんが すきなのよ
花形選手 a star player
精鋭な獣医師 せいえい
退いてくれ どく
アトロピン、リンゲル、ビクシリン
この喧嘩は前もって企んだ狂言だった。 たくらむ
気が狂っている くるう
国を荒らす あらす
短絡的に考える たんらく
その子は私になかなか懐きませんでした。 なつく
称賛の歓声を上げて囃し立てる はやしたてる
象の映画を見て、むかし圓山にあった古い台北市立動物園の林旺と言う象のお爺さんのことを思い出しました。今度タイランドで旅をする時、象家族と象使いたちと一緒に遊びします。
十月一日(月曜日)日本語入門読書会と日本語ニュース読書会を訪ねて、一緒に合同発表会をリハーサルしました。
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2018/10/02
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