毎年十一月日本台湾交流協会で開かれる『台湾寄席』に、去年初めて参加した私は、来週の木曜日(十一月十五日)再び入場できて、うれしいです。日本台湾交流協会は、毎年様々な活動を台北事務所地下一階文化ホールで開催し、その中に、一番好きなのは『台湾寄席』です。今年『台湾寄席』の演出者は、去年と同じ、落語家の柳亭市弥と講談師の一龍斎貞弥です。去年のテーマは落語「猫の災難」と講談「大つごもり」。今年は落語「試し酒」と講談「出世の富くじ」、お楽しみに。
『台湾寄席』のお蔭で、私は落語と講談に興味津々になります。来年台北市立図書館景新分館で、寄席読書会を作る予定です。皆と一緒に落語と講談のレパートリーを勉強したり、演じたりします。2018台灣寄席予備塾を今週金曜日(十一月九日)午前中文山楽齢センターで行います。落語「試し酒」と講談「出世の富くじ」を勉強します。どうぞ、ご一緒に!


妹が飼っているビーグルが両眼ともすごい白内障に患っています。私も軽い白内障があると眼医者さんに言われてます。十年以上も見えない熊の白内障の手術が成功したニュースを聞いて、嬉しいです。ビーグルは目より鼻がききますけれども、目が見えなくなって、可哀そうではないでしょか。今視力がだんだん弱くなった私は、将来白内障の手術をしてから、メガネが掛けなくても、本を読める日をおとなしく待っています。
十一月二日(金曜日)雨の一日。午後、いつも長い列が並んでいる金峰滷肉飯という台北に人気ある豚肉そぼろご飯のお店でお昼をして、近くに虎記という喫茶店でコーヒーと飲みながら、二時間の中日言語交換のお喋り会が始まりました。そのあと、実家に戻って、妹と民歌四十を見終えました。
夜、お母さんの親友に誘われて、半世紀以上に、嘉義に住んでいた近所の友人と晩餐会に参加して、幼馴染の友人と再会できて、昔話をいっぱい懐かしかくて、話し合いました。
十一月三日(土曜日) 曇りの一日。午後、中国語を勉強するために台北に来た沖縄人の友達と一緒に台北市アリーナのモスバーグでお昼を済んで、七年目の『仙角ブロードウェー』を観ました。平均年齢75歳、281人の年輩の方が一時間半、華やかな舞台で、『ギン箱の大冒険』を観衆魅了させました。将来チャンスがありましたら、楽齢センターのお年寄りを集まって、一緒に芝居するのを楽しみにしております。

十一月四日(日曜日)曇りの一日。午後、王先生が景新図書館に来て、基本なクロッギングダンスを教え直した後、例の様に、仲間と一緒に景美夜市で、豆花を食べながら、いっぱい話し合いました。
夜、実家で、兄弟四人と姪女一人とお母さんの親友の周さんと一緒に晩御飯をしながら、昔話を満喫しました。
十一月五日(月曜日)曇りの一日。実家で、兄弟四人と一緒にお昼をして、弟の還暦を祝うために、台北に二週間に滞在した妹が、午後の飛行機で、アメリカに帰りました。
家族の全員再会は、いつもわたしにとって、一番大切な時です。
2018台灣寄席予備塾
時間:十一月九日(金曜日)十時から十二時まで
場所:文山樂齡センター
内容 ①落語「試し酒」 柳亭市弥
②講談「出世の富くじ」 一龍斎貞弥
落語 試し酒

しばらくあと、久蔵は戻ってくるなり、賭けに乗ることを宣言し、大きな可杯(べくはい)で、5升の酒を1升ずつ飲み干してみせる(※このとき演者は、少しずつ酔っていきながら主人・近江屋の愚痴を言ったり、身の上を嘆いたりする演技を見せる)。賭けに負けた尾張屋が驚きあきれて、「どうしてそんなに酒が飲めるのか。さっき出て行った時に、酒に酔わない薬でも飲んだのか。それとも何かまじないでも受けたのか」とたずねると、久蔵は、
「酒を5升も飲んだことがなかったので、表の酒屋で試しに5升飲んできた」
講談 出世の富くじ (しゅっせのとみくじ)
【解説】一時の利欲を抑えることが、その後すべて良い結果につながるという、いかにも講談らしい話。

