2018年台湾地方選挙はおもしろくて、マスメディアから大量の関心を注いで、各地の候補者の底力があるところをいっぱい見せました。選舉って、勝つ者がいれば、負ける者もいます。惨敗を喫した候補者と大勝を味わった候補者は、次の四年後の地方選挙のために、今から腕を振るわなければならないです。勝利者はこれから本当の勝負の道を歩み始めると私は思います。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは11月26日16時10分『2025年の万博を大阪で開くことが決まる』というニュースです。「万博」は、世界の国が参加して文化や技術などを紹介する大きなイベントで、世界中からたくさんの人が集まります。23日にフランスで開かれた会議で156の国が投票をして、2025年の万博は大阪で行うことが決まりました。大阪では1970年にも万博を開いていて、55年ぶり、2回目です。
2025年の万博は、5月3日から11月3日まで大阪市の夢洲という人工の島で開きます。会場をつくるのにかかるお金は1250億円ぐらいで、日本政府、大阪府と大阪市、経済のトップが出します。大阪府の松井知事は「参加した人たちが世界の問題について考えるような万博にしたいと思います」と話しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2025年国際博覧会
https://www.expo2025-osaka-japan.jp/overview/
国際的な大きいイベントが次から次へ日本に行うことは本当に羨ましいです。2020東京オリンピックとか、2025大阪万博とか、いずれにしても、生きている限り、私は見学に行くつもりです。いつか台湾でも、国際イベントを主催することができように、心より祈っております。
十一月二十三日(金曜日)沖縄からの日本友人を連れて、台湾市立図書館景新分館の日本語教室へ行って、沖縄と台湾の交流会を開きました。琉球友人のスピーチの原稿の抜粋を御覧下さい。
『皆さんこんにちは。私は日本の沖縄から来た日本人です。私は今年で五十三歳になります。…沖縄について紹介させてください。沖縄は約140年前までは、独立した琉球王国でした。明(中国)との交易も盛んでたくさんの文化が琉球に入ってきました。現在でもシーサーと呼ばれる獅子や清明祭りやお盆行事などの似たような風習や文化が残っています。また台湾と沖縄は位置的には近く(与那国島で110km)昔から様々な交流がなされてきました。気候も同様で食べ物は似たような材料、料理方法も数多くあります。是非皆さんも沖縄に行く機会があれば共通点を見つけてください。楽しい旅になると思います。…
今から27年前に台湾の高雄県の永安郷という小さな村で仕事をさせていただきました。その時は天然ガスの貯蔵タンクを作りました。そのとき台湾の人たちにお世話になり台湾が好きになりました。今回台湾にきたのはそれ以来の27年ぶりの台湾になります。…今回の目的は、中国語の勉強と台湾の文化・歴史を実際に生活して感じることでした。中国語はやはり難しくいまだにほとんどできません。しかし今回の滞在でたくさんの場所に行けたこととたくさんの人と交流できたことはとてもいい経験になりました。将来の夢は、沖縄で小さな民泊を経営することです。6年後の60歳からのスタートを目指しています。そこは海外からのお客さんがたくさん来る交流の場としての役割と私の生まれ育った沖縄を世界中に知ってほしいためです。
お昼を読書会の仲間と一緒に珍味海南鶏飯でしながら、話し合いました。楽しい一時でした。来年2月の半ばに国頭村で花見に行こうと思います。春海を眺めると、『めがね』という日本映画が鹿児島の与論島で撮影された「たそがれ」できる雰囲気を頭に浮かびました。与論島は国頭村と24キロ離れます。真っ白な砂浜に青い海の景色を眺めるだけで、春海を存分に感じられるでしょう。バーベキュー、ビーチバレーなど遊び方もいろいろ。これから台湾琉球交流会を作る予定です。
話の間に、日本語の先生の劉さんが2008年に台湾・玉山社が出版された片倉佳史が書かれた『台湾駅・スタンプと風景印の旅』を見せました。翻訳者の
劉先生の誇りです。現場で、皆は一人一冊の本を注文しました。
https://www.facebook.com/huukeiin/posts/1374451949350087
午後、新店にある裁判所へ行って、大陸北京市内にある不動産の相続権を放棄する声明しました。
