「私は子供ができましたようです」と主人にそう言いました。主人はビックリしました。「へー!古いカキが真珠を生む?高齢産婦?」と主人が冗談で答えてくれました。「私の歩き方を見て、妊婦みたい、両手で腰を支えながら、ゆっくり動きます。子供が一人も生まない私はやっと母親の偉さを分かりました。」と私は返事しました。
下腰の痛みを引き起こす原因をまた詳しくわかりませんが、たぶんぎっくり腰あるいは筋膜性腰痛であるかもしれません。この一週間、毎晩主人にマッサージしてくれて、来週腰痛の状況が改善できないと、病院へ行って、レントゲン検査を受けます。年を取るに連れて、体にいろいろな問題が出てくるわけです。
今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは7月23日17時10分『2020年東京オリンピックとパラリンピックのマスコットの名前が決まる』というニュースです。2月に子どもたちが選んだマスコットは、22日、マスコットの名前は「ミライトワ」と「ソメイティ」になったと発表がありました。
オリンピックのマスコット「ミライトワ」は、「未来」と「永遠」を結びつけ、「素晴らしい未来を永遠に」という思いが込められています。一方、パラリンピックのマスコット「ソメイティ」は、桜の「ソメイヨシノ」と英語で「力強い」という意味の言葉「so mighty」を掛け合わせた名前だということです。
日本人はすごいです。いつも新しい言葉を作りあげて、全世界に発信します。2020年東京オリンピックとパラリンピックのチャンスによる、日本の子供たちが選んだオリンピックとパラリンピックのマスコットの名前を世界の子供にアピールすることは素晴らしいと私は思います。

お腹が一杯になって、街角にあるコンビニでコーヒーを買って、逸仙公園(いつせんこうえん)で、のんびり話し合いました。とても静かな場所です、台北駅のオアシスだと日本友人と評しました。逸仙公園は中華民国の国父の孫文先生の号、逸仙に由来して、孫先生が1913年台湾を訪れた際に宿泊した日本統治時代の高級割烹旅館「梅屋敷」の一部が保存されているために逸仙の名が採用されています。公園の周りは大陸風の壁に囲われているが、内側を伺うと日本家屋の屋根も見える公園の目玉です。
夜、マーティン・スコセッシ監督は2005年のドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディラン』を見しました。私はボブ・ディランの話し言葉を聞いて、そしてマーティン・スコセッシ監督の紹介も見ました。ボブ・ディランと彼の音楽を認識するため、お勧めの映画です。アメリカ音楽の流れも覗けます。
https://www.amazon.co.jp/Direction-Home-DVD-Bob-Dylan/dp/B000A0GP4K
ディランさんは2016年ノーベル文学賞の持ち主、受賞の賞金800万クローナ(約1億円)です。受賞講演は「でも、歌と文学は違う」、ロサンゼルスで収録されたという講演は27分程度で音声のみ、映像はない。ディランさんの講演は、「ノーベル文学賞を受賞した時、最初はなぜ、私の歌が文学に関係あるのか戸惑ったが、それについてじっくりと考え、文学と私の歌がどう繋がっているのか理解したいと思った。そして今からその答えについてお話をしようと思う」と始まります。音楽との出会い、作曲を始めるに至る経緯などを語っている。古代ギリシャのホメロスの叙事詩「オデュッセイア」、メルビルの「白鯨」、レマルクの「西部戦線異状なし」などの世界的に有名な文学作品に触れ、文学も音楽も「意味そのものよりも人を感動させることがすべて」だ、と語りました。
Bob Dylan 2016 Nobel Lecture in Literature
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=6TlcPRlau2Q
素晴らしいアメリカ歌の伝統から新しい詩的な表現を作りあげるので、ボブ・ディランは2016年ノーベル文学賞を与えましたとノーベル賞委員会が述べました。


金山「蹦火仔」漁法 https://www.youtube.com/watch?v=DOv4UGQeRS4
大雨のお蔭で、ビーチコンサートの観客が少なくて、私はエイレネと一番前と真中の椅子に座れ、側に警察専用のレーンコートを着ている警察さんが男女二人と可愛い柴犬の警犬が一頭いました。私は柴犬と遊びながら、陳宏銘さんが七十年代に作った民歌を聴き、懐いておりました。
被遺忘的時光 作詞:陳宏銘 作曲:陳宏銘
https://www.youtube.com/watch?v=OEScDGTtkZE
是誰在敲打我窗,是誰在撩動琴弦,
那一段被遺忘的時光,漸漸地迴昇出我心坎。
是誰在敲打我窗,是誰在撩動琴弦,
記憶中那歡樂的情景,慢慢地浮現在我的腦海,
那緩緩飄落地小雨,不停地打在我窗,
只有那沉默無語地我,不時地回想過去。
七月二十二日(日曜日)一日中、林口長庚病院で、薬剤師研修に参加して、単位を取りました。
七月二十三日(月曜日)午前中、下山操子が書かれた『流転家族‐タイヤル族王女のお母さんと日本警察のお父さんと私の物語』を読み終えました。日本統治時代の蕃童教育を少し分かってきました。蕃童教育所は四年、八歳から入学、卒業してから、二年の補習科に進学します。蕃人公学校は六年、教科書は蕃人讀本です。公学校を卒業して、二年の高等科に進学します。太平洋戦争の時に、高等科を卒業して、二年の青年学校へ行って、軍事化教育を受けます。
1930年10月27日に行われた霧社事件(むしゃじけん)と翌年の1931年4月25日に第二霧社事件のゆえも違う視点から見てきました。主人公の下山一は戦後、帰化して、中華民国の国籍を取って、 林光明と改名されました。
夜、メル・ギブソン監督は2016年の伝記映画『ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge)を見ました。主役(デズモンド・T・ドス)を演じるアンドリュー・ガーフィールドは2017年アカデミー賞主演男優賞の候補者の一人でした。太平洋戦争の沖縄戦で衛生兵として従軍したデズモンドは敬虔なキリスト教徒であり、沖縄戦で多くの人命を救ったことから、「良心的兵役拒否者(Conscientious objector)」として初めて名誉勲章が与えられた人物です。
「ハクソー・リッジ」のロケ地は1945年4月沖縄戦において、浦添城址の南東にある「前田高地(Maeda Escarpment)」ではなくて、オーストラリアの南ウェールズの農場で作り上げられた戦場です。アメリカ官と兵は全部オーストラリア人が演じました。

デズモンドは自分のことを映画化されるのが遠慮で、2006年亡くなって、デズモンドの息子から、許可を取って、映画が出来ました。デズモンドの息子は映画「ハクソー・リッジ」を見て、とても良い配役の映画で、自分の両親を思い出したと述べました。
最近見た映画と読んだ本は歴史の勉強になって、時間がかかって、成長しました。来年台北市立図書館で、「日本文学と映画」の読書会を開く予定です。今年の夏休みに精いっぱい日本映画を見ます。
お知らせ:
2018 Taipei Fringe Festival開幕式
日時:7月29日(日曜日)午後二時から
会場:大稻埕永樂廣場(迪化街一段21號前廣場)
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