【あらすじ】話は文政五年師走の二十五日のこと。蔵前の通りを十二、三歳の小僧が急ぎ足で走っている。ドンと若い衆がぶつかってくる。小僧が気付くと一両二分の金がない。相手は巾着切りだった。「泥棒」と慌てて追いかけていくが、今度は札差から出て来た若いお侍とぶつかり倒れる。小僧は侍に事情を話すと、気の毒に思った侍は一両二分を渡し立ち去った。
この侍は御茶ノ水の水道端に住む井上半次郎という者である。彼には女房と新太郎・千代という二人の子供がいるが、暮らし向きは悪く、妻と共に内職をしている毎日である。正月にせめて子供に晴着を着せてやりたいと、蔵前まで給金の前借りをした直後にあの小僧と出会って、なけなしの金を与えてしまったのだ。
その帰り、半次郎は湯島の天神様へフラフラと入って来る。今日は、江戸の三富のうち天神様の富くじの日で大変な人だかりである。半次郎も思わず一枚買ってしまった。家へ戻り、金を盗まれた小僧に一両二分を与えたことを女房に話す。良い施しをすればこちらにもきっと良い事が巡ってくると、しっかり者の女房は了解する。
数日後、夫婦二人でご飯を食べていると、富くじの当たり番号を伝える紙を売って歩く者がいる。半次郎はこれを買い求めて見てみると、先日購入した富くじは見事に一番の千両が当たっていた。「当たった、当たった」。これで贅沢が出来ると半次郎は舞い上がる。しかし、女房は贅沢をしては子供が立派な子には育たないと、富くじを捨ててしまうようにと言う。得意になっていたことを恥じた半次郎は子供のためと行燈の火に富くじをくべて焼いてしまう。二人で内職に励んで、なんとか新しい年を迎えることができた。
一月十一日のこと。半次郎は組頭の大久保左門の家に呼ばれる。酒を酌み交わしながら大久保は次のような話をしだした。昨年の暮れの湯島天神の富くじで、いまだに一番の当たりを名乗り出る者がないと江戸で大変な評判になっている。その千両が誰に当たったか知っている者がこの江戸にいた。同心の御用聞きをしている三次というものが、とある家の中から「当たった、当たった」と騒ぐ声とその後のやり取りを聞いていた。この話が三次から上役に、上役から町奉行に、町奉行から寺社奉行へと伝わり、大久保左門の耳に入ったのだった。
さらにこの話は老中の知るところとなり、半次郎の欲のなさにすっかり感心する。そういう心掛けのある者を埋もれさせてしまうのは惜しい。半次郎は御小人目付、八十石へとお取立てになった。その後、トントン拍子に出世し、吟味与力、二百石取りとなり、それからも熱心に仕事に務める。
天保六年十月の中頃のこと。半次郎は御厩の渡しで向こうに渡ろうと船を待っていた。本所側から着いた船に乗っていた三十二、三歳の商人体の男が、半次郎の前を通ると小首を傾げる。この男こそ十七年前、蔵前で巾着切りに金を盗まれ、半次郎から一両二分の金を恵んでもらった者だった。二人は再会を喜び合う。その小僧だったこの男は今では「近江屋幸次郎」という立派な商家の主となっていた。半次郎は座敷へ招き入れられ、これまでのいきさつを話す。幸次郎には妻がまだなかったので、井上の娘の千代を嫁がせる。井上半次郎と近江屋幸次郎は親子となって、長く幸せに暮らした。
No comments:
Post a Comment