夜、2016年公開された日本ドキュメンタリー映画『海の彼方』を観ました。監督・黄インイク(黃胤毓)。石垣島の台湾移民家族三世代に渡るストーリーを描いた『海の彼方』は、石垣島に渡ったパイン農民たちの軌跡をたどったこの映画では、歴史に翻弄されながらも力強く生き抜き、今は多くの孫やひ孫に囲まれる「玉木おばあ」とその家族のふれあいが描かれ、温かな家族愛にあふれる作品に仕上がりました。
沖縄・石垣島に移り住んだ台湾移民たちをテーマにしたドキュメンタリー。1930年代、日本統治時代に石垣島へと移住した台湾移民。パイナップル栽培、水牛耕作という技術革新を日本へもたらした台湾移民は、日本の敗戦によりアメリカの統治下となった沖縄で、1972年の返還まで台湾人とも日本人とも認められない無国籍になってしまった。そんな台湾移民のひとりである玉木玉代おばあは、石垣島を擁する八重山諸島で百人を超す大家族に囲まれていた。米寿を迎えたおばあは娘や孫たちに連れられ、長年の悲願であった台湾への里帰りを果たすが、70年という歳月は、想像よりはるかに大きな時代の変化をもたらせていた。
沖縄・八重山の台湾移民を描いたドキュメンタリー映画第二弾『緑の牢獄』黄インイク監督インタビュー https://www.taipeinavi.com/special/80004172
十一月二十四日(土曜日)午後、投票所の前に、信じられない程の行列で、一時間半以上待ってました。結局、いくら国民の責任を負っても、投票所の外に待っている外国友人を長く待たせないように、公民投票のことをやめました。
夜、借りやの日本人へのサヨナラパーティを開きました。韓国人一人、日本人一人、琉球人一人、と台湾人二人と、選挙の結果を見ながら、台湾と日本の未来を話し合いました。
十一月二十五日(日曜日)午前中、主人と新店の山を散策しました。午後、景新図書館一階で、来月十五日の演出を二曲リハーサルしました。例の通り、仲間と一緒に景美夜市で、豆花を食べながら、いっぱい話し合いました。
夜、2016年公開された実写映画『猫なんかよんでもこない』を観ました。杉作による日本のノンフィクション漫画作品。略称は「猫よん」。モデルとなったニ匹のちっぽけなネコの実話を元に、原作者・杉作の目線から描いたエッセイ作品。深くしみいる、大人の実録猫マンガ。本作を描き始めた時点で、モデルとなったクロとチン子は既に亡くなっている。
無愛想な黒猫と暮らすことになった、プロボクサーのミツオ。漫画家の兄に猫の世話を頼まれた。猫なんか大嫌いだったミツオ、やっとB級からA級に辿り着いたが、網膜裂孔のせいで、簡単に網膜が剥がれるので、ボクシングの夢が断たれた。兄が結婚するために、田舎に引っ越しました。不器用さにニヤニヤ、ゆるゆるなごんで、最後にホロリ。雌のチン子が不妊にしてから、おとなしくなって、毎日ずっと家にいるが、雄のクロが去勢してないまま、近所の猫と喧嘩ばかりして、毎日傷だらけで、家に戻って、一度ボスになってが、結局猫免疫不全症候群(言わば猫エイズ)に罹って、死にました。
漫画家を目指してたミツオ、最初はボクシングについての漫画が何冊も描いて、ほとんど落第でしたが、実録猫マンガに挑戦すると、大ヒットになりました。
白昼夢、夢想、空想 はくちゅう むそう くうそう
猫のお世話係り
うんこ
勝利の女神 めがみ
網膜裂孔 もうまくれっこう
レザー
去勢する きょせい
蜥蜴のしっぽ切り とかげ
映画監督にとって、動物の撮影が難しいとよくいわれたますが、この感情溢れる猫の映画を観て、涙がでるほど感動しました。プロボクサーの強い人間と弱いちっぽけなネコの間に、愛の絆ができて、最高でした。
十一月二十六日(月曜日)午後、2015年には公開された映画『テラスハウス』(TERRACE HOUSE BOYS×GIRLS NEXT DOOR)を観ました。元々はトヨタ自動車がスポンサーに就いており、ネットフリックス配信のテレビ番組のスタッフによって製作されたスピンオフのテレビドラマ『トランジットガールズ』が「土ドラ」だった。「台本がない」という台本のもと、一つ屋根の下で複数の男女がシェアハウスする様子を記録したリアリティ番組である。番組からは家と自動車(番組のスポンサーであるTOYOTA製)2台が用意されている。また共同生活でのルールは特に設けられておらず、共同生活終了時は自己申告後に退去する。
台本なしの映画には、ファーストフードの恋愛がちょっとつまらなくて、中途半端にしました。
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