2018/09/18

何日君再来

皆さん、おはようございます。『浦島太郎イン台湾』というミュージカルには台北市立図書館から四十名以上の高齢者を募集して、ほとんどの演出者は初舞台で、皆さんと一緒に歌ったり、踊ったり、遊んだりして、きっと盛大な楽しい演劇が出来るでしょう。期待しております。

今週皆さんと一緒にお読みしたいNHKやさしいニュースは9月11日11時30分『プラスチックのごみを集める船がアメリカを出発する』というニュースです。プラスチックのごみが原因で海が汚れたり、魚などに被害が出たりして問題になっています。

9月8日、オランダの団体の「オーシャンクリーンアップ」の船がプラスチックのごみを集めるために、アメリカのサンフランシスコを出発しました。船は、カリフォルニア州とハワイ諸島の間の海に向かいました。「オーシャンクリーンアップ」によると、日本の4倍以上の160万平方キロメートルの場所に、7万9000tのプラスチックのごみが浮いています。今までに集めたプラスチックのごみを調べると、30%ぐらいが日本からのごみだと考えられています。

台湾周辺の海にもプラスチックのごみだらけで、魚の被害ではなくて、海がめにも生存問題になります。台湾人は飲み物に使うストローをたくさん捨てて、海豚や、鯨や、海がめなどの胃の中に、ストローをよく見つけられました。浦島太郎の物語にある亀はもし台湾に来たら、プラスチックのごみに縛られて、死んでしまうかもしれません。

九月十四日(金曜日)日本語入門読書会の黄先生と大坪林駅の近くにあるイタリヤレストランで待ち合わせ、十二月に行う日本語能力試験のために、聴解特訓をしました。

夜、太宰治について語られた『黄金風景』というボンゴシリーズの映画を観賞しました。大正六年青森県北津軽郡『津島邸』で行われた太宰治の物語です。東北弁だから、日本語字幕時々に表したので、分かりやすかったです。上京した津島修治は昭和十年千葉県船橋町で太宰治と名乗られました。

九月十五日(土曜日)午後、『キツツキと雨』は、2012年の日本のコメディ映画。第24回東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞、第8回ドバイ国際映画祭では、最優秀脚本賞と最優秀編集賞、さらに主演の役所広司が最優秀男優賞を受賞している。キャッチコピーは『雨でも… きっと晴れるさ。』

ある山村を舞台に、職人気質の木こりの男と、ゾンビ映画の撮影でやって来た気弱な新人映画監督の青年との交流を描きます。ユーモア溢れる映画でした。役所広司の演技はすばらしかったです。

樵、木樵、木こり 樵夫 しょうふ

夜、2013年公開された映画『横道世之介』を見ました。吉田修一が2008年書かれた小説を映画化された作品です。バブル期の東京を舞台に、長崎から上京してきた大学生・横道世之介が様々な人々と出会い関わっていく青春小説になっている。キャッチコピーは『思い出の片隅の真中で、彼はいつも笑ってる。』日本語の字幕があるので、日本語の勉強が出来ました。そして心に易しい映画ですから、見ると、癒されました。

横着者 おうちゃくもの
(話が)わき道へ逸れる  台風は東京をそれた 責任を逸れること それる
その才能を開花される
スピーチはたるくない?
ちんこ勃つ 勃起(ぼっき)
もっかい来年転入試験を受けるつもりです
人生って、やっぱなげーじゃん?
はしゃぎすぎて疲れた
モロにでちゃったっていうか
童貞を守る、失う どうてい
ふざけるな!Stop messing around!
時間がないからなるべく話を端折って申し上げます はしょる、はしおる
委しい事をはしょって話そう くわしい はぶく 省く

九月十六日(日曜日)午後、クロッグダンス授業があって、学生さん五人と『小さな世界』を復習して、新しいスイングダンスのステプを練習しました。

夜、2017年公開されたドキュメンタリー映画『いつまた、君と~何日君再来(ホーリージュンザイライ)』を見ました。どんなに貧しくても、お父ちゃんとなら、笑顔で乗り越えられました。原作は、向井理(むかい おさむ)の祖母・芦村朋子(あしむら)の半生記を綴った『何日君再来』。『何日君再来』は大学生だった向井さんが、祖母の手記をパソコンで打ち直し、家族や親戚と共に自費出版をして、卒寿(九十歳)のお祝いとしてプレゼントしたものでした。向井さん自身が七年前から映画化を熱望し、企画にも携わった強い思い入れのある作品です。

戦後の困難な時代を生きてきた祖母を演じる尾野真千子について、向井さんは、「尾野さんは、“力強い女性”というイメージで、僕の祖母は全く逆のタイプなのですが、今回は以前の尾野さんの顔では全くなかったです。三人の子のお母さんの生活感が見える。それを自然にできる人ってなかなかいないです!」と語り、賛辞を贈っています。向井理・尾野真千子、夫婦役での共演で、絆はいっそう深まりました。

戦中・戦後の困難な時代を生きてきた祖父・吾郎と祖母・朋子の波乱の歴史と、深い絆で結ばれた夫婦と家族の愛の物語だったのです。朋子が中国での生活や、開戦と敗戦、戦後の苦労、商売の失敗や夫の他界を書かれていた手記を
向井理は大学時代に読みました。映画として制作にかかった時間は、なんと七年。
・1940(昭和十五年)年夏、出会い、夫になる男性の吾郎と初めてデートした、喫茶店では、歌手李香蘭の楽曲「何日君再来」がかかっていた、吾郎は軍務で中国に行くので、朋子も中国へついていく
・1941(昭和十六)年、婚礼を済ませて、吾郎と船で南京に向かったのは日米開戦の年の七月七日。『私は吾郎と南京で新婚生活を始めた。吾郎は、中国で発足した国民政府と日本政府との平和交渉を支えようと、南京で青年会書記長に納まった。』
・1942年頃まで、南京や上海で生活していくが日本は敗戦
・1946年上海引き揚げられたら、愛媛県松山にある実家に辿り着いた。
チフス、土地や貯金もなくし、苦労する、愛媛の朋子の家族と吾郎の人間関係もうまくいかなかった
・1947年頃から、朋子と吾郎は、茨城県恋瀬村中古車で運送業をはじめてが、失敗、・吾郎は福島県棚倉にあるタイル会社に勤めるが、東京に出張した時車交通事件で入院、退院あと、社員のお金の持ち逃げなどでまた職を無くす
いといの家というところてん屋、夏にはかき氷屋、秋にはおでん屋などで生計を立てていく タイルの販売
・昭和二十四年苦労しながら三人目の女の子の真美が産まれる、また仕事がなくなり、鶴丸石油などで働く
昭和二十七年大阪、台風でまた仕事がなくなる、吾郎、47歳の若さで亡くなる『朋子よ、子供らよ、愛しい宝たちよ、願わくが、我が轍(てつ)を踏まず、双翼を順風に乗りて、天際を飛躍せしめん』

九月十七日(月曜日)午前中、日本語入門読書会で、『浦島太郎イン台湾』をリハーサルを初めてしました。大成功でした。

午後、川村元気が書かれた『仕事』を読み終えました。面白かったです。川村さんがインタビューしている方々も以下の様な錚々たるメンバーです。山田洋次さん、沢木耕太郎さん、杉本博司さん、倉本總さん、秋元康さん、宮崎駿さん、糸井重里さん、篠山紀信さん、谷川俊太郎さん、鈴木敏夫さん、横尾忠則さん、坂本龍一さん。

夜、2016年公開された映画『オーバー・フェンス』を見ました。同様に映画化された佐藤泰志(さとう やすし)の小説の作品『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』に続く「函館三部作」の最終章と位置付けられています。

白岩健一は東京建設会社にリストラされて、故郷函館に戻って、大工を目指して、育児になやむ妻を実家に預け、離婚届を提出したのを機に職業安定所からの紹介により、函館職業技術訓練校に通うことになり、訓練校の同級生の代島の紹介で花屋の娘に生まれた22歳の女さとしと出会い、距離を縮めて行くが頻繁に訪ねて来る妹と義弟にさとしのことをどう説明すべきか悩み、別れた妻と子どものことも忘れきれないでいる。

健一はそんな悩みの日々などと平行し訓練校の科目対抗ソフトボール大会で4番打者になることを希望したが3番打者を任される。試合では、健一が外野のフェンスの先に見た、自分自身の越えなければならないものの象徴「幻のフェンス」に向かい、力を込めてバットを振り抜くのであった。

初めて鳥が鳴く変な映画音楽を聞いて、理由はさっぱりわかりませんでした。函館の町の景色に鐘と路面電車の音とか、函館公園にある白鳥とハクトウワシたちの求愛の恋に落ちる姿、夜空から渡り鳥の羽を落としたシーンはロマンチックに感じさせました。

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